SAMURAI CRONICLE
「テニスの王子様」ミュージカルにおける私見
PROLOGUE
少年誌でこの連載第一回目を読んだ時は、こんなにも女性に人気が出るとは思ってなかった。
主人公は越前リョーマ。12歳。中学一年生。小生意気でクール、だけどとても負けず嫌いなテニスの天才少年。
健全な少年漫画には珍しく、調子に乗った相手の顔面にツイストサーブをお見舞いするようなちょっと性質の悪い性格の持ち主でもある。
が、私は自分の中、本能的にある攻撃的な部分がリョーマのそれと見事に合致したせいもあって、この珍しいキャラクターがとても好きになった。
だが同作のアニメ化によって嗜好者が大幅な隔たりを見せ始めた頃からは、原作からリアリティが失われ、「SLAMDUNK」の様なリアリティのあるスポーツ漫画であればこそ評価出来ると考えていた私には、悲しいというか腹立たしい展開が続き、不動峰の「波動球」を最後に一旦「テニスの王子様」からは離れた。
それが何故、ミュージカルを観劇するまでになったか。
基本、私の中では飽くまでも原作第一で、ミュージカル化した三次元の世界には興味など無かった筈なのに。
答えは簡単。例えば「青学の柱になれ」の最終的な意味とか、手塚がリョーマに求めているものは結局何なんだ?と言うような原作でいまいち理解できなかった部分を補完するのに歌詞と言う形でキャラクターの心情を表現するミュージカルなら解り易いかもしれない、と思ったから。
結果は大成功だったと思う。
CHARACTOR
クールで生意気、負けず嫌い。
物語序盤、何故彼はあんなにも攻撃的で、冷めた性格をしていたのか。それを考えた時、私は単純に「父親以外に負けた事が無かったからだ」と思った。父親以外の世界を知らない、父親の強さが世界の強さだと勘違いしている少年。だから相手を見下したような態度にも出るし、弱い人間になど興味は持たない。
ある意味では父親以外では自分が最強だと自惚れている部分もある。
けれど彼は青学に入学することによって徐々に変わっていく。最初のきっかけは同じ一年である堀尾、水野、加藤。
いい意味で空気の読めない堀尾が筆頭になってリョーマに絡んで行く事で、リョーマはクールに装いながらもなんだかんだと彼らとつるんでいく。
そして次が桃城をはじめとする青学レギュラー陣。ある意味では彼らが必要以上に大人だったからこそ、リョーマは青学テニス部に受け入れられたのだと思う。
そんな中で初めて父親以外にも世界がある事をリョーマに教えたのが部長の手塚国光。
「青学の柱」になると言う目標を得た事でそこからリョーマは変わり始める。クール=冷静ではあるけれど、強くなる事に対して貪欲になって行った。
PSYCHOLOGY
さらに深く越前リョーマという少年を紐解いて見れば、彼の年相応で無い大人びた面は(それがクール=冷静って事なんじゃないかという気がする)飄々とした掴み所の無い父親の遊び相手をしている内に自然と身に付いてしまったもののような気がする。それは初演の柳浩太郎の演技を見ていて発見した事だった。
父親を倒したいと思ってはいるが、邪険な対応をしながらも同時に物凄く尊敬していて、でもそれを絶対口に出しては言わない。
自由奔放ながらも暖かい家庭で育ったリョーマは一見冷めていながら実はとても正義感に溢れた心の優しい少年で、芯には非常に熱いものを持っている。じゃなきゃ桃城に気に入られる筈が無い。
桃先輩はリョーマのヒートアップしやすい性格を理解していて、それがどこかライバルの海堂に近いから放っておけないんじゃないかな。それは山吹戦のリョーマを観ていても結構出ていると思う。
頭にきてボールぶつけ返そうとしたり、関東の氷帝戦前では公式試合前に跡部を挑発してみたり。
そう考えると、一見キャラクターを無視しているように判断しがちな「氷帝 feat 比嘉」における跡部戦でのリョーマソロ歌詞は間違ってないんじゃないかと思う。
関東大会で手塚を倒した跡部。その跡部との試合。自分が挑発した相手。多分心の中はかなりヒートアップしているんじゃないだろうかと言うのが私の想像。
CAST
【初演】
・柳浩太郎(事故前)
キリリとした切れ長の綺麗な目、レギュラー陣との丁度良い身長差、どこか品のある涼やかな声、ニュアンスの演技力。どこをとっても申し分の無い越前リョーマだった。今ひとつなのは歌くらいか。音程云々は割と正確な方だが、表現力と言う面では少し物足りなかった。音程に気を取られすぎた結果かもしれない。
個人的に初演で一番好きなのは、南次郎との遣り取り。
