No Border 生きる。ベトナムで。

No Border 生きる。ベトナムで。

自分は自分でしかない。 I'll be there.

初めに言っておくと事業は順調。

 

停滞は個人の問題。個人として停滞していると

強く感じる。詳細を分析・内省すると長くなるので

省くが、これまでの「なんか変えなきゃなー」という類の危機感とは

異なる、「脱却しなければ致命傷になる停滞感」を己に抱いている。

 

脱却のための鍵は何か。「若いころあったワイルドな感性・行動力」だろう。

 

20代は行動した。結果、今の自分を作ってくれた。当時の自分には本当に感謝してる。

当たり前だが、いくら頭で想ったところで状況は変わらない。

行動のみが、行く末を変えるキッカケになる。

 

今の生活を個人として続けていたら10年後の自分はおそらくとてつもなく

つまらないオッサンになっているだろう。個としてなにもできず、誰にも頼れず

プライドだけが無駄に高く、でも行動もできない。想像がついてしまう。

 

変えるなら今だ。むろん、変えようとう気概ほど無意味なものはない。

アクションしかない。まずは、色々な場所に行こう。足を運ぼう。

その結果、様々な人に出会おう。価値観が合わない人も多々いるだろう。

それでいい。自分の頭をガンガン揺さぶって疲弊して、その先に行き着く

考え方、変化があるだろう。

 

動け、自分。動け、自分。10年後の自分に言われている気がする。

今が一番若い。変に気負いせず、ただやればいい。周りを気にするな。

 

20代前半のときの自分を思い出せ。ワイルドに生きよう。

 

 

堅苦しいタイトルだが、これはベトナムに住み始めてから

本質的にもっとも重要且つ重いテーマである。

 

ベトナム在住の日本人の知り合いが本をだしていてそれを読んだ。

詳細は割愛するが、今の自分が抱えているあるテーマとも関連し

深く考えさせられた。

 

自分はベトナムでの生活に不満を持っている。というかイライラすることが

あり年々増えている気がしている。

 

日本と比べれば、(日本人視点で見ると)不満を持つ事項は確かにある。

でも、それを言い訳に「ベトナムに対して自分から寄り添っていこうとしない」

言い訳をしているのではないか、と自分に問うと、正直なにも言い返せない。

 

これは名著、嫌われる勇気 でも書かれていたことなのだが

出来事→理由 という順番ではなく、 

理由(そう思いたい)→出来事を結び付けているという思考の罠に

はまっているということ。

 

例えば、自分がベトナム語が今も話せない理由について、本質的な原因は

「勉強していない」「話す練習をしていない、話そうとトライしていない」

ということなのだが、

それを「ベトナム生活は不満、だから自分がベトナム語を話す理由はない」と

当てつけの理由をはめ込んでいるだけなのだ。

まあ、完全に糞な人間の思考、行動形態である。

 

そんなに嫌ならベトナムを去ればいい。でもそれができない。

なのに、ダラダラと言い訳をして変われない自分がいる。その嫌悪感を

周りに、家族に、にぶつけている。そしてそれすらも本当は(メタ認知で)自分では

わかっている。それが、この8年間、ずっと心の中でくすぶり続けていたこと。

 

だから、今の自分にその本の内容が刺さった

(なお、本のテーマは上記とは直接関係ない)。

 

ではどうするか、人を変えることはできない。ならば自分が変わるしかない。

具体的にどうする?ベトナム語を周りの人に話してみる。

そこから始めてみようと思う。9割がた、通じないだろう。それでもトライするしかない。

自分がベトナムという国を理解し、寄り添っていくために。

 

 

 

 

 

 

 

日々みかける熊本の地震の被害状況は心苦しくなる。

災害という誰にもコントロールできない現象と常に向き合い続けなけければ

ならない日本という国。それでも日本人の正常心、道徳心があってこそ

被害を最小限に抑えられているのかもしれない。

 

一方で。

 

とあるニュースを見た。

ベトナム人の若者5人組が瓦礫の下敷きになっていた高齢のおばあさんを

助けたという内容だった。実際は、日本人も助けに入っていて

ベトナム人たちは、サポート役で日本人主導でおこなわれていたようだが

記事中ではベトナム人が特にフィーチャーされていた。

 

そしてその記事についたコメント。ざっくり半分以上が

「なぜベトナム人をメインに報道する?」「実際は日本人が主導したんでしょ?」

「ベトナム人は犯罪も多い」「こうゆうときだけ、パフォーマンスしないで」

 

というものだった。

 

初見での、あくまで個人的な感想だが、上記のようなコメントをしている

日本人の偏屈さ、心のゆとりのなさ、素直さの欠如、を痛烈に感じた。

 

もちろんこれはあくまでコメントの一部。日本人全体を総体しているわけではない。

でも、なんとなく日本人の結構な数が同じような意見を持っている気がしている。

(根拠はない、が、空気感でわかる)

 

もし自分がベトナムで同じように災害にあった場合人助けができるだろうか。

もしくはしようと思うだろうか。おそらくそこまで余裕はないだろう。

助け方が、良い悪いはあるだろうが、困っている人を助けようと動いたその

心情や姿勢があったのは事実。それが主導であれ、わき役であれ、事実。

その点に対して、素直に捉えずどうもねじ曲がった角度からネガティブな

私見をねじ込んでくる。フラットに物事を見れない。その偏屈さに

正直失望する。

 

おそらく、ベトナム人はそこまで深く考えていない。

もっと動物的な本能で動いている。細かな方法論や理屈ではない。

 

