昭和56年生まれが株FXとか原油とかに投資するブログ -15ページ目

昭和56年生まれが株FXとか原油とかに投資するブログ

気づけばもう40歳になろうとしている
20歳のころから大して変わっていないのに

御年39歳での初めての大がかりな外科手術だったわけですがまだ若いのかなと思ってしまう点として回復のスピードがありました。

 

健康な時 100

手術日当日 10(呼吸器取れる)

術後1日 30 

術後2日 50 (尿カテ抜く、トイレ行けるようになる)

術後3日 60 (ここでドレーン取れる)

その後 80~85

 

最初がびびりすぎてただけかもしれないですが確実に回復しているなという感じがしました。

トイレに行けるようになる、管が取れていく、歩けるようになるなど過程がいろいろあります。

 

一番とれてうれしいのはなんといっても尿カテーテル

トイレに行く必要もないし、漏れることもないが絶対に入れたくない。もう二度と老人で寝たきりでもない限りいやだ。

 

痛いわけではないけど、とても気持ち悪い。

看護士さんが定期的に尿の量を測って、捨ててくれるんだけど

今膀胱にある尿を全部出し切ろうとして、カテーテルをプルプルさせる(尿道にまで響かせるつもりでやっているわけではないけど)

すると微妙に尿道が揺らされて気持ち悪い。かすかに痛いというかやられてる感覚がある。

けどそんな小さなことで嫌だともいえる大人ではないので耐える。

 

もう二度とつけたくない…

カテーテル抜くときももう、考えたくないくらい気持ち悪かった。一気に行ってくれ、早く終わってくれとしか思わない。

直後のおしっこは痛いかもしれないけど頑張って出してくださいねと言われたが、対して痛くも無く、抜けた喜びが圧倒的に勝る。

 

私には腰骨手術痕用と首の手術痕用に日本のドレーンがついていた。

術後の無駄な水分や血液を吐き出してくれるとても重要なドレーン。

歩けるようになってからはドレーンバッグがお友達。

腰骨のドレーン管はトイレするときに間違って巻き込まないように注意が必要で、早く抜けてほしかった。

順調な回復で3日目には抜けて、あーようやく点滴だけになったーーーと開放感が出たのを覚えている。

 

病院食は質素で味気ないという人もいるかもしれないが、幸せ閾値が低い私には十分においしく、おやつも一回も食べなかった。

病院食と水だけで過ごして、退院までに4キロくらいやせた。

 

歩けるようになったといっても腰骨取ってるので、最初は歩行器(まじで最初だけ)、あとは点滴棒を握って何回かリハビリをした。

といっても老人ではないので、普通にあるけるなーと思いながらリハビリのお兄さんと話して歩くくらい。

痛みとかがあれば相談しやすいので、あれはあれで必要なのだろう。

 

傷口を毎日看護士さんが見てくれて、回診の主治医からいつでも退院していいよと言われたのが手術から1週間後だった。

シャワーはその間一回。5日目くらいに許可が出て使っただけ。そのあとは明日退院ならいいやという感じ。

あっというまの1週間。頚髄症で首をぱかっと手術した割には直りは早い方だと思われる。

 

だけど、まだ骨盤は痛いし、足は引きずってる風にしか歩けない

何より寝るときにまっすぐになれないくらいには首が痛い。首といっても手術痕は大丈夫。骨を入れた首自体が痛いのだ。

横になっても痛いから、ヨギボーに埋もれ、U字のでかいのも組み合わせて肩から腕で首を支援しながら眠りにつく。

カラーもあって横もむけず、ひたすら上を向いて痛くない個所を探して寝る。

痛すぎたら定期服用の痛み止めにプラスして、頓服でも最大量を飲む。

頓服の痛み止め少なくないですか…w

 

手術日から2週間がたった。

ようやく布団で寝れた。カラーはつけたままで、ほぼ上向いて寝返りはしなかったけど、やっぱり布団で寝るのが一番。

ここでポイントなのが枕で、人によって違うと思うけど低反発で首の形にあったものをぜひ買った方がいい。

変なカッコで寝て、また悪化とかいやだもの。痛くない状態で寝れる。これは幸せだ。

 

