3月11日、午後14:46 僕はこの瞬間を今後
忘れないし、忘れてはならない時だと思う。
僕は東京の自宅にいたが、今まで体感したことのない
揺れに数年前からよく言われていたそろそろ東京圏にも
大地震が来るというのが「ついにきたか!」と察知し
一瞬、死さえ脳裏をよぎった。
すぐさま家族にメール(電話を試みたがつながらなかったので)
をし、TVをつけた。
TVではアナウンサーがあきらかに動揺しながらも、懸命に
事態の収集を試み、まずは落ち着くように、身の安全を第一に
考えるように呼びかけていた。
間もなく、最初の地震よりは小さいものの余震が続き
なかなか落ち着くことができなかった。
さらに衝撃は続く。
TVでは津波の到来を呼びかけ、東北地方海岸沿いにいる人は
一刻も早く、非難するように呼びかけ、数分後僕は
LIVE映像で、目を疑う光景をみることとなる。
BBC NEWSでの映像がこちら
津波が、家を、車をあらゆるものを飲み込んでいく。
「まだ車が走ってるぞ!」僕は映像を見ながら叫んでいた。
映画の世界の出来事と思っていたことが目の前で起きている。
津波の恐ろしさを痛感した。
甚大な被害。
津波が少し引いた後の、被災地には家屋や車などの
残骸しか残っていなかった。
僕は、原爆を被災したことはないがこんな感じなのかとなぜか思った。
幸い、家族は無事だった。
父親は、会社から3時間ほどかけて徒歩で帰ってきた。
幸運なことに僕の家族や友人に大きな被害はなかった。
(当たり前だが)TVは全て地震速報が永遠と続く。
急に無気力感に襲われた。
それは、この大地震で多くの人々や今まで築いてきた財産が
一瞬で消滅してしまったこと、そしてそんな光景を目の前にし
何もできずただTVを眺めている自分に呆然としたからだろう。
が、携帯でふとtwitterのTLを見てそんな気持ちも少し吹き飛んだ。
TLはほぼ100%地震に対する情報や情報を得るためのツールの情報や
これから注意しておくべきこと、僕たちが今できることをみんなで
共有し合っていた。
さらに#pray for japanというタグにより海外からも「日本がんばれ!」という
支援の声が多く届けられた。
また、公衆電話の無料化、WiFiスポットの無料化、帰宅困難者のための避難所や
寄付金を募るサイトが次々と開設された。
さらに翌日には保険会社が災害免責はてきようしないと発表した。
原発から放射線が漏れる可能性があるという非常に恐ろしい事実も判明した。
まだ、安心などできない。いや、これから甚大な被害状況が判明し、より一層
厳しい状況になるだろう。
しかし、本当に多くの人が被災地で救助にあたり、遠くの人は支援物質を送ったり
twitterやFacebookで支援を呼びかけていた。
立ち止まっている暇はない、絶望はある。しかし前を向いてできることを淡々と
やるしかない。僕は家の余分な電気を消し、節電に努めた。
今回、震源地から近い位置(東京)にいたことで、当事者として地震の
恐怖、津波の恐怖をまざまざと感じた。
今日はまだ、地震発生から2日しかたっていない。
あいかわらずTVも地震速報だ。
日本が負ったダメージは計り知れない。
この事実を重く受け止め、自分が今何ができるかを
短期的、中期的に考え、できることを淡々とやっていきたい。
被災されたみなさまには、心よりお見舞い申し上げます。
また、一日も早い復興がなされることをお祈り申し上げます。