〈デスノート〉新たな舞台演出 | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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韓国ミュージカル
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近頃はメモ付き写真アルバムとしても使用中。

(舞台写真追加しました)


ついにデスノを見た。

本格的なミュージカルを見始めるきっかけとなった作品。初演と再演1回づつしか見ていない(うえに、ほとんど聞き取れていなかった)ので断言はできないが、ストーリー的には大きな変化は無いように思う。


貧弱だと言われた初演セットとは違い、映像「も」活用して豪華になる、のだと思っていたら、95%が映像なのでびっくり。


奥にせりあがった床、逆に奥に行くほど下がる天井、そして背面。この3面すべてがLEDスクリーンで覆われている。

 

場面に応じて机や椅子が登場するのみ。死神の世界や渋谷の街角などは特に凝った映像で迫力あったが、実際の舞台セットが何も無いから、忠武の舞台がやけに広かった。


最初1階から見た時はドラキュラ的な大掛かりなセットの豪華さが懐かしかったりもしたが、2階から見た視覚効果は見事だった。単にリアルなだけではない臨場感に引きずり込まれる。

 

最初真っ暗な舞台に巨大な死神の手が現れ、軋むような音を立てながら「데스노트 (デスノート)」の文字を綴っていく。その文字の線がつながって伸びて回転すると、あっという間に教室を作り出し、ぎっしりと文字や図形が書き込まれた板書が現れる。



次のシーンに移る時は部屋の輪郭と板書が拡大するので、板書が目の前に迫ってくるような感覚を与える。


板書の中央近くに片目が小さく描かれているのだが(ライトの頭の後ろ)、巨大化すると同時に瞳の中から雲が湧き出して、あっという間に暗い黄色の雲が渦巻く死神の世界に変わる。


そして床にポッカリ空いた黒い穴にリュークがデスノートを落とすと、ノートが舞いながら雲を突き抜け、見えてきた地上の交差点に向かって落ちていく映像が背景に映し出される。


ライトがデスノートを拾う交差点がどこだか知らないが…渋谷か?賑やかな看板で溢れている。「カラオケ歌広場」はいいとして、「ドン・キホテル」とか「雪ミルク牛肉」なんていう謎の看板が気になって仕方ない。泣き笑い


それはともかく、

天井から床まで舞台の全面が繋がった映像は仮想世界と言ったら良いのか、単純に映画的なイメージではない。昨今は映像でセットを代用するのが主流になりつつあるが、照明を当てるのではなく、舞台全面がモニターとして機能するのは画期的だ。


(エルは裸足だが、床がほんのり暖かいので冷たくはないとソンチョル君が言っていた。)


板書が迫ってくるのもそうだし、様々な錯視効果が面白い。ライトの部屋、捜査本部、エルの部屋などが瞬時に現れるかと思えば移動し、その現実が揺れて抽象的な背景に変わり、登場人物の感情を表現したりする。


総一郎がライトに正義を語る「성을 넘지마 (線を越えてはならない)」のシーン。自分自身が揺らがぬ正義の神となれという総一郎に対し、僕が正義の神となる!と宣言するライトは、ハモリながらも全く違う事を考えている状況だ。途中からライトの部屋の輪郭線がうごめき出して2人の間を隔てる線だけが残ると、最後には向かい合う2人を切り裂くように光が裂けていく。


エルが死神の存在を知った「변함 없는 진실(変わらない真実)」のシーンでは、彼の部屋の輪郭や窓がノイズのように揺れてぶれていき、エルの衝撃を可視化する。


舞台の弱点は舞台奥の視点からは見られないことだが、360度回転自由な利点を活かしたのがテニスシーンだ。


本物にしか見えないガラス天井と床のテニスコートが回転するので、カメラがテニスコートの周囲を回りながら撮影しているかのように、観客が回りながら見ているかのような錯覚を与える。


視覚的な事を言葉で説明するのは難しい!中継があったらいいし、舞台全体の雰囲気をうまく活かしてくれたら最高なのだが。