お久しぶりです。
というか、初めまして?でしょうか。
私こと「あああああ」です。
10年前。当時17歳。
ネトゲ廃人ヒキニートからの脱却を目指し、迫りくる将来への不安との闘いに押し潰されそうになりながら、
記事を執筆していた記憶が、朧気ながらあります。
そんな私も、今は大学を卒業し、システムエンジニアとして会社員をしております。
なぜ今このブログに帰ってきたか。
単に、転職が成功し、有給消化期間という「10年ぶり」の長期休暇(?)をきっかけに、
ふと、このブログの存在を思い出した。
ただそれだけです。
10年前、2013年1月に開設したこのブログ。
当初は「元ネトゲ廃人がゼロから京都大学合格」と銘打っていた記憶があります。
2015年の記事にもある通り、「京都大学合格」という目標に対する計画性・現状分析の欠落が原因で、叶わぬ夢となりました。
その代わり、そのプロセスで着実に身に付いた学力、+αで2013年3月の失敗経験を基に、客観的に見て「成功」と言える結果を出せた。そんな大学受験期でした。
初めましての方向けに略歴を...
2010年(中3):ネトゲにドハマリ。丸々不登校
2011年(高1)4月:地元の、偏差値も付かない某高校へ入学
2011年(高1)7月:またまたネトゲにドハマリ。わずか三か月で退学
以後、ネトゲ廃人兼自宅警備員(死語?)として過ごす
2012年(本来高2)10月:一念発起し、大学受験を志す
2013年(本来高3)8月:高等学校卒業程度認定試験合格
2014年(本来高3)3月:京都大学どころか、関関同立も全落ち。1浪を決意
2015年(1浪)1月:センターの結果が京大合格ラインに遠く及ばず受験を断念。
2015年(1浪)2月:中央大学含むMARCH+関関同立に複数合格。
大学4年の就活や、転職活動においても、幾度となく履歴書へのツッコミを受けました。
そこそこ特異な経歴であるが故にここまで情報開示しているともはやデジタルタトゥーですかね?このブログ。
余裕で個人特定されそうです。
ただ、私個人の見解は、10年前の自分の努力体験があったからこそ、今の自分がいるので、このブログを消す事は恐らくないです。
努力体験というには、目標に対し手抜きしすぎですが...当時の自分。
前置きはここまでにしておいて...
今この記事を執筆している理由はただ一つ。
「どれだけ堕落した人間であったとしても、どれだけ努力のプロセスが誤っていたとしても、どれだけPDCAサイクル回すのが下手糞でも...失敗を失敗と認めたとき、その試行錯誤の過程は必ず将来に活きてくる」ということを伝えたい。
誰に向けて?いや...本当に誰なんでしょうね。
ヒキニートから高卒認定取ってMARCHなんてすげぇじゃん!と言われる事が何度もありました。
しかし、私自身の見解は、「『京都大学合格』という目標に対し失敗・挫折した。」...正直なところ、その感触が大半を占めます。
元より目標に対する現状とのギャップが大きすぎるが故に誰もが達成不可能と考えていた目標を公言していたわけですから、人によっては嘲笑の対象です。現にここだけの話、親戚から「とうとう気が狂ったか...」と言われましたからね。当時はそんな事全く書いてないようですが...
「夢は見るだけならタダだもんね笑」とでも言いたげな目に何度も晒されるという状況は、驚く程強烈なダメージを精神へ与え続けます。
だからこそ、この経験を「無茶な計画だから失敗して当たり前」、ではなく、「もっと改善余地があったのに改善しなかったから失敗した」と捉えざるを得ず、結果として糧となり、多くの成功体験を掴めた。本気でそう考えています。
大学時代、複数のサークルを掛け持ちしました。その中で必死こいて努力し、所謂ガクチカや自己PRには全く困らない程度の役割を担い、結果を出すこともできました。
会社員になってからも、システムエンジニアという職種に文系という若干のディスアドバンテージを以って乗り込み、またもや必死こいて努力しました。情報系の理系卒に負けまいと休日は自己研鑽に励み、基本情報技術者・応用情報技術者・各種ベンダー認定の取得という目に見えるアウトプットを出しつつ、大規模PJの完遂も経験できました。
大学時代の同期も、会社の同僚や上司も、有難いことに、私を「ストイックな人間だ」と評価して頂くことが多いです。
でも、2013年や2015年の記事を見てください。いわゆる「ストイック」な人物像とは程遠い体たらくじゃないですか??
確かに「見かけ上は」ちゃんと受験勉強していましたけど、目標に対する努力量が足りていない上に、芳しくない進捗に対し具体的なアクションを出せていません。ようやく出した対策の効果を把握しようともせず、模試の結果から現実逃避し、終いには進捗報告を放棄し更新停止。宜しくない受験生の典型例です。
そもそも、生まれつきストイックさを兼ね備えているなら、何年もネトゲ廃人兼ヒキニートなんてやってませんよ......
というわけで、↑に書いたような自己批判が、大学以降の自分にモロ響いているわけです。
別に、「人は変われる!」とかいう意識高めの美談をつらつらと書きたいわけではありません。根底にある「怠惰な自分」は変わっていませんし、一生変わることはないと思っています。
ただ、そんな「怠惰な自分」でも、強烈な失敗体験やトラウマがあると、尻に火が付いたかのように頑張れる。
ただそれだけなんです。
ここでいう失敗体験は、京大足切りもそうですし、高校中退ネトゲ廃人時代も含まれます。
もし今、走るのを辞めたら、またあの時みたいに惨めな失敗をしてしまうかもしれない...
またあの永遠に続く8月31日のような状況に陥るかもしれない...