------------------
リョーマ「ただいま」
南次郎「おう、帰ったか」
リョーマ「うん」
------------------
たったこれだけの遣り取りに、この父子の関係が具に現れていて、心が和んだ記憶がある。
ライバルだけど、やっぱり親子なんだよっていうニュアンス演技を、上島氏は勿論、柳も自然に表現していた。
恐らくバクステでもこの二人は舞台上と同じような関係だったんじゃないかって思わせるほのぼのしたシーンだったな。
【不動峰再演/氷帝】
・柳浩太郎(事故後)
事故の後遺症の関係で、舌が上手く回らない、体が思うように動かない。声帯損傷の為に感覚的には捉えている音程を上手く発する事が出来ない。そんな状態でありながら、「こんなのは越前リョーマじゃない」とは微塵も思わなかった。
まぁ確かに、最初はその後遺症の凄まじさにショックを受けはしたけれども。
ただ、事故後の柳でもバックステージでは比較的まともな喋りをしていた。
恐らく初演で演じた越前の感覚をそのまま持ち越したのだろうが、変にそれを意識するよりは普段柳が喋っている感覚で台詞一つ一つを言ってしまっても良かったんじゃないかと思う。
演者が柳 浩太郎である限りは何をしても越前リョーマに見えるのだから、それでよかったんじゃないかと今更ながら思う。
ただ、演じている本人の中に「俺でいいのか?」という感覚がずっとあったせいで、ああいうボソボソとした喋りになってしまったのかもしれないけれど。
そこが卒業公演で滝川部長が投げかけた「柳 浩太郎、お前は絶対的な自信を持っているはずだから、それを早く取り戻して、下ばかり向いてないで、前を向いて歩け」と言うようなメッセージに繋がっているのかもしれないな。
【不動峰】
・Kimeru
キメル越前に関しては、申し訳ないけれど、あれは越前リョーマでは無い、と私は思っている。
演技と言う面においては何の問題も無かった。リョーマのキャラクターを良く理解していたと思うし、歌唱力も無駄に高いし、ね。ただ、彼はやっぱり不二なんだよな。
けれど、この公演を続けようと決心したカンパニーを引っ張って来たのは間違いなく彼だ。
そういう意味では、このキメルリョーマはテニミュにおいて最も重要なファクターだったと思う。
【ルドルフ/山吹/不動峰再演】
・遠藤雄弥
初見で観衆の目に映ったのは「柳 浩太郎の代役」
キャスティングサイドが外見的な特徴(特に切れ長の目)が似通ったこの少年を選んだというのがあからさまに解る。
正直、ルドルフ戦における遠藤は演技力も、歌唱力も、柳には及ばなかった点が多々あった。
それが私の中で変わり始めたのは山吹公演での演技だ。歌は相変わらずではあるが、演技の中に少しづつ「遠藤雄弥が演じるリョーマ」と言うのが垣間見え始めた所で、私はそれでいいのだと思った。
もう少しこの子が演じる越前リョーマを見たいな、って思い始めた矢先の卒業。
滝川部長が言うように、彼は本当に大人で、強い少年だったよ。遠藤雄弥がいなければ、テニミュはここまで続いて来なかったかもしれない。柳は事故後の公演をやり遂げられなかったかもしれない。
そういう意味で、彼はテニミュにおいてキメルと並ぶ柱的な存在だったと思う。
【六角/立海1/立海2】
・桜田 通
外見的な部分で言えば、私が思う越前リョーマとはちょっと違う。けれどそんな事は問題ではなくて。
テニスが出来る、ダンスが上手い。小生意気で厚顔不遜な雰囲気を誰よりも自然に表現していた越前だと思う。
ただ、やっぱりなんかちょっと違うな、と感じてしまったのは私の中で越前リョーマと言うキャラクターを深く掘り下げすぎた結果なんだろうな。クールで生意気。そういう部分だけが前面に押し出されてしまった感じ。
勿論それはそれでキャラクター設定上間違ってはいないし、多分越前リョーマに対して単純にそう考えている人のほうが多いと思うから、結果的に一番支持を集めた越前リョーマになったんだろう。
ただやっぱり動きの面では完璧な越前リョーマだったな。リョーマはこうであるべしって言うシャープな切れのある動きは、歴代の中でも最もリョーマらしかったと思う。
【比嘉/氷帝2】
・阪本奨悟
初見の感想はとにかく可愛い。
キリリとした印象はあまりなく、歴代リョーマの誰よりも笑顔が多いリョーマ。原作のイメージとはちょっと違う。
だけど、それを自然に受け入れられたのは、多分リョーマが実在したら、実際はこんな感じなんじゃないかって思えたからだと思う。架空のキャラクターに妙なリアリティを感じさせてくれる少年。
