高校中退ネトゲ廃人ヒキニートが一念発起。高卒認定→京都大学合格を目指したが中央大学に進学した話

高校中退ネトゲ廃人ヒキニートが一念発起。高卒認定→京都大学合格を目指したが中央大学に進学した話

中卒高校中退の元ネトゲ廃人が京都大学を目指していたが結局中央大学に通うことになったブログ

2013年1月20日時点で17歳(本来なら高2)だった元ネトゲ廃人が一念発起し、京大目指して独学で大学受験に挑んだが一浪で中央大学に落ち着いた奴のブログです

-プロフィール
中3から不登校。高校には進学したものの続かずわずか数ヶ月で退学。
その後通信制高校へ入学するが勉強そっちのけでネトゲ三昧。
「晩」から「朝」までネトゲか寝るかの醜い引きこもり生活を約2年間すごす。
しかし2012年9月(本来高2)、このままではイカンと思い大学受験を決意

予備校は東進。

趣味は楽器演奏や作曲。(ゲームにはもう懲りました。)
よく触るのはギター。ベースもある程度。ピアノ・ドラムは最近かじったばかりの初心者です。

自分でいうのもなんですが、アニメオタクです



 

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お久しぶりです。

というか、初めまして?でしょうか。

私こと「あああああ」です。

 

10年前。当時17歳。

ネトゲ廃人ヒキニートからの脱却を目指し、迫りくる将来への不安との闘いに押し潰されそうになりながら、

記事を執筆していた記憶が、朧気ながらあります。

そんな私も、今は大学を卒業し、システムエンジニアとして会社員をしております。

 

なぜ今このブログに帰ってきたか。

単に、転職が成功し、有給消化期間という「10年ぶり」の長期休暇(?)をきっかけに、

ふと、このブログの存在を思い出した。

ただそれだけです。

 

10年前、2013年1月に開設したこのブログ。

当初は「元ネトゲ廃人がゼロから京都大学合格」と銘打っていた記憶があります。

2015年の記事にもある通り、「京都大学合格」という目標に対する計画性・現状分析の欠落が原因で、叶わぬ夢となりました。

その代わり、そのプロセスで着実に身に付いた学力、+αで2013年3月の失敗経験を基に、客観的に見て「成功」と言える結果を出せた。そんな大学受験期でした。

 

初めましての方向けに略歴を...

2010年(中3):ネトゲにドハマリ。丸々不登校

2011年(高1)4月:地元の、偏差値も付かない某高校へ入学

2011年(高1)7月:またまたネトゲにドハマリ。わずか三か月で退学

以後、ネトゲ廃人兼自宅警備員(死語?)として過ごす

 

2012年(本来高2)10月:一念発起し、大学受験を志す

2013年(本来高3)8月:高等学校卒業程度認定試験合格

2014年(本来高3)3月:京都大学どころか、関関同立も全落ち。1浪を決意

2015年(1浪)1月:センターの結果が京大合格ラインに遠く及ばず受験を断念。

2015年(1浪)2月:中央大学含むMARCH+関関同立に複数合格。

 

大学4年の就活や、転職活動においても、幾度となく履歴書へのツッコミを受けました。

そこそこ特異な経歴であるが故にここまで情報開示しているともはやデジタルタトゥーですかね?このブログ。

余裕で個人特定されそうです。

ただ、私個人の見解は、10年前の自分の努力体験があったからこそ、今の自分がいるので、このブログを消す事は恐らくないです。

努力体験というには、目標に対し手抜きしすぎですが...当時の自分。

 

前置きはここまでにしておいて...

今この記事を執筆している理由はただ一つ。

「どれだけ堕落した人間であったとしても、どれだけ努力のプロセスが誤っていたとしても、どれだけPDCAサイクル回すのが下手糞でも...失敗を失敗と認めたとき、その試行錯誤の過程は必ず将来に活きてくる」ということを伝えたい。

誰に向けて?いや...本当に誰なんでしょうね。

 

ヒキニートから高卒認定取ってMARCHなんてすげぇじゃん!と言われる事が何度もありました。

しかし、私自身の見解は、「『京都大学合格』という目標に対し失敗・挫折した。」...正直なところ、その感触が大半を占めます。

 

元より目標に対する現状とのギャップが大きすぎるが故に誰もが達成不可能と考えていた目標を公言していたわけですから、人によっては嘲笑の対象です。現にここだけの話、親戚から「とうとう気が狂ったか...」と言われましたからね。当時はそんな事全く書いてないようですが...

