次に歌った曲は「雪の華」でしたね。「雪の華」は音楽をやりながら重要な瞬間を生み出しました。それまでは音楽的にすごく悩みがあって。僕が性格的にこうなので、まだ準備ができていないのにデビューしてしまったといつも思ってました。
なので時々に肯定的に考えてみようと、こんな風にすれば自分の色が出せるんじゃないか、これは新しい音楽だとやってみても、結局壁にぶち当たるような感覚だったんですよ。どうしたらいいんだ?自分はできるだけのことをしてボーカリストとしてふさわしくなれるように一生懸命やるんだけど、悪い方に向かうような感じがいつもしていました。
「雪の華」が出たとき皆さんが愛してくださるのを見て、こう言われているようでした。お前こうやってもいいんだから、こうしろよ。そんなふうに感じたから勇気をもらいました。
実はこの歌はまるで本を読むみたいに歌ったんですよね。いつもすごく感情的に歌っていたから、本当に何も考えず楽に歌ったんです。そうしたらそれが良いんだと。
うん、うん。
もう一つ思い出があります。「雪の華」を(?)、ジェイルは覚えているかわからないけど、(実際は)昨日読んだから覚えてるだろうけど。
思い出さないようにしてたのに。
ごめんごめん。話してみてよ。「雪の華」で思い出す事ある、ジェイラ?
何年前かな、7年前だよね。
そうだね。この曲がもう15年経つから。
夜明けまで練習して外に出たら白い雪が止めどなく降って…いました。誰にも踏まれた跡のない真っ白で柔らかい雪でした。だから何かにせかされるようにギターを出して雪の上に座って2人で歌って…。
僕はその時の記憶が、自分が経験したことなのに、どこかで見た景色みたいな気がする。絵みたいに。すごく現実感がない。ものすごく美しかったから、雰囲気が。「雪の華」を歌ったり聞いたりすると、いつもそのことを思い出します。
前にその映像を上げたことがあるな。ごめん。許可も得ないで上げてしまった。
いいさ。
デビューして人からは歌が上手いと言われた。でも自分のスタイルじゃない。
「雪の華」の前まで歌い方で悩んでいた。自分じゃないような気がしていた。「雪の華」で初めて、自分の声を生かすことだけじゃなく『曲を生かす』という考えを持った。曲を生かすためにはどう歌ったらいいのかと。色々練習もして研究もしたが、結局は初めに録音した物を使った。
ジェイル氏に10歳の時に音楽をやっていたか聞くヒョシン氏。やっていたし、働いていたというジェイル。働いてたの?! 驚くヒョシン氏が9歳は?8歳は?と続けて聞くと、ピアノもギターも弾いていたと同じように淡々と答えるジェイル氏。少し意地になって7歳は?と聞くと、同じく淡々と「기억 나지 않습니다. 覚えていません」
(この返答に会場大爆笑。このニュアンスを残念ながら私には伝えられない。
それ以外にもジェイル氏が何かいうたび沸き起こる笑い声。狙っているわけじゃないのにこの面白さは何?嘲笑とは対極の、だから愛さずにいられない、というような暖かい笑い声。)
今年は20周年だけど、20周年ですっ!て主張するような演出はやめようと言いました。今年豪華に特別に何かして、来年になったらどうなの?他の年は重要じゃないみたいになる。そうじゃなくて、20周年もただ過ぎていく時間の一部だから、そんな風に自然にやりたかった。
普通20周年とかだとそんなタイトルのアルバムを出したりするけど、そうすると、へんに整理されてしまう感じがする。この20年はファンの皆さんに作られた時間、みなさんの助けでできた20年であり、これからもそうしたい。今と同じように歌って、楽しくやっていきたい。
座っていた後方からセンターステージまで、床に2004年から現在までの年号が映し出され、その時代の出来事を語るヒョシン氏。途中「追憶は愛に似て」を口ずさむ。この頃は何をしていましたか?とジェイル氏に2~3回聞くが、その度に「自分の人生を生きていました」と答えるので笑いが起きる。
「この頃も自分の人生を生きていたの?」と先に聞くヒョシン氏。「はい、生きていました」と会話練習のようにまじめに答えるジェイル氏。(面白すぎる)
2010年頃の場所で同じ質問をすると「別に何も…。」と答えるジェイル氏。僕と出会った年だろ!と責めるヒョシン氏。同じ質問を繰り返すと「ヒョシンさんと出会いました」と訥々と答えるジェイル氏の姿に満足そうなヒョシン氏。
2011年、噂にだけ聞いていたジェイルさんに「あそこ」で会い、2012年のWar is Overを一緒にやった。2013年共作を本格的に始めた。歌って、ビール飲んで、曲を作った。
その頃、また音楽をするのが大変だった。誰のために何のために音楽をやるのか分からなくなっていた。人のため?自分のため?
あるがまま今したいメロディをやってみようとした。何かが整理できるかもと思ったから。それではだめだと反対もあった。
自分の個人的な想いだから受け入れてもらえないと思っていたが、発表してみると実際は違った。その頃作業していた小さなオフィステルにこもって1週間毎日泣いていた。
共感してもらえるんだな、世の中には自分が思う以上にたくさん辛い人がいるんだなと思った。手紙ももらった。
それ以降多くを捨てて自分を変えていった。だから野生花は自分を作ってくれた曲だ。
(そして2014年の野生花に続く。)