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ももいろクローバーZ、西武ドーム8月5日観戦記

いやあ、行ってきましたよ。人生で初のアイドルコンサート。37,000人も入ったって。野球では30,000人ぐらいしか入れないはずだけど、コンサートの場合、グラウンドにアリーナ席があるからね。

写真の黄色や赤の物体はいわゆる花道です。ももクロちゃんたちが自分の色のところで踊ったりするわけ。しかも、これがグイッと持ち上がるクレーンになっていたのは見事でした。ももクロちゃんを乗せて観客の上空を旋回するわけですわ。

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コンサートそのものは余計な演出も少なく、結構よかったと思いますよ。ただ、問題は自分の席で、内野席の上の方だったのだけど、ももクロちゃんは豆粒にしか見えなかった。だから持っていった8倍の双眼鏡をライブ中は手放せなくて、かなり目が疲れました。双眼鏡で見ても彼女たちの表情まではハッキリわからず、非常に残念。

センターとスコアボードにはスクリーンもあるのだけど、それすら小さくて双眼鏡で見てしまった。そういう意味では昨日の席だったらテレビやDVDの方が楽しめたかも。お祭りとしてはいいのだけど、やっぱり野球場は広すぎますわ。今度は何としても彼女たちの笑顔を間近で見てみたい。

このコンサートだけど、観客の男女比率は6:4ぐらいかな。アイドルのコンサートとしては非常に女性比率が高い。あらためて、ももクロが女性から人気があることを実感した。また、会場に一人で来ている人が多いのも印象的だった。結構きれいな女性も何人か見かけて、おおっと思った。まあ、それはいいか。

次回は12月24日、25日にさいたまスーパーアリーナでクリスマスコンサート。去年と同じ会場だけど、スタジアムモードでやるため、一度の収容人員は今回と同じく37,000人ぐらいになるらしい。それを2日ってすごいな。

この2年間でモモくろちゃんは驚くべき集客数の進化を遂げている。たった2年間で60倍ですよ。その2年ぐらい前には代々木公園で観客5人の前でやっていたのに。

2010年12月 日本青年間(1,200人)
2011年 4月 中野サンプラザ(2,200人)
2011年 8月 読売ランド(6,000人)
2011年12月 さいたまスーパーアリーナ(10,000人)
2012年 4月 横浜アリーナ(24,000人)※2日間
2012年 8月 西武ドーム(37,000人)
2012年12月 さいたまスーパーアリーナ(74,000人?)※2日間

これ以上大きな箱って、どこにあるのだろう?いずれにせよ、もっと近くで見たいという気持ちが募った昨日のライブでありました...。

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こんな感じで見たかったなあ...。


再度問う。なぜ、私はももクロが好きなのか?


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なぜ、こんなにももクロが好きなのか?前にも書いたけど 、人生でアイドルにはまるのは初めてだ。しかも、彼女たちは自分の娘と言っておかしくない年頃の子たちである。

どういうふうに感じているかを無理矢理表現すると、付き合いたいとか結婚したいとかいうわけではもちろんなく(当たり前だ)、ただニコニコと眺めていたいという感じか。現在、私には妻子がいないのだが、こんな娘がいたらいいなと思う。たとえば夏菜子(赤)が娘で、友達(他の色の子たち)が私の家へお泊まりに来てくれたら、めちゃめちゃ楽しそうだ。

私は彼女たちの歌や踊りだけではなく、メンバー間でじゃれあっている映像だって何時間でも見ていられる。可愛いし、トークも面白い。

ちなみに他のアイドルグループでは全然無理。ひょっとして、自分はこの年代の子たちが好きになったのではと思い(!)、YouTubeで他のアイドルグループの歌を何曲か見たが、1分も見ていられなかった。全く興味が持てない。まあ、ある意味、ホッとしたけど。

ただ、いくらももクロちゃんたちが可愛くて魅力的でも、音楽的に関心が持てないと、ここまではまることはなかった。実はももクロだって、昔の曲には典型的なアイドルソングもある。たとえば、「未来へススメ」 とか。