「夢は見るだけならタダだもんね笑」とでも言いたげな目に何度も晒されるという状況は、驚く程強烈なダメージを精神へ与え続けます。

 

だからこそ、この経験を「無茶な計画だから失敗して当たり前」、ではなく、「もっと改善余地があったのに改善しなかったから失敗した」と捉えざるを得ず、結果として糧となり、多くの成功体験を掴めた。本気でそう考えています。

 

大学時代、複数のサークルを掛け持ちしました。その中で必死こいて努力し、所謂ガクチカや自己PRには全く困らない程度の役割を担い、結果を出すこともできました。

会社員になってからも、システムエンジニアという職種に文系という若干のディスアドバンテージを以って乗り込み、またもや必死こいて努力しました。情報系の理系卒に負けまいと休日は自己研鑽に励み、基本情報技術者・応用情報技術者・各種ベンダー認定の取得という目に見えるアウトプットを出しつつ、大規模PJの完遂も経験できました。

 

大学時代の同期も、会社の同僚や上司も、有難いことに、私を「ストイックな人間だ」と評価して頂くことが多いです。

でも、2013年や2015年の記事を見てください。いわゆる「ストイック」な人物像とは程遠い体たらくじゃないですか??

確かに「見かけ上は」ちゃんと受験勉強していましたけど、目標に対する努力量が足りていない上に、芳しくない進捗に対し具体的なアクションを出せていません。ようやく出した対策の効果を把握しようともせず、模試の結果から現実逃避し、終いには進捗報告を放棄し更新停止。宜しくない受験生の典型例です。

そもそも、生まれつきストイックさを兼ね備えているなら、何年もネトゲ廃人兼ヒキニートなんてやってませんよ......

 

というわけで、↑に書いたような自己批判が、大学以降の自分にモロ響いているわけです。

別に、「人は変われる!」とかいう意識高めの美談をつらつらと書きたいわけではありません。根底にある「怠惰な自分」は変わっていませんし、一生変わることはないと思っています。

ただ、そんな「怠惰な自分」でも、強烈な失敗体験やトラウマがあると、尻に火が付いたかのように頑張れる。

ただそれだけなんです。

ここでいう失敗体験は、京大足切りもそうですし、高校中退ネトゲ廃人時代も含まれます。

 

もし今、走るのを辞めたら、またあの時みたいに惨めな失敗をしてしまうかもしれない...

またあの永遠に続く8月31日のような状況に陥るかもしれない...

ある種の強迫観念とも言えるそれは、自分でも驚くぐらいに強烈です。

本当に、本当に二度と経験したくない。

だからこそ、走り続ける。

 

仕事を例に、もう少し具体化します。

少なくとも自分の観測範囲では、「仕事が楽しい!努力最高!」を地で行くアグレッシブな人は少数で、

大半は「働かずして生きていけるなら一生働きたくない」と思っている人の方が多数派に見えます。

私が前者タイプでない事は間違いないと断言できますが、現に後者のような生活を、一度でいいから長期スパンで経験したことのある方がもしいらっしゃれば、その精神的ストレスは尋常じゃなく「働いているときのストレスの方がまだマシだ」と、自分のようなマインドになる人の方が多いのではないか?そう邪推しています。

一度社会のレールを大きく逸脱した事があるからこその知見かもしれません...

