キム・ソノ復帰作で話題になった
〈タッチング・ザ・ボイド〉だけど
そんなこたあ、どうでもいい
と、と、と、と、とてつもない演劇だった。
壮絶超感動
号泣
ばかに作品と波長が合ったようだ。
何も買わない主義の私が思わずプログラムを買った。
総制作費100億円の大作映画!
みたいなものを小劇場で見てしまった。
と思ったら映画が先だった。
邦題は「運命を分けたザイル」だそうで。どこかで見られるかな?
9月10日
物語は遭難した弟ジョーのために、姉のセラが山に来て通夜を行うところから始まる。セラは悲しんでいるというより、怒っているようだ。
セラがパートナーのサイモンに「弟は本当に死んだのか」と尋ねると、サイモン、リチャードの説明と共に登山の様子が再現されていく。
もう、凄いなんてもんじゃない。
ジョー役のイ・フィジョン君が迫真の演技だったのも大きい。
ジョーが落下した時、上から安否を尋ねるサイモンに、落ちて骨折したのを知らせる声が、あえて冷静に報告するようなトーンでありながら、その大声にはある種の切実さがにじみ出ていて、そこが本当に恐ろしい雪山であると感じさせた。
「だからなんで山なんて登るのよ!」
姉セラの問いかけはそのまま私の問いかけだ。
山で共倒れしそうな時は「助けを呼んでくる」と言って、結果的に見捨てることになっても恨まないのが暗黙の了解だ、というような台詞があった。
だがサイモンは90メートルにつなげた2本のザイルでジョーを吊り下げて下山することを選択する。
ベースマネージャー、リチャードが狂言回しで情景を描写するスタイル。下の写真のようにギターで弾き語りをしたりする。
もともと空気の読めないキャラクターだが、憎らしく思えるほど克明に状況を描写していく。
骨折する場面では、リチャードがそれを語りながら焚火用の小枝をバキッと折ると骨が折れる効果音として響いて、なんとも言えない…
恐怖と苦痛を感じた。
左側で
骨折して動けないジョーがザイルに吊り下げられていると、
右側で
ジョーを吊り下げているサイモンがいる。
雪山の上と下で繰り広げられている状況だとすんなり納得できる。
腰の部分でザイルに吊り下げられているジョーは、片手でザイルをつかみ、もう片方の手で脚をつかんで固定させようとするのだが、ザイルで下降するたびに激痛が走る。
サイモンはサイモンで、不安定な足場と戦いながら渾身の力をこめてジョーの体重を支えて降ろしていく。
それを繰り返していくのだが、これほど手に汗握る演技を見たことが無い。
降ろしても足場に届かず、極寒の中で宙吊りのジョーは合図できなくなる。
状況の分からないサイモンは、悪化し始めた天候の中1時間半耐えるが、決断を迫られて結局ザイルを切ってしまう。
転落し翌朝気が付いたジョーの死闘が始まるのだが、脱水症状や低酸素症でセラの幻影を見るようになる。セラはこれ見よがしにチョコレートバーを食べてみせ、食べたければ前に進めと励ましたりする。
何日も孤軍奮闘が続き、ついに苦痛と疲労で前に進めなくなったジョーが、もう諦めてもいいか?もう生きなくてもいいか?とセラに問う。まだ思考しているのなら判断できるし選択できるはずだ!とセラは答える。
どうしてそこまでして生きなきゃならないんだ?というジョーの質問。
見ていて辛かった。
結末を知らずに登場人物と同じ気持ちで見ていたから、
つらくて苦しくて、
もういいかげんに死なせて休ませてあげてと思うほどだった。
そんなジョーにセラが言う言葉。
「あんたは山があるから登ると言う。
なぜ生きなきゃならないかって?
ここに命があるからよ。」
セラの言葉に殴られたような気がして
その単純な言葉の重みがズシンときて
最終的に感動しまくって、
そのまま感動を味わっていたかったのもあるけど
終わって外に出ても涙が止まらず、
とにかくここ最近で一番感動してしまったかもしれない。
1回見るだけの枠しか無かったが、翌日に買ってあった別のチケットを捨てて
(直前なので既にキャンセル不可)
もう1回見た。
9月11日
今日のジョーはシン・ソンミン氏。彼は飄々とした演技スタイルじゃないかと思う。こういうタイプの役柄にはもっとウェットな表現スタイルの俳優が合いそうな気がする。
総合的には熱演だったが、歩けずに這って進んでいるときに、骨折した脚をちょっと使ってるように見えたり(だらんと引きずって欲しい)、ザイルでぶら下がっていても呻き声もなく何の不都合もなく見えるのは少し物足りなかった。
演劇なので言葉のみだけど、あらすじを知っていれば劇場の空気感、演技の熱は十分感じられるんじゃないだろうか。
いつかチャンスがあったら(熱めの俳優さんで)是非