桃先輩や菊丸先輩と戯れたりしてキャッキャしてる…そうだな…アニメのリョーマに一番近い感覚か。
演技者としては、歴代リョーマの中でも一番台詞が聞き取りやすく、節回しも上手い。そこに本人の負けず嫌いも上乗せしてくるものだから、キャラクターが非常に立っている。
歌唱力も安定していて飛びぬけて上手いと言えるほどではないけれど、そこが逆にリョーマっぽいな、と思った。
キメルのようにビブラートをがんがん効かせて歌うタイプの歌唱はリョーマに必要ないと思うから。
キラキラRADIOで鎌刈健太と古川雄大が「奨悟のリョーマが大好き」と発言していたけれど、確かに、キャラクターを掘り下げざるを得ない演技者、同業者受けのいいリョーマかもしれないな、と思う。
【氷帝2】
・高橋龍騎
演技と言う面で見ると、彼のリョーマは桜田のリョーマに近いと思う。
動き全てがダンスの振り付けの様で、とてもしなやか。リョーマらしいと言えばリョーマらしい。
癖のある歌い方をするなぁと思った。昔のアイドルのような歌い方。
それは個人的な嗜好からは少し外れている。
とまぁ、ここまで好き勝手色々書いてきたけれど、これを書いたのは個人的に四代目/五代目のダブルキャスト体制で最後の立海戦決勝まで行って欲しいな、と言う思いがあったから。
それには座長として越前リョーマを演じる人間に求められる要素はかなり多いし、そこが確立されてこその青学レギュラー陣だと思う。そういう意味で四代目青学は非常にバランスの良いチームなんじゃないかなって言うことを言いたかった。
阪本リョーマにはその力があるし、それを渡辺大輔演じる部長が上手く纏める。
青学ってのは原作でもそういうチームだと思うのよね。
四代目はその位置関係がとてもいいんじゃないかって思います。
PROLOGUE
少年誌でこの連載第一回目を読んだ時は、こんなにも女性に人気が出るとは思ってなかった。
主人公は越前リョーマ。12歳。中学一年生。小生意気でクール、だけどとても負けず嫌いなテニスの天才少年。
健全な少年漫画には珍しく、調子に乗った相手の顔面にツイストサーブをお見舞いするようなちょっと性質の悪い性格の持ち主でもある。
が、私は自分の中、本能的にある攻撃的な部分がリョーマのそれと見事に合致したせいもあって、この珍しいキャラクターがとても好きになった。
だが同作のアニメ化によって嗜好者が大幅な隔たりを見せ始めた頃からは、原作からリアリティが失われ、「SLAMDUNK」の様なリアリティのあるスポーツ漫画であればこそ評価出来ると考えていた私には、悲しいというか腹立たしい展開が続き、不動峰の「波動球」を最後に一旦「テニスの王子様」からは離れた。
それが何故、ミュージカルを観劇するまでになったか。
基本、私の中では飽くまでも原作第一で、ミュージカル化した三次元の世界には興味など無かった筈なのに。
答えは簡単。例えば「青学の柱になれ」の最終的な意味とか、手塚がリョーマに求めているものは結局何なんだ?と言うような原作でいまいち理解できなかった部分を補完するのに歌詞と言う形でキャラクターの心情を表現するミュージカルなら解り易いかもしれない、と思ったから。
結果は大成功だったと思う。
CHARACTOR
クールで生意気、負けず嫌い。
物語序盤、何故彼はあんなにも攻撃的で、冷めた性格をしていたのか。それを考えた時、私は単純に「父親以外に負けた事が無かったからだ」と思った。父親以外の世界を知らない、父親の強さが世界の強さだと勘違いしている少年。だから相手を見下したような態度にも出るし、弱い人間になど興味は持たない。
ある意味では父親以外では自分が最強だと自惚れている部分もある。
けれど彼は青学に入学することによって徐々に変わっていく。最初のきっかけは同じ一年である堀尾、水野、加藤。
いい意味で空気の読めない堀尾が筆頭になってリョーマに絡んで行く事で、リョーマはクールに装いながらもなんだかんだと彼らとつるんでいく。
そして次が桃城をはじめとする青学レギュラー陣。ある意味では彼らが必要以上に大人だったからこそ、リョーマは青学テニス部に受け入れられたのだと思う。
そんな中で初めて父親以外にも世界がある事をリョーマに教えたのが部長の手塚国光。
「青学の柱」になると言う目標を得た事でそこからリョーマは変わり始める。クール=冷静ではあるけれど、強くなる事に対して貪欲になって行った。
PSYCHOLOGY