いや、持つべき知見ではないと思いますよ、本当に。

 

本題に戻ります。

試行錯誤の過程」と書きましたが、この手の話は巷に溢れかえっています。結果でなくプロセスが大事なのだ、という論調ですね。それはまさしくその通りなので、私から新たに書ける物事は無いでしょう。

しかし、「『現状を変えたい』という意思」と言い換えると、あらゆる方々に適合し、尚且つ自分ぐらいしか書けない内容も含まれるのではないかと思います。自分の意図するところは、両者共に大きな違いはありません。

 

 

もし今、10年前の自分と同じ境遇の人がいたら、プロセスがいくら間違っていたとしても、とりあえずは走り続けて欲しいと切に思います。納得いく結果が得られず「失敗した」と感じても、その原因が努力不足にあるとしても、その過程は必ず活きてきます。走り続けた事自体に価値があるということを私が保証します。

 

1浪センター6割弱が何言ってんねん!って話ですね笑。

具体的な体験談を書きましょう。

2015年1月のセンター試験の凄惨な結果を受けてから、2015年2月MARCH各大学合格までの1ヵ月間、これまでの遅れを取り戻すかのように、毎日食う寝る風呂トイレ以外は勉強机にしがみ付きました。

これまで向き合おうとしなかった(いや、できなかった)受験勉強における「失敗」に真正面から向き合い、

失敗の要因から弱点を洗い出し、対策を考えたうえでの、ガリ勉期間です。

センター英語を時間ギリギリまで使って140点しか取れなかった人間が、わずか一か月でMARCH英語を30分以上も余らせて9割取れるようになったんですよ。

センター数学が200点中100点も取れなかった自分が、わずか一か月でMARCH数学全て方針までは記載できるし完答もいくつかできるレベルまで行ったんですよ。

今思えば、これが初めての「成功体験」だったかもしれません。

蛇行運転のような受験期。こんなド●ゴン桜のような学力上昇っぷりは一度もありませんでした。当時のルーティンを見れば当然です。

ただ、怠惰ながらもとりあえずは走り続け、2年分累積された後悔と失敗の念があったからこそ、最期の最期にこの「成功体験」を掴むことができた。

本気でそう思います。

 

 

最期に、

この記事、誰に向けて書いているんだろう?誰に訴えたいんだろう?と、書き続けながらもずっとモヤモヤしていました。

全く更新していない当ブログ。有難いことに、本当にごく稀に「高卒認定」「京都大学」などのワードで当ブログにたどり着き、数記事ほど見て頂く方はいらっしゃるようですが、更新していないのでリピーターがいるわけでもないこのブログ。

 

少し仮説が出来ました。

恐らく、10年前の自分に対して書いているのだと。

 

10年前に「京都大学合格」を目標に一念発起しましたが、叶わぬ夢となりました。

しかし、今の自分は自信を持って言えます。

10年前に戻れるとして、その時間軸で仮に京大合格の悲願を達成できることが確定していたとしても、きっと戻りません。

中央大学での貴重な体験の数々、会社員としての貴重な体験の数々。これらをチャラになんて、絶対にしたくないです。

京大合格していた世界ではまた違う景色が見え、貴重な体験も多く経験していたことでしょう。

しかし、現に私は、大学進学からの8年、充実した人生を歩むことができたと胸を張れる。

今も、これからもそうです。

 

確かに受験期を思い返せば後悔しかない。「あの時こうしていれば...」なんてのは、挙げればキリがない。

ただ、その、挙げればキリがない「あの時こうしていれば...」が、今の私を造っています。

 

某巨大掲示板の名言ですが、当時の一番の励みとなっていた言葉で締めくくりとさせていただきます。

「10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。 今やり直せよ。未来を。10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今」

 

 

気が向いたらまた戻ってきます

 

P.S.

で、ウンヵ月の有給消化期間、何する?

決まっています。勉強です。システムエンジニアは勉強の毎日です。

国家資格である基本情報・応用情報・高度情報など...

