演劇〈家族という名の部族〉観覧メモ | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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近頃はメモ付き写真アルバムとしても使用中。

2月23日

 

徳寿宮横のトダムキルを進む。

その奥にあるのは貞洞劇場である。

風情のある小さな劇場だ。

 

 

生まれつき聴覚障害者の末息子。あたかも健常者であるかのように彼に接する家族。十分に訓練されていれば、いかにも障害者に見える手話は必要ないという父親。


いつも「聞くこと」しかできなかった彼が、恋人から手話を学び、自ら話し始める。

 

先日エレソンで、声が…とケチをつけたカン・スンホ君が末息子。今回は聴覚障害者独特の発声と発音がとても巧みだ。

 

しかし、わいわいガヤガヤとうるさいくらい言葉のやりとりが多いこの家族。実は全然コミュニケーションが取れていないのが皮肉。

 

末息子は「聞くこと」ではなくて 「待つこと」しかできなかったと言うべきか。彼は唇を読めるものの、人が自分の方に向いてくれなければ理解できないし、とても努力が必要だ。なので手話を得た彼は、今度は家族が手話を覚えて努力する番と主張し、結局家を出る。

 

彼に手話を教えた恋人はもともと健常者だったが、遺伝的理由で聴力を失う最終段階にある。堂々と生きているかに見えたが、完全な聴覚障害者となっていく実感のせいで感情の安定を失ってしまう。そして、家族も自分も耳の聞こえない障害者なのに、恋人までも同じなのは嫌だと、彼から離れてしまう。障害者に差別感を抱いていたのは彼の家族だけではなく、実は彼女も…という皮肉。


そう言えば、彼女は兄とおかしなことになってしまったんだった。


彼女と別れた末息子は家に戻る。均衡が破れたかに見えた家族は、再びそれなりの均衡を取り戻すかのようだ。相互に依存し合う家族。


どんな問題が起きようと、しぶとく機能する家族という単位に感嘆すると同時に、恐ろしくもある。そんな事を思った。


 

演出的に、手話部分は壁に文字で映し出される。表面的な平和が破られる終盤になると、口から出る言葉と裏腹な本心が、文字で映し出される。面白かった!でも、読むスピードが追いつかない!大泣き



人物関係図。手書きが自然過ぎて読めない。えーん


「虎の夫婦」ケミ(?)が良く合う。

兄⇔姉 お互いを心配している。

兄⇒弟(末息子) 大きな愛、所有欲。

弟⇒兄 ??特別に、もっと??

弟⇔恋人 「灯がついた」

恋人⇒兄 所属感


 最後まで難しい。



頂いたポストカード。イ・ジェギュン君が彼的最高レベルのビジュアル。