長い夜だった。寝れないわけでもないが、なんせ体が痛い。

冷蔵庫まで手も伸ばせないので、ぬるい水をちょいちょい飲みながら生きようとする。無くなったら様子を見にいた看護士さんに補充してもらうのだ。

 

短い睡眠を繰り返し、痛い腰やお尻を少しずつ動かしてだましだまし乗り切った一晩。

人は水だけでも元気になれる。

 

朝食が出てきた。重湯とかゼリー。赤ちゃんみたいな食事だがうまい。

なんせ1日絶食しているので、流動食でも致し方ない。

味をかみしめながら、カラーもあるので大きく開かない口で流し込む。

生きている気がする。

 

すると突然の吐き気からの全嘔吐

テーブルに置かれている受け皿みたいなのを顎につけて必死に受け止める。危うくこぼれそうだ、ナースコールを押さなければ。

ところがナースは忙しい。そりゃそうだ、患者は一人ではないから。

吐いた状態で必死でこぼれないように耐えながら、右手を伸ばしてナースコールボタンを押す。

「どうしましたかー?」

吐いている途中なので話せないし、ナースコールまで遠くて声が通らない

「あ、、の、、、げぼっ、、、吐いちゃっ、、げぶぉっ、、あの、、げろげろげろ」

 

伝わらなくてもそのうち来てくれる。これが病院。なんとかこぼす前に来てくれたのでうれしかった。

なお、この後もう一回同じ事象に襲われて、痛み止めの麻薬かなぁという話になった。

そう、フェンタニルである。あいつの投入音がぴぴっ、ウィーンってなってから吐き気がする(気がする)

 

投与量を大幅に減らしたことで、そのあとは吐かずに過ごせた。麻薬怖い。

麻薬なんだから気持ちよくしてくれよせめて。

 

なお、吐き気といっても一瞬で吐いたら終わり。二日酔いに比べれば大したことない気もした。

 

昼、夜の食事も完食した。

食欲はある。が、口が開けづらいので食べにくい。

そして、なにより胸がつかえる感じがする。

まぁあれか呼吸器を入れたりしたから、気道あたりが炎症でも起こしているのか…

と思っていた時期もありました。詳しくは後遺症の回で

朝起きて、すぐに手術準備

 

手術着に着替え、フルチンで一人の看護士さんに運ばれていく

いや、歩けるんですけど。。。

首も曲がらないので、担架で見上げる天井はなんか不思議でした

 

手術室に運ばれ、自分で手術台へ移動していいよと言われスライド

麻酔の機械が最新のが出払っていて、レガシーなの使うってさ。知らんけど

 

全麻は初めての経験だったけど、抵抗なんて絶対できないのか。意識がある間は感覚を一生懸命観察していたけど、ぷっつり記憶がない。

 

起きた時には「無事終わりましたよー」とのこと。ご家族にも電話しておきましたと言われたような言われていないような。

正直覚醒はしてもらっているけど、ここから半日くらいはぼんやりした記憶。

 

個室にうつり、ベッドに移されたものの、ピクリとも動けない。否、動きたくない。怖くて。

 

①痛み止めの麻薬や抗菌薬が投入される点滴ルート

②骨盤手術のドレーン

③首手術のドレーン

④両カテーテル

⑤右足につけられたオキシメーター

⑥血栓予防のふくらはぎ圧迫君(両足)

⑦酸素マスク

 

つながれまくっていて動きづらい。動いて取れたら怖い。

そのため寝返りさえできないものの、首の手術後なのでまっすぐに寝れず、ベッドを起こして過ごしている。

お尻が痛い。動かしたいけど怖い。ずっと怖さとの闘い。

 

そして痛み止めが入っているとはいえ、痛い。疼く。

尻も少しづつ怖くても動かすが、それでも位置が悪いと痛い。寝返りって大切なんだな

 

手術後の一晩は赤ちゃんみたいな睡眠で、痛みと怖さとで1時間寝て、痛くて起きる

またちょっと寝て、のどが渇いて起きる とかそんなのばっかり

酸素マスクをはずしてもらうまで喉もうるおせず、本当に苦しかったです

 

健康が一番、水が飲めるだけでも幸せなことなんだなと。

健康状態の体力を100とすると、手術後の一晩は10くらい。きっと他の人よりは余裕があるのかもしれないけど、やっぱり手術は大変で体の負担すごいんだなと感じた日でした