山あり谷あり備忘録 -16ページ目

山あり谷あり備忘録

2011年お正月。いきなり卵巣癌の告知を受け、日々、手作繰り状態で癌と闘うzeroの、のほほーん日記です。少しでも同じ病で悩む方のお力になれましたら幸いです。。。

手術から一週間ほど経った日の朝。

キズの消毒に来てくださったN先生が、私のお腹のキズを

確認して、おもむろに、プチプチとホチキスを抜き始めました。


...うぅ、ホチキスの数、数えたかったのに。。。

N先生、20個くらい?抜いたところで手を止められました。

全部抜けたのかとお聞きしたところ、「ううん。半分ね」と。。。

そんなにたくさんのホチキスがくっついていたのですねぇ。

翌日、主治医のO先生が残りのホチキスを抜いて下さいました。


「うん。キズの治りは早いね」とO先生。

「うん。うん」と頷いて下さる看護師さんたち。


それまで、恐すぎてキズを直視できなかったのですが、その一言で

安心し、目線をお腹へ...


うっ、線路だ。お腹に20センチの線路。おへそのとこ、迂回してる。。。


残念なお腹にガックリしつつ、他の方からの「どの先生が上手でした?」

との質問に、しばしキョトン。

ちゃんと聞いてみたところ、どの先生がホチキスを抜くのが上手だった

かということを聞いていたようでした(笑)。

N先生も、O先生も、全く痛みは感じなかったので、そうお伝えしたら

「やっぱりO先生よね。優しいし」って...(笑)


そうなんです。

閉ざされた婦人科病棟でのちょっぴりホットな話題は、ずばり「先生」に

ついて(笑)。

若いお嬢さんから、ご年配の奥様まで、幅広い年齢層の婦人科病棟

ですが、とくにこういう話題にのってくるのは、30~40代でしょうか(笑)。


あの先生がいい、この先生がいい(笑)。

あの看護師さんがいい、この看護士さんがいい(笑)。

持ち寄ったお菓子や雑誌片手に噂話は尽きません。


一緒にお茶をとりに行ったり、お手洗いに行ったり、病院内を探索したり、

屋上にお散歩しに行ったり...

こういう感じ、すっかり忘れていましたが、女子寮な感じ、ですか?


屋上へ行くことにはすっかりハマってしまい、一緒に行ったり、一人で

行ったりと、毎日のようにお散歩に行ってました~♪


日曜日のお昼頃に行くと、近くの教会から激しくも心地いい鐘の音が

聞こえてきて、深く心が癒されました...


■入院中の一日の流れ


6:00    起床

6:45    検温

7:30    朝食

9:00~   回診、キズの消毒

       点滴、検査など


12:00   昼食

13:00 ~ 点滴、検査など

14:00   検温


18:00   夕食

19:30   検温

21:00   消灯


たくさんある暇な時間に入浴や洗濯の予約をとり済ませます。

ほとんど、食事、治療、検温でまわっているような毎日です。

療養中の身とはいえ、とても退屈です。

でも、毎日過ごしていると、これが不思議と日常になってきて

しまうのですよね。。。


この日常に非日常をプラスするのは、お見舞いの方々。

病院の中で完璧に守られてぬくぬくしている私たちに、大震災後の

現状を一番わかりやすく知らせてくれるのは、テレビでもラジオでも

なく、やはり現実に暮らしている人々です。


計画停電のこと、交通情報、お店から消えてしまったもの、、、

お見舞いにいらした方々から得た情報は、すぐにみんなの耳に

入ります。

現状がわかっていないだけにつのる不安感や焦燥感。

お隣のベッドにいらした方の旦那様は、一人暮らしをしている私のこと

まで心配して下さって、わざわざ、宅配で食材を入手する方法や、

退院時の足の確保の仕方などを調べてきて下さいました。


あまりの厳しい現状に、身内や友人の心配をしてみるものの、

みんなから返ってくる言葉は、「一日でも長く入院していた方がいい」。

そういうわけには行かないのはわかっているのでしょうが。。。


私を心配してくれる気持ちと、今、病人に出てこられてしまうとこちらが

大変だという気持ちの両方だということは、私にもよくわかりました。


がっちりと安全な場所で守られている立場なのに心配をされてしまう。

どうにもやるせない気持ちでいっぱいでした。。。

自分にできることは何だろうと考えても、結局、治療に専念して元気に

なることしかないという結論に至ります。


まずは、色々と大変なみんなに心配をかけない自分になるしかない、

ということですよね!


3月11日、金曜日。

この日は、数え切れないほどの、かけがえのない大切なものが

失われてしまった日となりました。


その日は、午前中に最後の管を抜いていただいた解放感から

あちらのお部屋こちらのお部屋と歩き回って、自由になったことを

浮かれながらアピールして回っていました。


昼食をいただき、午後の検温を済ませ、何もすることのない時間を

ベッドに横になりながら過ごしていた午後3時少し前。

今まで経験したことのないほどの激しい揺れが襲ってきました。


ベッド脇にあるテーブルの上のものは全て床に落ち、ロッカーの扉は

ガンガンと激しい音をたてて開閉し、窓はミシミシと音をたてている。

もちろん立っていることなどできず、みんなベッドの枠につかまって

地震がおさまるのを待つしかなかった。


なかなかおさまらない揺れがおさまったとき、みんな、本当に揺れて

いないのか、それともまだ揺れているのか、わけがわからない状態

で、呆然としていました。

病棟内を走りながら患者さんの様子を確認する看護師さん達の

足音と大きな声で我に返り、今起きたことを必死に確認する。


すぐさま一人の方がテレビをつけ、ボリュームを上げてくれました。

...テレビも、どこもかしこも、混乱している。


電話はもちろん繋がらない。

メールは、タイムラグが生ずるものの、辛うじて使える。

とりあえず、思い浮かぶ身内に片っ端からメールを送り、こちらの

無事を伝えました。


東京の交通網は壊滅状態になり、都心で働く方々の多くは帰宅の

足を奪われました。

会社に泊まる人、何時間もかけて歩いて帰宅する人、、、


私の兄も義姉も、6時間以上かけて会社から、子供達を預かって

いただいている地元の保育園まで歩いて帰りました。

保育園からは、子供達は無事だとすぐに連絡が入ったものの、

すぐにそばに駆けつけたい思いで必死に歩いたのだと思います。

深夜の保育園についてみれば、残っている子供の数より多いだろう

とおもえる人数のベテラン保育士さんが勢ぞろいで子供達を守って

下さっていたそうです。

皆さん大変だったでしょうに、ありがたいことですね...


今回の大震災では、見つめ直すことがたくさんありますね。

膨大すぎて、大切なことすぎて、その一つ一つをすぐにあげることは

出来ません。。。


まずは、これから生きて行く中で、常に心にとめておくことが大切

なのではないかと思っています。

短期的なことにしてはいけないのですよね。


今回の大震災で、お亡くなりになった皆様に

                      心よりお悔やみを申し上げます。


そして、被災をされた皆様に

                  どうかお力を落とされませんように...

            日本中のみんなが真剣に考えていくと思います。

                   一緒に美しい日本を取り戻しましょう!