ミュージカルの化身 パク・ウンテ (紹介動画) 第1篇 | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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韓国ミュージカル
自分の予習復習用につき、かなりの偏りあり
(注意: 目標はネタバレ100%)
メモ付き写真アルバムとしても使用中

(俳優となってからの歌声はもちろん学生時代の歌声や、デビュー時の写真など、見逃されませんように。)


2006

伝説は始まった

サイの前脚から

最高の俳優になった男


「考えてみたことがあるか

「ミュージカルの神がいたなら

   どんな姿だろうか


“God of Musical”

パク ウン テ


ここにミュージカルのために生まれた男がいます。

〈ジーザス・クライスト・スーパースター〉

〈ジキルとハイド〉

〈フランケンシュタイン〉


ミュージカルの神と呼ばれてきた男。

大韓民国ミュージカルの'誇り' パク・ウンテ。


彼のデビュー舞台を見た人!

それは私!この私!


名前 パク・ウンテ

1981年6月14日 3兄弟の末子として出生

富川(プチョン)市場で野菜店を営む両親を持つパク・ウンテは、中高生の頃良い職業につき親孝行をしようと考え、とても着実に勉強する学生だったそうです。


特に芸能感覚があるとか歌が上手いとは考えさえしなかった彼は、後にミュージカル俳優になるとは夢にも思っていなかったと語りました。


幼い頃に適性検査を受ければ、常に軍人や警察官が出るほどで、実際に陸軍士官学校を志望していた彼は、高校3年生になると突然進路を変更しました。


まずは大学に進学し新しい夢を探そうと言う気持ちで、多様な分野に進出できる経営学部を選択したのです。


このようにして漢陽(ハニャン)大学経営学部に入学!


趣味を生かして、バンド「音で育つ木」のボーカルとして活動することを決めたパク・ウンテは、大学祭の歌謡フェスティバルに何度か参加しましたが、毎回予選で脱落!


2001年カンビョン歌謡祭に出演した彼は2度の敗者復活戦の末「告白」という曲で銅賞を受賞しました。


これを契機に、おぼろげにしか見えていなかった歌に対して挑戦意識が芽生えた彼は、海軍広報団で軍服務をしながら、全国の音楽専門家たちと夢を育ててみようという想いを持ったものの、現実はだれも彼を認めてくれなかったと言います。


そこでは、「お前カンビョン歌謡祭に本当に出たのか?何が歌だ、勉強でもしろ。お前には勉強がお似合いだ」こんな言葉さえ耳にしたパク・ウンテ。


彼はその言葉を噛み締めながら、「そうだ、なにが歌だ…。頭を冷やしてしっかり勉強しよう」と考えて、除隊後は漢陽大学経営学部で全体4位を獲得し奨学金を受けて学校に通いました。


成績表に喜ぶ両親を見て「僕は勉強の才能があるんだな!」と考えたパク・ウンテ。


歌は単なる趣味にしようと決心した彼。およそ一年間就職スペックを積み上げるために本当に熱心に勉強しました。


しかし彼が25歳のある日、学園祭で歌謡祭が開かれると、どうしてもそちらを向いてしまい学業に集中することができず、未来に対する恐れと葛藤で夜も眠れない状態になってしまいました。


そして3カ月間、自らの未来に対し真剣に悩んだ末…


「僕は歌を歌うぞ!」と決心し、ある事務所に練習生として所属しましたが、そこでは毎日掃除ばかり。


たいした収入もない毎日を送っていたある日、事務所の代表が「ウンテや、お前ここでこうしていないで、…このオーディションでも受けてみろ」


「え、これ、何ですか?」


代表に渡されたのはミュージカル〈ライオンキング〉のオーディション。


ミュージカルについて何も知らなかった彼は、踊って演技するのは気が進まなかったものの、当時ダンスとシンガーアンサンブルを別々に選ぶと言う募集内容に勇気を出し、生まれて初めてミュージカルのオーディションを受けることになったのです。


結果は、合格!


こうして2006年、シャルロッテシアターのこけら落としであるミュージカル〈ライオンキング〉のアンサンブルとしてデビューすることとなりました。


サイの前脚を受け持ちながらより大きな夢を見始め、舞台に立っていることが幸せだと感じた彼は、ただその瞬間が嬉しかったそうです。


第2篇に続く