民間に目を向けると、ITベンダー認定という、実務レベルのスキルを問われる試験もあります。

ウンヵ月もあれば、いくつか認定は取れるだろう。しかし、I●パスポートみたいなレベルのものでは転職先に見せる顔がありません。

そこはご安心を。複数の認定ホルダーとして、どの認定がどの程度の勉強量を要するかはある程度把握している。

後は、いつも通り、この10年間で培った勉強方法を適用し、適切なインプットとアウトプットを通じて合格を目指すのみ。

実力の世界では、この手の認定や資格は、正直、名刺以外の意味を持つことは少なく、実務で今すぐ使えるスキルを持っているか?の方が重要です。

しかし、実務転用を視野に、実際に手を動かしてアウトプットしながらの勉強であれば話は別。

 

何もしないよりは、遥かにマシです。

何もしなかったネトゲ廃人時代。それを経験しているからこそ、そう思える。

どうもこんにちは。私こと「あああああ」です。

今日は大学がお休み!やったね!
「毎日がお休み状態」だったあの時と比べると、週二日の休日の価値は極めて高いし、この上なく幸せなひとときです

2013年に書いてた記事を全部読み返しました。

2013年と言えば、本来高3。受験に関して右も左も分からない状態でただ「『京大合格』を目指している」という体で勉強していた時期。

で、記事を読み返して思った事は

①いくら何でも受験に関する知識が不足しすぎている
②参考書変えすぎ!!!
③自分の実力を正確に理解できていない、そのため、参考書チョイスが意味不だったり、目標との果てしないギャップを全く推し量れていない。(焦りが見られないのはそれが理由)
④模試で落ち込みすぎ


まぁ、今だから言えますが突っ込みどころ満載です。

①いくら何でも受験に関する知識が不足しすぎている

ぶっちゃけこれは仕方ないと言えば仕方ない。
進学校に通っていたり、同じく受験勉強をするライバルがいる環境に居れば恐らく問題は無いが、高校にすら通ってない、ライバルどころか同い年の友達も皆無。
しかし、インターネットや本を使えばいくらでも補強できたはず。
情報を必死に掻き集めた時期はあったが、上手く取捨選択が出来ていなかったのだろう。


②参考書変えすぎ!!!

今思えば有り得ない。変えすぎだし買いすぎ。
マセマをやっていたと思ったら1対1になってるし、英語もいつの間にか新しい本を購入してたりするし。
2014年の浪人時からはこれを直して、1冊を完璧にするスタンスで勉強できてたから良かったが・・・。


③自分の実力を正確に理解できていない、そのため、参考書チョイスが意味不だったり、目標との果てしないギャップを全く推し量れていない。

まぁ、もし正確に理解できていたら京大なんて目指さないだろうけどね!!
参考書チョイスはとにかく意味不。
マーク模試で偏差値40とかなのに数学で1対1を使っていたり現代文で開発講座を使っていたり、参考書ではないが東進講座で現代文記述論述を取ったり、英語でも満足な点数が取れていないのに発音アクセントの参考書を買っていたり、・・・。


④模試で落ち込みすぎ

これは良くないですよねえ。
模試終わってから傷心旅行気分を味わうって何だよ・・・
というか、過去問を解く段階でさえも一気に落ち込んでましたよね
当時の学力や勉強期間的に言えばすらすら解ける方がおかしいし、「これからの頑張りで何とかなる」という意識が欠けてました。


読んでて恥ずかしくなってきましたが、せっかくなので全記事残します。
受験生の皆さんには当時の僕みたいな過ちは犯して欲しくないです。

まぁ、暇があったらさかのぼって読んでみるとある意味面白いと思います。




大学生活が始まり、もう3週間たちました。
田舎から上京したため、東京での生活は慣れない事ばかり、ましてや大学なんて・・・そもそも高校通ってないんだこっちは。

もしあの時勉強を始めなければ、もしあの時辛い辛い勉強生活からリタイアしていれば、今ごろ僕はこの場にいなかった。大学生にもなれなかった。ずっと変わらず家に引きこもりネトゲばかりに没頭していただろう、間違い無く。

そう思うと、自分の頑張りに少しは自信が持てる。それでMARCHかよ(笑)と笑われそうだけどww

まあ、誰がなんと言おうと、「大学生」という強烈なアイデンティティを得られたことは、それまでどこにも所属せず、完全に社会から隔絶されていた時期を経験した身からすると、とんでもなく重要な意味を持っているのです。