さらに深く越前リョーマという少年を紐解いて見れば、彼の年相応で無い大人びた面は(それがクール=冷静って事なんじゃないかという気がする)飄々とした掴み所の無い父親の遊び相手をしている内に自然と身に付いてしまったもののような気がする。それは初演の柳浩太郎の演技を見ていて発見した事だった。
父親を倒したいと思ってはいるが、邪険な対応をしながらも同時に物凄く尊敬していて、でもそれを絶対口に出しては言わない。
自由奔放ながらも暖かい家庭で育ったリョーマは一見冷めていながら実はとても正義感に溢れた心の優しい少年で、芯には非常に熱いものを持っている。じゃなきゃ桃城に気に入られる筈が無い。
桃先輩はリョーマのヒートアップしやすい性格を理解していて、それがどこかライバルの海堂に近いから放っておけないんじゃないかな。それは山吹戦のリョーマを観ていても結構出ていると思う。
頭にきてボールぶつけ返そうとしたり、関東の氷帝戦前では公式試合前に跡部を挑発してみたり。
そう考えると、一見キャラクターを無視しているように判断しがちな「氷帝 feat 比嘉」における跡部戦でのリョーマソロ歌詞は間違ってないんじゃないかと思う。
関東大会で手塚を倒した跡部。その跡部との試合。自分が挑発した相手。多分心の中はかなりヒートアップしているんじゃないだろうかと言うのが私の想像。
CAST
【初演】
・柳浩太郎(事故前)
キリリとした切れ長の綺麗な目、レギュラー陣との丁度良い身長差、どこか品のある涼やかな声、ニュアンスの演技力。どこをとっても申し分の無い越前リョーマだった。今ひとつなのは歌くらいか。音程云々は割と正確な方だが、表現力と言う面では少し物足りなかった。音程に気を取られすぎた結果かもしれない。
個人的に初演で一番好きなのは、南次郎との遣り取り。
------------------
リョーマ「ただいま」
南次郎「おう、帰ったか」
リョーマ「うん」
------------------
たったこれだけの遣り取りに、この父子の関係が具に現れていて、心が和んだ記憶がある。
ライバルだけど、やっぱり親子なんだよっていうニュアンス演技を、上島氏は勿論、柳も自然に表現していた。
恐らくバクステでもこの二人は舞台上と同じような関係だったんじゃないかって思わせるほのぼのしたシーンだったな。
【不動峰再演/氷帝】
・柳浩太郎(事故後)
事故の後遺症の関係で、舌が上手く回らない、体が思うように動かない。声帯損傷の為に感覚的には捉えている音程を上手く発する事が出来ない。そんな状態でありながら、「こんなのは越前リョーマじゃない」とは微塵も思わなかった。
まぁ確かに、最初はその後遺症の凄まじさにショックを受けはしたけれども。
ただ、事故後の柳でもバックステージでは比較的まともな喋りをしていた。
恐らく初演で演じた越前の感覚をそのまま持ち越したのだろうが、変にそれを意識するよりは普段柳が喋っている感覚で台詞一つ一つを言ってしまっても良かったんじゃないかと思う。
演者が柳 浩太郎である限りは何をしても越前リョーマに見えるのだから、それでよかったんじゃないかと今更ながら思う。
ただ、演じている本人の中に「俺でいいのか?」という感覚がずっとあったせいで、ああいうボソボソとした喋りになってしまったのかもしれないけれど。
そこが卒業公演で滝川部長が投げかけた「柳 浩太郎、お前は絶対的な自信を持っているはずだから、それを早く取り戻して、下ばかり向いてないで、前を向いて歩け」と言うようなメッセージに繋がっているのかもしれないな。
【不動峰】
・Kimeru
キメル越前に関しては、申し訳ないけれど、あれは越前リョーマでは無い、と私は思っている。
演技と言う面においては何の問題も無かった。リョーマのキャラクターを良く理解していたと思うし、歌唱力も無駄に高いし、ね。ただ、彼はやっぱり不二なんだよな。
けれど、この公演を続けようと決心したカンパニーを引っ張って来たのは間違いなく彼だ。
そういう意味では、このキメルリョーマはテニミュにおいて最も重要なファクターだったと思う。
【ルドルフ/山吹/不動峰再演】
・遠藤雄弥
初見で観衆の目に映ったのは「柳 浩太郎の代役」
キャスティングサイドが外見的な特徴(特に切れ長の目)が似通ったこの少年を選んだというのがあからさまに解る。
正直、ルドルフ戦における遠藤は演技力も、歌唱力も、柳には及ばなかった点が多々あった。
それが私の中で変わり始めたのは山吹公演での演技だ。歌は相変わらずではあるが、演技の中に少しづつ「遠藤雄弥が演じるリョーマ」と言うのが垣間見え始めた所で、私はそれでいいのだと思った。
