1月20日
大学路の空が青い。
アートワンシアター2館。チケットボックスが開く時間までには到着し…渡韓以来初めて言われた。
「満席です」
ドラマでも人気の俳優の組み合わせ。仕方ないか。
小劇場だし。そもそも大学路のアイドルだし。
1月21日
ようやく外国人登録証を入手し、インターパーク韓国サイトに入れたのは良いが、まだ銀行口座を作れていないので、購入できない。かろうじて空席確認ができるのみ。かと言って現在グローバルで買える作品は非常に限られているので、当日券を入手するしか方法が無い!
非常に不自由な状況である。
チョン・ソンウ君の回は全て満席と判明したので、キャストにこだわらず様子見してきた。
貧しくて自分の絵の才能に気付いていない10代の青年に出会ったスランプの中年女性劇作家が、彼の話、彼の人生にインスパイアされて新作の脚本を書き始める。
(劇中での)2人の現実が脚本となり、劇のシーンとしても演じられ、青年の現実と脚本の物語が食い違っていき…。
劇中の人物の間で進行中の話とそれを素材にした作品を同時に伝え、物語と現実の境界を崩す「メタシアター」形式 なんだそうで、どこを基準に観たら良いのか、観ながらグラグラするような感覚に襲われる。
頭の中が整理できないので、主義に反してプログラムを買おうとさえ思ったが、もう一度見てから決めることにした。帰りの地下鉄の中でも引き続き混乱していたら、降りる駅を乗り過ごした。
青年の声を伝えるために書かれた物語はあくまで青年の物語であり青年のものなのか?脚本として書かれた瞬間に作家の物語となるのか? 終盤になると、2人が脚本を離れて現実に会話しているシーンは、本当に現実なのか、それともやはり劇の中なのか混乱する。
インターパークによると『物語を扱う権利が誰にあるのか、芸術作品の真正性は誰が決めるのか、今日の現代社会で芸術はどのような責任を持つのか、そして演劇を「見る」という意味は何かと観客に質問する。』 のだそうだ。
そんな恐れ多い質問以前に、単純に、説明調独白の聞き取りが難しかった。
1月28日
30日がマッコンのマウスピースに再度挑戦。女優さんも別キャスト希望だったけど席があったのはこの日だけ。フィジョン君観れたのは幸いだった。
2回目効果で更に理解は進んだものの、ストーリー展開に揺さぶられてしまう。「安定感」という言葉が劇中何度も出てくるし、観客の安定感を奪うのが演出意図でもあるんだろう。
フィジョン君はドラマの〈ロースクール〉だったか、デートDVするお坊ちゃま役が凄く怖かった。期待通りで、屈折したキャラクター表現がうまいから惹きつけられた。底辺で暮らしているから荒んでいるけど、中身は愛に溢れる青年。
ストーリーを解説する能力無いので、これをお借りしてきた。
17才設定だったのか!
するとあのベッドシーンは、もはや犯罪ではないか? やばいです。