(あらすじ)
「さようなら。私の光、私の悪夢」
1930年代京城。セフンは、ヒカルという死んだ作家の最後の小説が出版されるという話と共に、彼女の本当の正体も明らかになるという衝撃的なニュースを聞く。セフンは留置場に閉じ込められている小説家、イ·ユンを訪ねて遺稿集の出版を中止してほしいと頼む。しかし、イ·ユンは出版を中止しなければならない正確な理由を明らかにしろと言い、小説家キム·ヘジンが彼女に残した最後の手紙まで取り出して自慢する。セフンは結局、ヒカルについて隠してきたことを話し始める。
【1930年代の時代の流れ】
民族抹殺統治(1937~1945)が行われた時期で、国内では独立運動が難しく独立運動団体は国外で活動し、朝鮮日報、東亜日報は廃刊(1940)になり、創氏改名(1940)、ハングル使用禁止などすべてに対する制約、規制、弾圧が最も激しかった時期。
キム・ヘジンのモデルは小説家キム・ユジョン。
劇中ヘジンの遺作となる小説「生の伴侶」は、実際にキム・ユジョンの遺作だとか。
「生の伴侶」の内容。
主人公がある女性に片思いして手紙を送るが、手紙の伝達者である「私」(話者)は主人公が気の毒になり、その女のふりをして嘘の返事を書くようになる。
30%の事実から100%、いや120%の物語を創り出す韓国創作ミュージカルの代表か?創作力に脱帽する。(数字はテキトウ)
11月14日
日本からの決済が可能だったのかは未確認。韓国のインターパークで購入し、StageXというプラットフォームで観覧。
以前、キム・ジヌク/ペク・ヒョンフン/カン・ヘインの組み合わせがとても好きだったので、楽しみにしていた配信。
ヘジン先生だけが違うキャストでユン・ナムさん。長身のセフンに対して、いかにも小柄な文人というたたずまい。とても内向的な天才作家が、後半ヒカルに溺れ、狂気のような喜びに包まれて執筆する迫力に圧倒される。
肉体的限界、つまり「死」が苦痛と共に迫っている中、精神的高揚と共に執筆に没頭できるのは、ある意味幸福なことなんじゃないだろうか。なのでちょっとヒカルの方に共感する。
セフンは「先生が死んでしまう!」とヒカルを殺す選択をする。もはや結核は治療も回復も望めない状態なのに。ヒカルじゃないけど「どうせ死ぬのに?」
だからセフンが決心した理由は、先生が死に面している事を自分が直視できなかったからじゃないかと思う。利己的だ。当事者じゃないので言うのは簡単だが。それとも最後にヒカルじゃなく自分を見て欲しかったのかな。
そんなセフンを演じる、私が大好きジヌク君は汗だくの熱演。映像だとよく見える。泣きすぎて顔がむくんでないか?と思ったり。背を丸め若者っぽい話し方で役作り。
〈キング・アーサー〉メレアガンの時の、低音も高音も大解放の方がもっとカッコよかったかな。今度〈ベートーベン〉のカスパール役を演じるのでよろしく。
一番シビレたカン・ヘインは細かい表情にまでぞくっとした。映像でも悪くなかったけど、舞台で観た時の方が空間に放たれるオーラが見えた気がする。
劇中に出てくるKAPF (カーフ)とはKorea Artist Federation) 「朝鮮プロレタリア芸術家同盟」で、解体に至るまで多数の知識人が検挙されたそうだ。
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詳しい内容はこちらのブログを参考にさせていただきました。
ふと思ったこと。
1番初めにあっさり誤解を解いていれば、こんなに色々考えさせられらる物語は生まれず、人間がいつも正しい行動を取ったら葛藤や苦しみが減って芸術の範囲が狭まるんじゃないかという気がする。