もう少しこの子が演じる越前リョーマを見たいな、って思い始めた矢先の卒業。
滝川部長が言うように、彼は本当に大人で、強い少年だったよ。遠藤雄弥がいなければ、テニミュはここまで続いて来なかったかもしれない。柳は事故後の公演をやり遂げられなかったかもしれない。
そういう意味で、彼はテニミュにおいてキメルと並ぶ柱的な存在だったと思う。
【六角/立海1/立海2】
・桜田 通
外見的な部分で言えば、私が思う越前リョーマとはちょっと違う。けれどそんな事は問題ではなくて。
テニスが出来る、ダンスが上手い。小生意気で厚顔不遜な雰囲気を誰よりも自然に表現していた越前だと思う。
ただ、やっぱりなんかちょっと違うな、と感じてしまったのは私の中で越前リョーマと言うキャラクターを深く掘り下げすぎた結果なんだろうな。クールで生意気。そういう部分だけが前面に押し出されてしまった感じ。
勿論それはそれでキャラクター設定上間違ってはいないし、多分越前リョーマに対して単純にそう考えている人のほうが多いと思うから、結果的に一番支持を集めた越前リョーマになったんだろう。
ただやっぱり動きの面では完璧な越前リョーマだったな。リョーマはこうであるべしって言うシャープな切れのある動きは、歴代の中でも最もリョーマらしかったと思う。
【比嘉/氷帝2】
・阪本奨悟
初見の感想はとにかく可愛い。
キリリとした印象はあまりなく、歴代リョーマの誰よりも笑顔が多いリョーマ。原作のイメージとはちょっと違う。
だけど、それを自然に受け入れられたのは、多分リョーマが実在したら、実際はこんな感じなんじゃないかって思えたからだと思う。架空のキャラクターに妙なリアリティを感じさせてくれる少年。
桃先輩や菊丸先輩と戯れたりしてキャッキャしてる…そうだな…アニメのリョーマに一番近い感覚か。
演技者としては、歴代リョーマの中でも一番台詞が聞き取りやすく、節回しも上手い。そこに本人の負けず嫌いも上乗せしてくるものだから、キャラクターが非常に立っている。
歌唱力も安定していて飛びぬけて上手いと言えるほどではないけれど、そこが逆にリョーマっぽいな、と思った。
キメルのようにビブラートをがんがん効かせて歌うタイプの歌唱はリョーマに必要ないと思うから。
キラキラRADIOで鎌刈健太と古川雄大が「奨悟のリョーマが大好き」と発言していたけれど、確かに、キャラクターを掘り下げざるを得ない演技者、同業者受けのいいリョーマかもしれないな、と思う。
【氷帝2】
・高橋龍騎
演技と言う面で見ると、彼のリョーマは桜田のリョーマに近いと思う。
動き全てがダンスの振り付けの様で、とてもしなやか。リョーマらしいと言えばリョーマらしい。
癖のある歌い方をするなぁと思った。昔のアイドルのような歌い方。
それは個人的な嗜好からは少し外れている。
とまぁ、ここまで好き勝手色々書いてきたけれど、これを書いたのは個人的に四代目/五代目のダブルキャスト体制で最後の立海戦決勝まで行って欲しいな、と言う思いがあったから。
それには座長として越前リョーマを演じる人間に求められる要素はかなり多いし、そこが確立されてこその青学レギュラー陣だと思う。そういう意味で四代目青学は非常にバランスの良いチームなんじゃないかなって言うことを言いたかった。
阪本リョーマにはその力があるし、それを渡辺大輔演じる部長が上手く纏める。
青学ってのは原作でもそういうチームだと思うのよね。
四代目はその位置関係がとてもいいんじゃないかって思います。
DISPUTE
1947年5月3日より施行された「日本国憲法」。
その「第九条」に記された三原則、「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」によって守られている我々には昨今「平和ボケ」と称される感覚が蔓延していると思う。
その感覚の良い所というのはあまり思いつかないが、悪いところと言えば、「自国が平和である事」=「世界も平和だ」と言う勘違いをしがちであると言うところか。
勿論それは一時の事だし、誰にでも当て嵌まると言うものでは無い。
近代・現代にも戦争があった事、今現在も戦争の絶えぬ国がある事なども知識としては持ち合わせているのだが、その事を四六時中考えるなんて事は愚か、日に一度考えるなんて事も無く、たまにそういう話題がニュースなどで取り上げられると、そこで初めて「戦争」と言う二文字を意識するようになるのが、その「平和ボケ」した人間の性なんじゃないかと思う。
