悲しいことなんていっぱいある。
いやなことなんていっぱいある。
たぶん。
だけど、それを表現するのが苦手なんだと思う。
冗談ばっかり言っている。
いいことを見つけるのが好きだ。
しあわせな気持ちになる。
先日、あるブログに出会った。
私の言葉では、どう説明していいかわからない。
楽しい話ではなかった。苦しい経験のほうの話。
だけど、とても優しくて、人がそのまま全部包まれているみたいだった。
自分が生まれたのは、まずかったと思ってる。
べつに、悩んではない。
それで死のうとかでも、ぜんぜんないよ。
ただ、自分の存在が原因で、家族が壊れた。
記憶の始まりのころから、わかってる。
食べ物にも、寝るとこにも、困ったことがない。
私の問題なんて、重い荷物を抱えてる人たちの間で、ささやかで恵まれたものだと感じてる。
ただ、何もないのに涙が落ちるのは、悲しさを表現できないからなのかもしれないと思う。
まわりのひとに笑っていてほしい。
そのために、私が笑っていたい。
あのブログを読んで、幼稚なくせに、自分も何か言葉にしてみたいなんて願ってしまって。
ネガティブなこと、誰かをいやな気持にさせるかもしれないこと、言葉になって出てこないのに。
「風さん」は詩人で、私の友達だった。
親子ほど年が離れていたけれど、風さんはまだ子供だった私の言葉が好きだった。
風さんの詩は、私にはいまいちよくわからなかった。
私が大きくなっていく間ずっと、風さんは私の親友だった。
そっちも親友だと思ってるんでしょ?って、一度言葉にしてみればよかった。
思いかけずある日ぽっくり亡くなって、
気配を探し続けていたら、風さんのお母さんが、風になったと思うことにした、と笑ったから、
とりあえず「風さん」としておくね。
聞こえたら、こたえてほしい。
どんなことばで言えば自分を表現できる?
どんなことばで書けば誰かとわかりあえる?
風さんの体がそこにないから、風さんの声がいつもよく聞こえない。
昔は、言葉のこと、地上のこと、いっぱい話せてたのに。
そういえば、相談してくるのはいつも風さんのほうだった、大人のくせに。
だから好きだった。
風さんは私の言葉を信じていた。
私、いまは英語の勉強ができてて、遠い国の人と仲良しになってるんだよ。
風さんしか知らなかった私を、近くで見守って、応援してくれる友達もいる。
やっぱり、嬉しいことばかり言葉になる。光ってて目に入ってくる。
田舎で独学だから「森の奥 ひとり英語」なんて言ってみたんだけど、ひとりじゃないね。
風さん、言葉が好きだ。わかるでしょ。