もちろん日本という国では捉えられ方がベトナムとは異なるのは

おかしいことではない。でも、海外在住歴13年を超えた自分としては

どうも、その人間の邪悪さ、ねじ曲がった鬱憤感な思考に拒否感を覚える。

 

以前、オリラジのあっちゃんがSGから本帰国した際の一部の

ネガティブな反応も同様。

 

ただこればかりは日本にずっと住んでいる人からするとまた違う視点で

みえているのだろう。

 

が、自分はもう相いれない体質になってしまったのだと、しみじみ思う。

ベトナムはよりピュアな本能的な部分、日本は統制された外部圧により

インストールされた道徳観という名の刷り込みがより強くなっていくだろう。

もう1年、という気持ちと、まだ1年なのか・・という気持ちの両方。

 

この1年は色々あり過ぎて毎日が必死過ぎて、時間経過を追うことが

正直できていなかった。でも、下の子供が歩けるようになり

W杯が終わり、上の子がまもなく5歳を迎える事実を鑑みると

やはり1年という時間が経ったのだなと、しみじみ感じる。

 

この1年をあえて2つに分けるなら、「8月からテトまで」「それ以降」

に分けられる。前半は、本当にマジで、この上なくキツかった。

 

・売り上げが思うように上がらない

・妻とほぼ毎日喧嘩によるストレス

・幼児を育てる苦労(およびヘルパー採用難航)

・絶望的な体調不良

 

が重なった。どこかで根拠なき自信はあったが実態は

そう簡単にいかない。また、営業面で痛感した個人の力量

信頼度の薄さを身に染みて感じた。ただその場で立ち尽くす時間すら

惜しく、即座に次のアクションを起こし続けた。

それは妻も同じだったと思う。

 

ただこの期間に起こしたアクションとして「SNSを強化した」ことが

後に繋がる。そう、結果がでていない(結果がでるまで時間がかかる)

ときのアクションこそが実はこの上なく大事であることを今になって

痛感する。

 

X、Youtube(今はほぼ更新できてないが・・)を集中的に取り組んだことにより

飲食関連で声をかけてもらうことができ、結果大手飲食店さんでの

契約に結び付いている。Youtubeも創業期のストーリーを今もなお残せていることは

大きい。

 

 

 

そして後半戦。確実にお客さんを増やしていくことができているフェーズ。

もちろん、まだまだ見込み客は多く契約できていない部分は多々あるが

この時期になると、売り上げ増加による、在庫不足→輸入→しかしCashがない

つまり資金繰りをより心配するようになる。それは今も続いている。

 

しかしこの課題は前半の課題に比べれば正直屁でも無い。ポジティブな課題だからだ。

 

結果、ちょうど1年経った今の進捗は起業前に描いていたものと

ほぼ同じ(むしろ上回っている)だ。

 

ただ、全く油断はしてはいけない。なにか予期せぬことがあればいつ吹っ飛んでも

おかしくない。早急に資金繰りを安定させることが現在不可欠で同時に

いくつか仕込みもしている。そして人間関係の強化。これは中長期的に欠かせない。

 

ようやく今年後半にかけて、日本に行ったり、ハノイ、ダナンに行く機会がありそうだ。

動き、人に会い、さらに事業を大きくし、組織も盤石にする。

 

まあ、焦らずいこう。楽しもう。

 

ようやく1年。そして次の1年のスタート。1歩1歩着実に。

 

 

 

 

この2日間、義妹の結婚式のため妻の実家に帰省。

(妻の実家で式は開催)

 

たったの2日間だけだったのだが、とにかく疲れた。

心も身体も。

 

式の前日夜から現場入りしたが、とにかく人が多すぎ。

それが深夜、早朝まで家の中でよくわからない人がいて

ごった返し。式当日も朝から宴が始まり、終わってもなんだかんだ

常に人がいる時間が続き、心が休まる気がしない。

まあ、日本人は自分1人で完全ベトナム語の世界で頼れる妻も

子供の世話などで自分へのケアはすることができなかったのも大きい。

 

さすがに2日目の途中から自分だけホテルに逃げた。

ただ身体が疲弊し体調が凄まじく悪く、ギリギリで3日目朝にHCMに帰還。

 

義妹の結婚はめでたいし、日本語が話せる数少ない家族の1人だし

色々助けてくれるし、心から幸せになってほしいと思う(旦那も良い人そう)

 

ただ、正直、妻の実家(と周囲の人間関係含めた環境、カルチャー)は

マジで、マジで嫌いになった。「ちょ、ちょっと敬遠・・・」というレベルではなく

圧倒的な嫌悪感でいっぱいになった。

 

まあ、あっちが悪いわけではない。あっちはあれが素で、普通だからだ。

ただ、日本人(おそらく日本人なら誰でも同じ)には、無理な環境だ。

耐えられない。

 

うるさい、汚い、人多すぎ、不便・・・ と言ってる自分が悪い人に

思えてしまうほど、劣悪な環境。そして言葉が通じず、カルチャーも違う。

 

 

 

わかったこと。

無理なものは、無理!わがままではなく、それが自然の摂理だということ。

合わないものを避ける権利は自分にもある。自分を犠牲にして我慢する必要はない。

 

だから、おそらく今後はもう妻の実家には行かない(ちょっと寄るくらいはあるかも)

だろう。結果自分のため、ひいては家族のためになる。

 

ベトナムに住んでいるからといって、なんでもこちらに合わせる必要はマジでない。

でもここはベトナム。だから、合わないものに自分から近寄らない、がベター。

自分でコントロールできることに集中し、取捨選択して賢く生きていこう。