普段は舞台の薀蓄や完全なる趣味の話題を偉そうに書き込んでいる私がこんな記事を書いている事自体がその表れだと言えるだろう。
グルジアが「戦争状態宣言」ロシア政府は停戦を拒否-南オセチア紛争
2008/08/10 09:08 JST BlOOMBERG
8月10日(ブルームバーグ):10日付の日本経済新聞朝刊は、グルジア のサーカシビリ大統領が9日に、旧ソ連グルジアから分離独立を主張する新ロ シアの南オセチア自治州を巡るロシアとの軍事衝突を受けて、グルジア全土が 「戦争状態」にあると宣言し、即時停戦をロシアに呼びかけたが、ロシアのメ ドベーチェフ大統領はこれを拒否した、と報じた。
それによると、南オセチアでは9日も断続的に戦闘が続き、ロシアのワレ ンコフ駐グルジア大使が州都ツヒンバリを巡る攻防での死者数は2000人以上に上ると発言したという。
今回こんな事を書くに至った原因は、上記のニュースだ。
正直これを見るまで私は「取り敢えず今の所世界は平和だ」と言うとんでもない勘違いをしていたのである。
というかそもそもロシアとグルジアとの間にそういった確執がある事も知らなかったし、もっと言ってしまえばグルジアがどんな国なのかすら、いや…「グルジア」という国がある事すら知らなかった。
南オセチア紛争というのは、1991年-1992年の間で既に起こっていたもので、ウィキペディアの解説によると南オセチア自治州がグルジアに対し独立を求めた紛争のことである。との記述がある。
2008年8月現在の概要はこうだ。
停戦合意後、グルジアから分離独立を求め国際的には独立国と承認されていない地域である南オセチアの首都、ツヒンワリを掌握するため、グルジアが奇襲攻撃を開始した。8月8日、ロシアがこれに反応し、国境を越えて進軍、戦車と大砲をツヒンワリに移動した。
日本人である私が深く知った所で理解する事は出来ないだろうから、ロシア、グルジア双方の理由がどうなのかまでを詳しく調べるつもりは今の所無い。
けれど一つだけ気になるのは、この紛争にアメリカが首を突っ込んでいる、と。
賭けに出たグルジア 南オセチア紛争
8月9日22時10分配信 産経新聞
ロシアの軍事介入を招いて戦闘が激化している南オセチア紛争は、親欧米であるグルジアのサーカシビリ政権が欧米諸国の支援を当て込み、国際社会の注目が集まる北京五輪開催に合わせて同自治州再統一の賭けに出たとの見方が出ている。米政府は即時停戦に向けて調停の動きをみせているが、米国のグルジアを後押しする姿勢は、カフカス地方で米露間の覇権争いの色彩も帯びることになり、事態はさらに複雑化する恐れもある。
やめてくれ、と言いたい。
アメリカの様な軍事大国がそんな風に軽々しく他国の争いに首を突っ込めば事態は悪化するに決まってる。
ましてや相手はロシアだ。ソビエト連邦が崩壊したとは言え、かつての冷戦の名残は今も何処かに根付いているんじゃないだろうか。
心配なのはそれを受けた各国の動き。
今の所、日本が介入する余地は無さそうだが、これがアメリカ対ロシアと言う流れに発展した場合、間違いなく日本は巻き込まれる。
そうなった場合、今の日本はこれまで守り通してきた第九条を守り通せるのか?と言う不安が募る。
その「第九条」に記された三原則、「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」によって守られている我々には昨今「平和ボケ」と称される感覚が蔓延していると思う。
その感覚の良い所というのはあまり思いつかないが、悪いところと言えば、「自国が平和である事」=「世界も平和だ」と言う勘違いをしがちであると言うところか。
勿論それは一時の事だし、誰にでも当て嵌まると言うものでは無い。
近代・現代にも戦争があった事、今現在も戦争の絶えぬ国がある事なども知識としては持ち合わせているのだが、その事を四六時中考えるなんて事は愚か、日に一度考えるなんて事も無く、たまにそういう話題がニュースなどで取り上げられると、そこで初めて「戦争」と言う二文字を意識するようになるのが、その「平和ボケ」した人間の性なんじゃないかと思う。
普段は舞台の薀蓄や完全なる趣味の話題を偉そうに書き込んでいる私がこんな記事を書いている事自体がその表れだと言えるだろう。
グルジアが「戦争状態宣言」ロシア政府は停戦を拒否-南オセチア紛争
2008/08/10 09:08 JST BlOOMBERG