ある種の強迫観念とも言えるそれは、自分でも驚くぐらいに強烈です。
本当に、本当に二度と経験したくない。
だからこそ、走り続ける。
仕事を例に、もう少し具体化します。
少なくとも自分の観測範囲では、「仕事が楽しい!努力最高!」を地で行くアグレッシブな人は少数で、
大半は「働かずして生きていけるなら一生働きたくない」と思っている人の方が多数派に見えます。
私が前者タイプでない事は間違いないと断言できますが、現に後者のような生活を、一度でいいから長期スパンで経験したことのある方がもしいらっしゃれば、その精神的ストレスは尋常じゃなく「働いているときのストレスの方がまだマシだ」と、自分のようなマインドになる人の方が多いのではないか?そう邪推しています。
一度社会のレールを大きく逸脱した事があるからこその知見かもしれません...
いや、持つべき知見ではないと思いますよ、本当に。
本題に戻ります。
「試行錯誤の過程」と書きましたが、この手の話は巷に溢れかえっています。結果でなくプロセスが大事なのだ、という論調ですね。それはまさしくその通りなので、私から新たに書ける物事は無いでしょう。
しかし、「『現状を変えたい』という意思」と言い換えると、あらゆる方々に適合し、尚且つ自分ぐらいしか書けない内容も含まれるのではないかと思います。自分の意図するところは、両者共に大きな違いはありません。
もし今、10年前の自分と同じ境遇の人がいたら、プロセスがいくら間違っていたとしても、とりあえずは走り続けて欲しいと切に思います。納得いく結果が得られず「失敗した」と感じても、その原因が努力不足にあるとしても、その過程は必ず活きてきます。走り続けた事自体に価値があるということを私が保証します。
1浪センター6割弱が何言ってんねん!って話ですね笑。
具体的な体験談を書きましょう。
2015年1月のセンター試験の凄惨な結果を受けてから、2015年2月MARCH各大学合格までの1ヵ月間、これまでの遅れを取り戻すかのように、毎日食う寝る風呂トイレ以外は勉強机にしがみ付きました。
これまで向き合おうとしなかった(いや、できなかった)受験勉強における「失敗」に真正面から向き合い、
失敗の要因から弱点を洗い出し、対策を考えたうえでの、ガリ勉期間です。
センター英語を時間ギリギリまで使って140点しか取れなかった人間が、わずか一か月でMARCH英語を30分以上も余らせて9割取れるようになったんですよ。
センター数学が200点中100点も取れなかった自分が、わずか一か月でMARCH数学全て方針までは記載できるし完答もいくつかできるレベルまで行ったんですよ。
今思えば、これが初めての「成功体験」だったかもしれません。
蛇行運転のような受験期。こんなド●ゴン桜のような学力上昇っぷりは一度もありませんでした。当時のルーティンを見れば当然です。
ただ、怠惰ながらもとりあえずは走り続け、2年分累積された後悔と失敗の念があったからこそ、最期の最期にこの「成功体験」を掴むことができた。
本気でそう思います。
最期に、
この記事、誰に向けて書いているんだろう?誰に訴えたいんだろう?と、書き続けながらもずっとモヤモヤしていました。
全く更新していない当ブログ。有難いことに、本当にごく稀に「高卒認定」「京都大学」などのワードで当ブログにたどり着き、数記事ほど見て頂く方はいらっしゃるようですが、更新していないのでリピーターがいるわけでもないこのブログ。
少し仮説が出来ました。
恐らく、10年前の自分に対して書いているのだと。
10年前に「京都大学合格」を目標に一念発起しましたが、叶わぬ夢となりました。
しかし、今の自分は自信を持って言えます。
10年前に戻れるとして、その時間軸で仮に京大合格の悲願を達成できることが確定していたとしても、きっと戻りません。
中央大学での貴重な体験の数々、会社員としての貴重な体験の数々。これらをチャラになんて、絶対にしたくないです。
京大合格していた世界ではまた違う景色が見え、貴重な体験も多く経験していたことでしょう。
しかし、現に私は、大学進学からの8年、充実した人生を歩むことができたと胸を張れる。
今も、これからもそうです。
確かに受験期を思い返せば後悔しかない。「あの時こうしていれば...」なんてのは、挙げればキリがない。
ただ、その、挙げればキリがない「あの時こうしていれば...」が、今の私を造っています。
某巨大掲示板の名言ですが、当時の一番の励みとなっていた言葉で締めくくりとさせていただきます。
「10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。 今やり直せよ。未来を。10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今」
気が向いたらまた戻ってきます
P.S.
で、ウンヵ月の有給消化期間、何する?
決まっています。勉強です。システムエンジニアは勉強の毎日です。
国家資格である基本情報・応用情報・高度情報など...
民間に目を向けると、ITベンダー認定という、実務レベルのスキルを問われる試験もあります。
ウンヵ月もあれば、いくつか認定は取れるだろう。しかし、I●パスポートみたいなレベルのものでは転職先に見せる顔がありません。
そこはご安心を。複数の認定ホルダーとして、どの認定がどの程度の勉強量を要するかはある程度把握している。
後は、いつも通り、この10年間で培った勉強方法を適用し、適切なインプットとアウトプットを通じて合格を目指すのみ。
実力の世界では、この手の認定や資格は、正直、名刺以外の意味を持つことは少なく、実務で今すぐ使えるスキルを持っているか?の方が重要です。
しかし、実務転用を視野に、実際に手を動かしてアウトプットしながらの勉強であれば話は別。
何もしないよりは、遥かにマシです。
何もしなかったネトゲ廃人時代。それを経験しているからこそ、そう思える。