これが作詞・作曲にヒャダインこと前山田健一が参加することによって、大きく飛躍した。同じ未来という単語が入っていても、「ミライボウル」 なんて強烈だ。コテコテのアイドルソングかと思わせておいて、1分後に曲調がガラリと変わってしまうのだから。とてもももクロらしい曲で、これは初心者にお薦め。

というわけで、明日ももクロちゃんたちに会ってきます。西武ドームのチケット取れたのですよ。衣装も買いました。まさか、こんなものを自分が買うことになろうとは。そう、私は夏菜子推しだ。さあ殺せ!

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これを着た姿、会社の部下には絶対見せられないな...。

猫、最後の決断


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十数年飼っている猫が重い病気にかかった。部屋のあっちこっちでお漏らしをし、歩きながら突然バタンと倒れる。時折ハアハアと苦しそうな息をしている。

要は歳なのだ。外に出さず家で飼っているため長生きはしているが、そろそろ寿命らしい。病院には何度も連れて行った。もはや回復の見込みはないようだ。

お漏らしの後始末、際限の無い医療費負担に私は耐えられなくなってきた。気持ちもすさみ、つい猫に向けて声を荒げてしまう。もう限界だ。

かと言って、まさか保健所に連れて行くわけにもいかない。何年も一緒に暮らした相棒なのだ。これが寝たきりなら病院で安楽死という話もあるのだろう。ところが、ヤツはまだ動きまわっている。

どうせ別れるなら、きれいに別れたい。悩んだ末、どうするべきかは猫自身に決めさせることにした。ずるいようだが、仕方ない。

私は自宅にあった拳銃に弾を込め、猫の前に置いた。そして、語りかける。
「決して強要はしない。だけど、おまえもつらいだろう。どうすればいいか自分で考えてくれ」

猫はじっと、こちらを見つめていた。いつものように静かな目。俺の友達、これで本当にお別れなのか。泣きそうになり、私は猫を置いて部屋から出ようとした。

ニャッ!という鋭い声。

振り向くと、猫が拳銃を構えていた。銃口はまっすぐ私に向けられている。えっ、それがおまえの結論か?

待てっ。話し合おうじゃないか。


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※フィクションなので、クレーム入れないでね。うちに拳銃ありませんから...。

【映画評】ダークナイトライジング


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賛否両論の映画。結論から言うと、否の方である。

クリストファー・ノーランのバットマン3部作に対する私の評価は以下の通り。

・バットマンビギンズ    駄作
・ダークナイト        大傑作
・ダークナイトライジング 凡作

ライジングは前2作を見ていないと理解不能というか、見ていても時間がたっていると(普通たっている)ついていきにくい作品だ。ビキンズとダークナイトを足して2で割ったのがライジングだと思っていただければいい。

つまり、(駄作+大傑作)÷2=凡作というところか。

とにかく無駄に長い。ストーリーも盛り上がるかと思うとそうでもなく......を繰り返し、最後の方で多少暴れる感じである。この164分の映画、編集で2時間以内にカットできると思う。登場人物、無駄なエピソード多すぎ。

ビキンズでしつこく描かれる修業時代のウンタラカンタラはスターウォーズの二番煎じもどきで、実はあまり面白くない。ダークナイトはヒース・レジャーの怪演もあったが、人間のダークサイドに光を当てた傑作であった。ライジングはビギンズのつまらないエッセンスが結構入っているので、かなり質を落としている。

正直、ダークナイトはあそこで完結している映画だと思う。続編を作りようのない作品であった。あれ以上暗い方向に進むと物語が(一応ヒーローものだし)成り立たないし、明るくすると嘘っぽくなる。そこを無理に作ってしまったため、妙に中途半端な作品になってしまったのだ。