8月10日(ブルームバーグ):10日付の日本経済新聞朝刊は、グルジア のサーカシビリ大統領が9日に、旧ソ連グルジアから分離独立を主張する新ロ シアの南オセチア自治州を巡るロシアとの軍事衝突を受けて、グルジア全土が 「戦争状態」にあると宣言し、即時停戦をロシアに呼びかけたが、ロシアのメ ドベーチェフ大統領はこれを拒否した、と報じた。
それによると、南オセチアでは9日も断続的に戦闘が続き、ロシアのワレ ンコフ駐グルジア大使が州都ツヒンバリを巡る攻防での死者数は2000人以上に上ると発言したという。
今回こんな事を書くに至った原因は、上記のニュースだ。
正直これを見るまで私は「取り敢えず今の所世界は平和だ」と言うとんでもない勘違いをしていたのである。
というかそもそもロシアとグルジアとの間にそういった確執がある事も知らなかったし、もっと言ってしまえばグルジアがどんな国なのかすら、いや…「グルジア」という国がある事すら知らなかった。
南オセチア紛争というのは、1991年-1992年の間で既に起こっていたもので、ウィキペディアの解説によると南オセチア自治州がグルジアに対し独立を求めた紛争のことである。との記述がある。
2008年8月現在の概要はこうだ。
停戦合意後、グルジアから分離独立を求め国際的には独立国と承認されていない地域である南オセチアの首都、ツヒンワリを掌握するため、グルジアが奇襲攻撃を開始した。8月8日、ロシアがこれに反応し、国境を越えて進軍、戦車と大砲をツヒンワリに移動した。
ーwikipediaより一部転載ー
日本人である私が深く知った所で理解する事は出来ないだろうから、ロシア、グルジア双方の理由がどうなのかまでを詳しく調べるつもりは今の所無い。
けれど一つだけ気になるのは、この紛争にアメリカが首を突っ込んでいる、と。
賭けに出たグルジア 南オセチア紛争
8月9日22時10分配信 産経新聞
ロシアの軍事介入を招いて戦闘が激化している南オセチア紛争は、親欧米であるグルジアのサーカシビリ政権が欧米諸国の支援を当て込み、国際社会の注目が集まる北京五輪開催に合わせて同自治州再統一の賭けに出たとの見方が出ている。米政府は即時停戦に向けて調停の動きをみせているが、米国のグルジアを後押しする姿勢は、カフカス地方で米露間の覇権争いの色彩も帯びることになり、事態はさらに複雑化する恐れもある。
やめてくれ、と言いたい。
アメリカの様な軍事大国がそんな風に軽々しく他国の争いに首を突っ込めば事態は悪化するに決まってる。
ましてや相手はロシアだ。ソビエト連邦が崩壊したとは言え、かつての冷戦の名残は今も何処かに根付いているんじゃないだろうか。
心配なのはそれを受けた各国の動き。
今の所、日本が介入する余地は無さそうだが、これがアメリカ対ロシアと言う流れに発展した場合、間違いなく日本は巻き込まれる。
そうなった場合、今の日本はこれまで守り通してきた第九条を守り通せるのか?と言う不安が募る。
OLYMPIC
昨日8日から北京五輪が開幕しましたね。サポーターサイドを困惑させるような規制が敷かれたり、まぁ色々風変わりな態勢という印象が強い今回のオリンピックですが、今の所一番の注目株は女子柔道の谷 亮子選手でしょうか。
個人的にはバスケットボールとテニス、それと陸上に注目している。
バスケに関しては日本は出場していないけど、競技として凄く好きなスポーツ。
オリンピックはいわば武器を使わぬ国同士の戦争のようなものだって考えている人や国家もあるんだろうけど、やっぱり好きな競技を世界のトッププレイヤーがプレイする姿は、国とか人種とかそういうの関係なく胸が躍る。
もちろん日本の応援はしてるけど、選手は皆、それぞれに頑張ってるわけだし、それでいい結果が来れば当然嬉しいけど、たとえメダルが獲得出来なくても、出場している本人が精一杯やったと自負出来たのならそれが一番いいんじゃないかと思う。
だから私個人的にはそれほどメダルに執着していません。
えーと…バスケはもう今日から予選が始まってるんだよね。でも今日は女子で、明日が男子か。
【バスケットボール】
■男子 グループB アメリカ×中国 予選 23:15 - 01:00(日本時間)
取り敢えず見たいのはこの試合だな。
テニスは普通に日本人選手を応援してます。特に女子の杉山さんと男子は錦織君を。
陸上は自分がやってたっていう親近感もあり、何を見ても誰が勝ってもきっと楽しめてしまうのでしょう。
その中でも注目したいのは短距離、中距離、幅跳び、かな。
今年の夏は色んな意味で熱いです。
皆でオリンピックを楽しもうぜ~!!!
