〈ルドウィク:ベートーベン・ザ・ピアノ〉
韓国版のタイトルは「ルドウィク」である。甥のカールが幼い頃わざと違う呼び方をしたのが発端だ。
成長したカールが、それまでは「ルドウィク」と呼んでいたのに、急に「ルードヴィヒ!」と呼びかけるシーンがある。この展開がとても重要。
偉大な音楽家としての「ルードヴィヒ」ではなく、悩み、苦しみ、間違いを犯した「人間ルドウィク」の物語である事を表現していると思っていたのだが。
日本版のタイトルは通常の読み方である「ルードヴィヒ」を採用している。
え?なんで?
ストーリー知らないで「ルードヴィヒ」にしちゃったの?大丈夫?
と最初は思ったが、まさか그럴 리가.
多分それなりの解釈があってのことだろう。それならそれでOKだ。
ただ、キャストが「青年」と「もう一人のルードヴィヒ」となっていて、微妙な不安感が再び漂い始める。
「もう一人のルードヴィヒ」って誰?壮年時代のこと?そうだとすると…。
同一人物なので、どちらが主役という言い方はおかしいが、物語の主軸にいるのは壮年ベートーベンではないか?重要性が劣るわけではないが、どちらかと言うと青年は回想として登場する存在だと思う。
正体が分からないのに、仮定であれこれ言うのはこれくらいにして。
それにしても、壮年の重厚感を出すのは若手俳優には難しいと思うのだが、それらしき俳優さんはキャスティングされていない。
なぜだどうしてだこれからついかされるのかなされないとしたらいったいどんなものをつくるつもりなんだああわからないあのあつみのあるさくひんがどんなふうになってしまうんだろうわかいかんきゃくにこびるかんじのうすいさくひんになってしまうんだろうかなにかいぇーいというのりにかわってしまうんだろうかいやまさかねでもこわいこわすぎるこわすぎてぎゃくにみてみたい。
結局あれこれ言っている。刷り込み効果のようなもので、初めに見た方が基準になってしまうだけのことだとは思う。
韓国版をコピーするわけではなく、新たな切り口で創造するのかもしれないので、物語全体をどんなふうに料理してくるのか、楽しみにすべきだろう。
目撃してみたいが、東京でもたった2週間しか上演しないとは。せっかくやるのに、なぜこんなに短い?日本の上演期間は短すぎる
うちの「息子」が青年時代を担当した韓国版はINDEXから。(新バージョンの翻訳改訂版なり。)
壮年ベートーベン役は私的ベストのキム・ジュホさん。最高!ちなみに役名は「ルドウィク」である。
バルトのペク・ゴヌ君は明るく元気なバルト。泣きそうな顔をしても、笑っているような愛嬌ある表情に見えてしまうのは長所なのか?短所なのか?
ピアニストはイ・ボムジェさん。〈ワイルド・グレイ〉の作曲家/音楽監督だが、ここでは俳優としても堂々たる?演技を披露している。ソヒャンさんと並ぶと、こんなに背が高かったのかと驚く。
以前の訳を見直してみたら、時々テキトーで冷や汗が。今回、少しはマシになったが、もちろん趣味程度なので完璧とは程遠いことをご承知いただきたい。