あと、いくら何でもバットマン弱すぎ。普通に殴ったり蹴ったりするヒーローなんかいらんです。残念の一言に尽きる。

ところで、歴代のバットマンシリーズ全体で作品的にはダークナイトが図抜けているが、バットマンそのものは1989年第一作のやつが一番好きだ。仮面姿ではマイケル・キートンの口元が最高にシャープだと思う。嘘だと思ったら見比べてみて欲しい。

最悪なのがジョージ・クルーニー。ニヤけて見えてしまうのですな...。クリスチャン・ベイルはその中間かな。

以上、とても残念な映画でした。

【DVD】ももいろクローバーZ「試練の七番勝負」

おおっ、しばらく真面目なテーマが続いたではないか。
土曜日の酔っ払い課長 は微妙だけど。ここは一発、ももクロいっておきます。
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DVDを語る前に話は2011年4月10日の中野サンプラザ公演に遡る。この日はももクロの歴史にとって重要な転機となる一日だった。明らかに一番美人でサブリーダーで、かつMC(トーク担当)だった早見あかり(あかりん、ブルー)が、この日をもって、ももいろクローバーを脱退したのだ。つまり引退公演の日。

この公演のDVDも買ったが、これは真面目に泣けた。あかりんだけのために作られた「あかりんに捧げる歌」というのがありまして、これがグッとくるのですわ。で、涙、涙で感動のフィナーレ...とはいかなかった。あかりんが去った後、コンサートの最後に突然、グループ名変更が発表されたのだ。そう、「ももいろクローバー」が、ももいろクローバーZに。

騒然となる会場。初めはポカンとし、そして猛抗議するメンバーたち。彼女たちにも改名は全く知らされていなかった。強引な「多数決」を経て、それは正式に決まった。

さらに。普通であれば、主要メンバー脱退でショックを受けたメンバーをしばらく休ませたいと思うのが人情かもしれない。ところが、ももクロスタッフは、そうさせなかった。翌日の4月11日から7日連続で、ももクロと各界の著名人とのトークショーを開催したのだ。それが、このDVD。

進行役は山ちゃんこと、南海キャンディーズの山里亮太。彼が実にいい仕事をした。

1日目。テーマは「バラエティ」。ゲストは、よゐこの有野晋哉。
面白かったが、メンバーのトークは、まだ荒削りな印象。これから日を追うごとによくなっていく。

2日目。テーマは「お金」。ゲストは金子哲雄(舌足らずな喋り方の流通評論家)と田中秀臣(経済学者)。
お金というよりは、ももクロのプロモーションプランが語られた。驚くべきことは、ここで語られたプランや、ももクロメンバーたちの夢のかなりのことが、それから1年も立たないうちに実現しているのだ。

ドイツ、フランスでの公演、ドラマ出演、チケットが取りにくいアイドルになりたい(今は日本一と言われている)、企業とのタイアップ等々。まさに予言の回。

3日目。テーマは「アメリカ」。ゲストはデーブ・スペクター。
いつものアメリカンジョーク満載の回。海外進出という点では参考にならないが、意外や日本のトーク番組でうまく発言するコツなどが披露されて、それがなるほどと思わされた。

4日目。テーマは「プロレス」。ゲストは武藤敬司。
プロレスとももクロは実に相性がいい。メンバーが入場シーンやマイクパフォーマンスをやったのだが、その格好良さ目を見張ったし、腹を抱えて笑った。武藤にも気に入られたももクロは後日、顔にペイントしてプロレスのリングに登場し、歌だけでなく、毒霧を吐いたり、場外乱闘に参加したりすることになる。

5日目。テーマは「プロファイリング(分析)」。ゲストは吉田豪。
吉田氏はアイドルのインタビューで有名なライターなのだが、ツボを心得たインタビューは実に楽しく、ニコニコしながら見てしまった。彼いわく、いろんなアイドルグループを見ているが、こんなにメンバー同士の仲がいい子たちは見たことがないそうだ。

6日目。テーマは「アニソン(アニメソング)」。ゲストは水木一郎。
ここではじめて、メンバーに「Z」の秘密が明かされる。今、ももクロがテレビに出ると必ずやる「ももいろクローバーZ!」の発声とアクションは、まさにこの日、Zの本家、水木一郎によって伝授されたのだ。