Yahoo! 北京五輪 期間限定特集サイト
http://beijing.yahoo.co.jp/
北京五輪JOC公式サイト
http://www.joc.or.jp/beijing/
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今日はちょっと「ブログ」について書きたい事が出てきました。
最近、文字と文字の行間をやたらと(3、4行)空ける書き方をしているブログを良く見かけるのだけど、それがそこそこ興味深い内容であっても私は大概最後まで目を通さずにページを切り替えてしまうことが多いです。
普通に書けばスクロール無しで閲覧出来るだろう記事量を、わざわざ行間を演出してページの縦幅を広げる意味が解りません。(もしかして携帯向けだとその方が見やすいのか?)
確かに行間が微妙な感情を表現してくれる場合もあります。
ネタのオチとかを文字で面白おかしく表現したい場合は特に。
でも『今日は○○をしました』と言うダイアリーな内容をその書式で書かれると、辛い。
一応オチがあったりはするんだけど、それを生かすなら行間空けるのはそこだけでいいだろう、と思うのです。
まぁ、見たい人だけ見れば良しって事なんだろうけど、他人に見られるような職業に付いている人間がそういう書式をしている場合、それはちょっと勿体無いような気がする。
本当にその人やその人が書く文章が好きなのであれば、書式なんか大した問題じゃないんだろうけど、ウェブデザイナーが、<閲覧者に不快感を与えない>というサイト作りの基本を考えた時、スクロールの多少ってのは必ず出てくる問題で、それを考えるとやっぱりよっぽど人を惹きつける文章でもない限り、(或いは閲覧者に喜ばれるような画像付きでもない限り)必要以上にマウス操作を要求されるブログってのは好ましくないものなのだと思う。
ブログが定着し始めたばかりの頃は、そういう書式の問題以外にも『ブログとは本来こういう使い方をするものだ』的な主張をする人も多かったけど、最近ではもうすっかり日記帳としての役割の方が主になりつつあります。
それはそれで一つの情報なのだからいいと思うのだけれど、行間の使いどころは考えた方が閲覧数を増やすには効果的。
最近、文字と文字の行間をやたらと(3、4行)空ける書き方をしているブログを良く見かけるのだけど、それがそこそこ興味深い内容であっても私は大概最後まで目を通さずにページを切り替えてしまうことが多いです。
普通に書けばスクロール無しで閲覧出来るだろう記事量を、わざわざ行間を演出してページの縦幅を広げる意味が解りません。(もしかして携帯向けだとその方が見やすいのか?)
確かに行間が微妙な感情を表現してくれる場合もあります。
ネタのオチとかを文字で面白おかしく表現したい場合は特に。
でも『今日は○○をしました』と言うダイアリーな内容をその書式で書かれると、辛い。
一応オチがあったりはするんだけど、それを生かすなら行間空けるのはそこだけでいいだろう、と思うのです。
まぁ、見たい人だけ見れば良しって事なんだろうけど、他人に見られるような職業に付いている人間がそういう書式をしている場合、それはちょっと勿体無いような気がする。
本当にその人やその人が書く文章が好きなのであれば、書式なんか大した問題じゃないんだろうけど、ウェブデザイナーが、<閲覧者に不快感を与えない>というサイト作りの基本を考えた時、スクロールの多少ってのは必ず出てくる問題で、それを考えるとやっぱりよっぽど人を惹きつける文章でもない限り、(或いは閲覧者に喜ばれるような画像付きでもない限り)必要以上にマウス操作を要求されるブログってのは好ましくないものなのだと思う。
ブログが定着し始めたばかりの頃は、そういう書式の問題以外にも『ブログとは本来こういう使い方をするものだ』的な主張をする人も多かったけど、最近ではもうすっかり日記帳としての役割の方が主になりつつあります。
それはそれで一つの情報なのだからいいと思うのだけれど、行間の使いどころは考えた方が閲覧数を増やすには効果的。
PUZZLEGAME
落ち物ゲームの代表作と言えば「テトリス」がスタンダードに出てくる名前だろうけど、「ぷよぷよ」シリーズも忘れちゃならない。私はどっちかって言うと「テトリス」よりも「ぷよぷよ」の方が好み。
狙ってた連鎖が成功した時の満足感ときたら!
FF5で神龍から火龍の槍をかっぱらった時くらいの喜びがそこにはある。
私は最近これを暇な時に携帯でプレイして遊んでいます。
電車の中、休憩時間、仕事中(保存処理を行っている時とかデータを書き込んでいる時ですよ)、待機中。
ファーストステージ、セカンドステージあたりでたまにリトライをかけるんですが、それは何故かと言うと、全消しが1ステージに二度出来ないと自分的に満足できないんです。
携帯ゲームでは他に「麻雀」とか「二角取り」も好きですね。
そう言えば、缶コーヒーのジョージア公式ページにはいつも頭の活性化に繋がりそうなゲームコーナーがあって楽しいです。