間違い無く今自分は幸せですし、「自分でやってのけたんだ!」という達成感もあります。

と同時に、「あの時ダラけずにもっと頑張っていれば京大だってもしかしたら・・・」「もしあと一浪できたら・・・」という気持ちも、否定のしようが無いぐらいにはあります。

でももう辞めよう。。。

中央大学や立命館大学に受かった時、それはそれはもう嬉しかったです。
でも同時に、仮面浪人の道だって何度も何度も考えました。
その為わざわざ田舎から大学受験の参考書を何冊も持ってきましたしね

そこで出した結論は、「6月までは普通の大学生としてキャンパスライフをエンジョイする!」
新歓にも参加するし、同じ講義同じクラスの人間に片っ端から話しかけまくるし、サークルだって何個も掛け持つ(現在3つ)

その中で「中央大学いいじゃん!」と思ったならば万々歳だし、さんざん遊び倒しても「やっぱり違う・・・!」と思ったならば、仮面という思い切った道をとっても、その後来る多くの苦痛に対して自分の中で納得できるしアリではある。

で、今の心境は、普通に「中央大学いいじゃん!」って思っちゃってます。
住めば都というコトバがあるが、実際その通りです。

特定の大学に固執するのを悪い事とは言わないし、むしろ凄い事だと思う。
ただし、固執するからには異常なまでの精神力と集中力を必要とする。僕にはそれがない・・・ただそれだけの話。
1浪MARCHで笑われても良い。19歳中卒無職で笑われるよりはずっとマシ。


ていうか、もう疲れたよ。2年半も・・・。















2012年9月まで
ネトゲを一日10時間以上やり続ける引きこもり生活を続ける

2012年9月~10月 (本来高2)
受験勉強開始
中学のおさらい。中3の範囲は一度も習ったことがないので独学で進める

2012年11月
東進に入る

2013年1月
当ブログ開設

2013年4月 (本来高3)
マーク模試で全科目総合4割未満。偏差値・・・・いいたくねえww
やる気を一気に無くす

2013年5月
ブログを辞める

2013年6月~9月
だらけながらも勉強を続ける

2013年7月
高卒認定試験が迫るも、全く勉強できずにいる
結局数日間しか対策できていない状態で本番の日を迎える

2013年8月
高卒認定試験合格!!
良かった・・・。残すは大学受験のみである!

2013年9月
京大模試を受ける。2割も取れなかった。自分が惨めに感じた
11月の模試に向けて人が変わったように勉強し始める。一日コンスタントに10時間続ける

2013年11月
「どう頑張っても京大は無理じゃん・・・」と悟り、勉強への熱が一気に冷める。結局センターまで1時間も勉強せず

2014年1月
丸二ヶ月無勉で挑む。総合5割。アホみたいな点数でありながら、冷め切っていたためあまり落ち込まず

2014年2月
浪人を許される。と同時に吹っ切れる。悟りを得たかのように図書館に篭り勉強するようになる。一日コンスタントに12時間。
そんな生活が4月まで続く
「今年どこか受けておくべき」といわれ、京大は無理だったが地元の某公立と立命館と某産近甲龍の大学を受ける

2014年3月
某公立と某産近甲龍共に合格!!
立命館は最低点-10点で見事に滑る

2014年4月 (一浪)
マーク模試を受ける。昨年の同時期のマーク模試に比べ偏差値が全科目20以上アップ!!ガリ勉の成果にひたすら喜ぶ
ギリギリではあるが、点数的には京大も射程圏内に入ってきたかも・・・?

