天下三分の計☆彡すでに【水魚の交わり】の予感!? | 【諸葛孔明先生】って知ってる?

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孔明先生一筋34年★【武侯墓公認】孔明先生の回し者・玄子(げんし)が「古代漢字✖︎剪字」で現代に甦らせる!孔明先生の文魂(あやだま)

孔明先生に私淑(ししゅく)している玄子(げんし)です。

 

天下三分の計*ブログセミナーの続きです。

始め(原文全文)から読みたい方は、こちら ←から。

 

〜今日はここから〜

荆州北据漢 沔 利尽南海 東連呉会 西通巴 蜀

此用武之国 而其主不能守

此殆天所以資将軍 将軍豈有意乎。

荊州は東西南北に通じる用武の地。
しかし、太守の劉表は荊州を治める器に非ず。


これはまさに天が、荊州を将軍(玄徳殿)に
賜っているとしか思えないのですが
将軍の意向は如何ですか?(どう思われますか?)

 

 


↑天下三分の計の要ともいうべき地

荊州の太守、劉表を頼り
↓客将として新野城を護っている玄徳殿。

劉表への恩義から
髀肉(ひにく)を嘆きながらも
用武の地(戦略上における用地)で
何も出来ない状況が続いていました。

 

ちなみに、髀肉の嘆とは

自分の能力を発揮する機会のないことを嘆くこと。

 

出典は玄德殿です!

若かりし頃は馬にまたがって、戦場を駆け巡っていたので、引き締まった体でしたが、平和な荊州へ来て、戦場へ行く機会もなくなった玄德殿は髀肉(モモの肉)がついているのをみて、唖然、、、。

 

漢王朝の復興を志しているのに、、、何やってんだ、俺は!!!イライラと嘆きに襲われたのでした。

 

それが、髀肉の嘆。

 

「俺ももう、こんな歳か〜。しょうがないよね、だって人間だもの。中年になると皆、こんなもんでしょ?孟徳(曹操閣下のことです)もきっと同じだよ。それどころか平均的な同年代の人に比べたら、俺なんてまだ良い方だ」

って普通は思うところを

 

「俺は髀肉を嘆いているのに、孟徳はすでに天下の大勢を手中にしているではないか!このまま人生を終えて良いのか?」

 

諦めることなく何とかしようと行動して、三顧の礼を尽くし、そして今、まさに人生の大逆転ともなる「天下三分の計」を孔明先生に進言されているのです。

 

孔明先生を惹きつける衰え知らずの人徳☆彡

何よりもこれが玄德殿の底知れない凄さ。

 

image

 

玄德殿の器は大きすぎるので、その凄さは目立たないし、何とも思われないけど、50歳を目前に、志を諦めることなく、二十才も年下の相手に頭を下げられるか?って言ったら、自分に置き換えてみたら、それはもう、ただ事じゃないのです!

 

後世の人間的にいうなら、帝になる方はやっぱり違う、のです。

 

嘆くのは簡単。

大事なのは、そこから先、どうするのか?

 

玄德殿の覚悟と情熱が形となった【三顧の礼】に感激したからこそ、孔明先生も、自身の命運と人生を懸けて天下三分の計を打ち明けました。

 

荊州の太守、劉表は孔明先生の奥方のおばさま、の旦那!ですが、孔明先生は冷静に「劉表は荊州を治める器ではない」と断言。

 

「天が荊州を将軍に賜っているようなものではないですか?」

というのもお世辞ではなく、客将でありながら将兵や民衆に信頼されている玄德殿ならば、荊州を治めるのに相応しい。

 

早い話が、玄德殿は劉表以上の器の人物である、と分析しています。

 

兵力や権力ではなく【一人の人間】としての玄德殿を見ている孔明先生と、肩書きや年齢差に関係なく【一人の人間】として孔明先生に教えを求める玄德殿。

 

後世論ですがこれはもう、すでに水魚の交わりな予感ですな(*^O^*)

 

が、一つだけ大きな違いがありました。

それは、、、

 

玄德殿は荊州でどうすれば良いのか悩んでいたのに対し、孔明先生の目は荊州だけには留まっていませんでした。

 

荊州を足掛かりにするのを前提とした
孔明先生の構想は、ここからが本番!

 

孔明先生が自作の地図を広げて
玄徳殿の前で指差した場所とは─