ベートーベンの音楽が今でも人気のある理由(ゲスト:カイ) | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

韓国ミュージカル
想像と創造だらけの翻訳
(注意: 目標はネタバレ100%)
近頃はメモ付き写真アルバムとしても使用中。

 

 

PD: 何してるんですか?

 

先日開演したミュージカル〈ベートーベン〉の舞台にいます。ベートーベン役のパク・ヒョシンさん、パク・ウンテさん、カイさんが演奏する演技をしながら雷が落ちる場面のマネをしてみました。

 

最近インスタではやっているのが「ベートーベンが新曲を発表したんだって!」と言いながらラジオをつけると、ヒップホップのようにリアクションする動画です。

 

考えてみると、私たちは聞きなれてしまいましたが、初めて聞いた人たちにはどれ程新しく不思議な音楽だったのか、どれほどの衝撃で受け止めたのか、想像もできません。

 

 

ベートーベンは1770年生れです。約250年前なのに、今でもBGMで流れるし、ミュージカルにもなるし、着信音など様々に使われています。

 

それで考えました。これまでの250年を生きた数千数万人の音楽家がいるのに、どうして不滅のベートーベンになったのか?この人はどうやって、人々の記憶に残り、陳腐にもならない音楽を作ったのか?

 

 

【だからベートーベンに直接聞いてみました】

 

 

カイ:こんにちは。ミュージカル俳優のカイです。

 

週に何回かベートーベンとして生きていらっしゃいますね。現代の音楽家もスタイルが流行遅れじゃないかと悩みます。ところが、ベートーベンは250年という長い間愛され続けて、ミュージカルとして再誕生もしました。理由は何だと思いますか?

 

カイ:多分理由はひとつだと思います。バロック音楽に影響されない、ベートーベン自身の、彼だけの音楽だからです。

 

ミュージカルの序盤にこんな歌詞がたくさん出てきます。「あなた達と私は違う」「私は私だ」

ベートーベンだけのスタイルがあるのが理由です。しかもそのスタイルが試みに終わらず、完全な和声と音楽的構成の中で存在するのです。

 

ベートーベン以降のワグナーやシュトラウスなどはベートーベンのスタイルを色濃く継承しているので、彼らのオペラにベートーベンのスタイルを見ることができます。マーラーまでもです。

 

すると、ベートーベンを聴いても「誰々のスタイルだ」と思い浮かぶ人はいないんですか?

 

カイ:いないですね。実に驚くべきことです。自分だけの明確な色がある一方で、誰のスタイル(影響)も持たない人だった。

 

神経質で、音楽への執着、自分だけの音楽の色合いを明確にしようとする努力。それらのために200年、300年過ぎても、ああこれはベートーベンだという、スタイルが残っているんですよ。

 

事前の知識なしにミュージカルだけを見たら凄く不幸な人ですね。弟とも不和になり、愛もかなわず、最も重要な聴覚も失う。アルコール依存症で。そんな姿を見たら、不幸な人だったんだろうかと思います。

 

カイ:僕が思うに、不幸な人と言うのは、合っているとも違うとも言えると思います。一般的な人生を送れなかったから不幸な面もあったと推測します。

 

しかし彼の聞こえない耳元にあふれる音楽と向き合った時の喜悦を見れば、世界の誰よりも歓喜に満たされた人ではなかったかと思います。ですから、音楽と向き合う時には誰よりも満たされて幸福な人だったと、そう理解しています。

 

 

【Point 01. 最初のロックスター?】

 

ミュージカルを見て、俳優たちが服の着こなしや歩き方で実に巧みに描写するのに驚いたんですが、現代の私達が芸術家と聞いて思い浮かべる人たちがいますよね。ヴァン・ゴッホ。自分の耳を切り落としたんだって。何か芸術家っぽい。フレディ・マーキュリー。生涯麻薬中毒と戦った性的マイノリティの姿。ヘルマン・ニッチュ。動物の死骸や血を使った芸術。こうした姿は私たちが持つ芸術家っぽいイメージですよね。

 

芸術家の姿と反対なのは何かというと、正常な中産階級の姿です。中産階級の日常的な生活と社会の期待からはみ出してこそ芸術的なインスピレーションを得ることができるような、そういう芸術家の一番最初の人が誰かと言うと、それがベートーベンだったと私は思います。

 

ベートーベンを中心に置いて、前後の音楽家のイメージを比較します。以前の例としてはバッハ。20人も子供がいる大家族の家長で、教会のオルガン奏者として安定した職業を持っていました。バッハの作品がなぜこんなに多いかというと、出勤するたびに作曲しなければならなかったというジョークがあるほどです。

 

それからモーツァルト。肖像画を見ると白いカツラをかぶって、小ざっぱりした貴族的な姿で描かれています。

 

ベートーベン以降の芸術家にはリストがいます。ちょっとベートーベンぽいじゃないですか。長髪を揺らして演奏したと有名です。パガニーニ。悪魔に魂を売ってバイオリンの才能を得たという噂がありました。

 

このように、ベートーベン以前が清潔な社会的イメージだったとすれば、以降の人達は日常から遠く離れてこそ、真の音楽、新しい音楽を創作できるといったイメージがあります。

 

それでベートーベンを古典主義とロマン主義の架け橋と呼んだりします。

 

 

【ベートーベンは、なぜ貴族音楽から脱出しようとしたのか?】

 

最初が、ベートーベンが役割を叩きつけて飛び出すような場面ですよね。

 

カイ:そうです。

 

バッハやハイドン、モーツァルトは大丈夫だったのに、ベートーベンにはなぜ息苦しくて我慢できなかったのでしょう?

 

カイ:はっきりとは言えませんが、おそらく幼少時代から感じていた一種の欠乏のようなものではなかったかと。ハイドンなどはかなり裕福だったので自分のオーケストラを持っていたし、ヘンデルやバッハは宗教的に厳格な枠組みの中にいたので、音楽的な枠組みも明確でした。

 

ベートーベンの場合は、自分が即興的に作り出す音楽が土台であり、ベートーベンが即興演奏をすることになった経緯も父親が金を稼ぐためにやらせた、一種の手段だったわけです。

 

そういった欠乏がベートーベンだけの創造性を引き出すための重要な基盤になったのではないかと私は考えています。なので一般的な型や宗教的な型、そういうものが気に入らないので飛び出したんじゃないでしょうか。

 

(後半に続けようと思ったけれども、ミュージカルとあまり関係ないのでやめました口笛