2014年4月~9月
浪人時は本当にあっという間に時間が過ぎてしまう。びっくりするぐらい何も印象に残ってない。勉強はしていた・・・いつものだらけはしょっちゅう出たが、それでも真面目に取り組んでいたと思う

2014年10月
マーク模試の点数、偏差値共に一気に下がる

2014年11月
また一気に腐り始める。一日中ゲームをしたりしてすごす。結局また2ヶ月ろくに勉強できずセンターの日を迎える

2015年1月
昨年よりは遥かに伸びた!が、今年度で最も悪い点数を取る。超得意の英語が滑りまくり自信を無くす
この点数では京大はおろか、国立はどこもダメかもしれない・・・、と思い、MARCHあたりを乱れ撃ちすることに。

2015年2月
中央法政立命館を色んな学部で合計9回受ける。早慶はセンターの点数を見るにリスクが高すぎる。明治立教も考えたが、下手に沢山の大学を受けるよりは少ない大学を何度も受けたかった
2浪は絶対に許されない。とにかく必死だった。

2015年3月
何と9回受け全て合格!
中央大学への進学を決める


総括
とにかく、「熱しやすく冷めやすい」という僕の性格が手に取るようにわかると思う。
結果的に浪人した事で現役時受からなかった大学へリベンジできたし、一貫して「京大合格」を掲げていたため常に上を向いて勉強できた。その結果、一浪時に全勝できたのだと今では思う。

確かに第一志望には到底力が及ばなかった。でも、高すぎる目標を持つことはあながち悪い事じゃなかったかなあ・・・負け犬の遠吠えかもしれないが。
グーテンモルゲン!私こと「あああああ」です
第二外国語はドイツ語です

当初の目標だった京大合格は無理だったにしても、大学進学+社会復帰は既に果たしたためこのブログはもう用済みです。
しかし、せっかくだから何かしら記事にしたい・・・。
僕が語れるのは、「高卒認定」のこと、「大学受験」のこと、ぐらいかな・・・。
この2年半の出来事を自伝の如くつらつらと書いて自己満足に浸るのも一興ではあるが・・・、それはウザすぎるか。

かといって大学での生活の事を書くのもなあぁ・・・ほぼボッチだし。

とりあえず、ブログの更新を停止していた空白の2年間について掻い摘んで書こうかな?



「必ず合格発表までには戻ってくるぜ!」と言っておきながら2年も消息を絶ってしまった・・・。申し訳御座いません

っていうかお前誰だよ! ってなってそうですね

申し遅れました。「あああああ」です。僕についての詳細は↑とかプロフィールとかで、気になる方はご確認を。


何から話せば良いものか・・・

この二年間、本当に色々ありました。ブログの存在を完全に忘れる程度には。

とりあえずこのブログの趣旨は「大学入試」ですので、それに関しての現状等を話そうかと


単刀直入に言うと
京都大学は無理でした(受けてすらない)
しかし、一浪の末、中央大学(非法)へ進学が決まり、2015年春から通っております。

京大目指しておきながらMARCHかよ・・・(笑)という御意見はごもっともです。本当にすいませんでした。

しかし、当時のネトゲ廃人ぶりを鑑みればとんでもない飛躍であると確信しています。今の時代、一般的にMARCHを高学歴と言うのかはわかりませんがね。



勉強期間は2年半となりました。
本来高2の年の秋から、一浪の年の春まで。
普通の人よりも遅い、そして短く、常に孤独だった「高校生活」でした。





しばらくの間、ブログの更新を停止しようと思います

受験ブログから離れるとはいえ、受験勉強はこれからも続けるし、京大合格という野望は一切消えていません。

何が何でも合格してみせます。

京大模試やセンター試験、遅くとも合格発表までにはひょっこり顔を出すと思います。
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勉強云々とは毛ほども関係ないけど、咲11巻読みました。麻雀の漫画です。
麻雀というより最早超能力勝負みたいな展開が最近の売りである咲シリーズ、11巻から物語的にも「いよいよ・・・」といった感じがしました。続きが気になる!そして麻雀がしたくなってきた!
ちなみに自分はネット麻雀しかやったことがなく、降りることを一切しらないド素人ですので、もし僕と対局する事になったら存分にカモってください


本題(?)
前ブログで言っていた、あの林修先生の現代文講座・・・現代文記述論述トレーニングという講座ですが・・・ついさっき第1講目を終えました。
感想、難しいが手ごたえはある。にしても評判通りいい授業をするんだなぁ。あれだけ人気が出のも頷ける。
現代文は当面この授業をしっかりやっていく事にしよう。

数学と英語も、苦手な領域とそうでない領域がわかっているので、次の模試までに苦手な領域を何とかしよう・・・。

日本史の本格的な勉強は最近はじめたけど、まぁまぁ順調か。流れとかをきちんと理解するために、誰かに授業とかをしてみたいな・・・。人に説明しようとすると、有り得ないぐらいその内容を覚える事が出来ますからね。
まぁ、そんなのを聞いてくれる友達は残念ながらいないので、脳内授業にとどめておこう・・・。


皆さんごきげんよう。お元気ですか。

先日の記事で有り難いコメントを頂き、模試への姿勢や日々の勉強の姿勢などを見直す事が出来たと思います。今は何とか平常運転です。
ブログをやっててよかった・・・と心の底から思いました。この場を借りて感謝の意を。

とりあえず最近までメンタルとか色々ゴミカスってたんで、ダメダメだった分を持ち直していこう・・・。

今勉強しているのは地理以外の全ての科目。
数学は順調。塾の担任から「次は絶対割とれ」と言われたのでプレッシャーが・・・。
センターレベルの問題ならほぼ難なく解けるはずなんだよなぁ・・・。模試がセンターより難しいのか、或いは・・・と考えると、やはり自分の基礎力云々という話に帰着する。というわけで、「この程度のレベルなら熱でぶっ倒れてても全部解けるわ!」と思うぐらいのレベルの問題集をやってます。が、思いのほか解けない基礎力が不足しているとはこういう事か・・・。

現代文も順調。最近東進の現代文の講座を取りました。
そう、あの先生、です。
まだ始めていないのですが、すごっく楽しみです!

特筆する点はないけど、英語地学、日本史とかも順調に進めています。



そういえば、ネプリーグ見ました。
なんというか・・・金谷先生が全てもって行きましたねwwww
安河内先生もいいキャラしてたなぁ。
志田先生があまり喋っていなかったのが少し残念でしたね。まぁ、らしいっちゃらしいですけど。
あー、また志田先生の講座を取りたくなってきた。秋あたりに東大対策文系の奴とってみようかな。考えておこう。
それではアディオス

ボンジョルノ。更新が途絶えがちで申し訳ないです。

とりあえず、もう5月かよ!!
早すぎる・・・。つい最近まで「もう4月かー」と思っていたところだったのに。

勉強は少し滞りがちです。
やはり、メンタル的な要素を考えると、受験勉強は本当に辛い。
どうしてもその大学に入りたい、いやその運命にあると過信しているハズなのに手が止まる。模試の成績があまり宜しくなかったからか・・・。
恐らく、こういった精神的なところでふるいにかけられているんだと思う。
今の僕は振り落とされないように必死こいてギリギリの所で持ちこたえている状態

どこかの本に書いてあった言葉ですが、「受験には国語、英語、数学、理科、社会、人間力の6科目がある。基本的に最低点は0点だが、人間力だけはマイナスもありうる。」(うろ覚え。)
なるほどなぁ、この言葉を少し理解しました。

3月とかは余裕ぶっこいてましたが、やっぱりなんだかんだで不安でした。そして今は自信を全て踏みにじられ不安だけが残りました。ここからどう持ち直していくか・・・。

あと、センター理科は地学でいこうと思います。センター対策用の参考書も購入したので、本格的に対策に入ろうと思います。今にもなって「やっぱ生物の方が・・・」とか考えるのは完全に死亡フラグだと思うので、直感を信じていきます。

あと、つい最近までセンター地歴で世界史と地理で悩んでいたのですが、世界史初学からになる、+地理の方がと好きだし分量が少ない という事で地理に変更しました。ここも直感を信じようと思います。
僕のブログを見てくださっている方なら察していただけると思うのですが、後から「あーやっぱりこっちの方がいいかも」と考えて、結局きた道を戻るような事をしょっちゅうしていました。これは昔っからの僕の性格だと思います・・・。
比較的分量が少ない(とされている)地理地学を軽く終わらせて、二次で使う三教科をガッチリ鍛え上げていく感じですね。