7日目。テーマは「ロック」
最終日。この日はトークショーではなく、ザンジバルナイトという日比谷野外音楽堂に3000人が入ったロックイベントに殴り込みをかけた。これが圧巻。

今でも語り継がれるリーダー百田夏菜子の第一声。
「ロックファンの皆さん、目を覚ましてください!」

床が滑るからと裸足になった5人の少女は、ふっきれたように炎のパフォーマンスを見せる。わずか4曲。でも、それは観客の魂を揺さぶった4曲。頼りにしていたメンバーの脱退、意味がわからなかった突然のグループ名変更、それらは、はるかかなたへ吹っ飛んで行った。まさに、ももいろクローバーZという全く新しいパフォーマーが誕生した瞬間。

何だアイドルかと、軽く見ていた観衆が、時間と共に熱狂していくのがわかる。公演後に主催者のリリー・フランキーは「感動しました。これはロックを通り越して、ドパンクですね」と、深い感銘を受けた様子で語った。あの、いつもクールなリリーさんがである。

ここまで。

この7枚のDVD。たった一週間のできごとなのだが、少女たちがアーティストとして、そして人間として著しい成長を遂げた姿を目撃できる。大げさではなく、初日と7日目では全くの別人だ。

彼女たち自身の頑張りはもちろんだが、あえて試練と、挑戦すべき壁を与えて、ももいろクローバーZを飛躍させたスタッフの皆さんに深い敬意を表したいと思う。

おっと、ももクロを語ると、いつもより真剣になってしまった...。
では、おやすみなさい。

(参考)ももクロの過去ブログです。

だから、私はももくろが好き

ももくろ中毒患者の独白

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【書評】虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ


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現在は、ちくま文庫で読むことができる。この手のテーマに興味がある方には必読の名著である。

今は違うが、学校を卒業してから約二十年、成果主義と歩合制の会社で生きてきた。脱落せずにここまで生き抜いてこれたのだから、決して敗者ではないと思う。その私が自信を持って言う。著者は正しい。

サラリーマンは多少(もちろん安すぎるのは論外)給料が安いぐらいでは会社は辞めない。だが仕事がつまらないと、すぐ辞めてしまうものである。その意味で 「頑張った人には仕事の面白さで報いるべき」というのは、まさに至言。

別に著者がこれまでの年功制を無条件に絶賛しているわけでないことは、多少の読解力 を持つ人間ならわかるはずだ。著者はここで「完璧なあるべきモデル」を描ききっているわけではない。しかし、成果主義よりは人間の本質に近い「あるべき方向」をこの本で示そうとしている。これだけでも十分価値があると思う。

成果主義の会社で働く人に質問。何でこんなに皆が認める「嫌な奴」 が上に行くのだ、と思ったことはありませんか?成果主義の勝者は、社内で力のある上司に気に入られるか否かがすべてである。

数字で結果が出る営業であって も、売る商品も対象顧客も誰もが全く同じということはありえない。そういう意味で本当に客観的な指標などこの世には存在しない。過剰な成果主義は、かえって属人的かつ原始的なものだ。

機会を改めて論じたいが、成果主義につきものの「能力給」、「歩合給」も決してバラ色の世界ではない。私は「固定給」の世界に移ってからの方が貯金が増えた。

というわけで、これ結構読みやすい本なので、よろしければ、ぜひ。

これは普及しないって(1)電子ブック

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技術屋さんというのは懲りない人たちで、誰かが過去に何回も市場で惨敗しているのに、また同じような物を売り出そうとする。私がいつも、それは無理だってと思うものが2つあるのだが、今日はそのうちの1つ。

電子ブック。

断言する。紙の本がこの世からほぼ消え失せ、完全に電子化されることは、ここ数十年ないだろう。特に小説、ノンフィクションといった分野においては、まだまだ紙の天下が続くと思う。

いくつか理由を挙げよう。

・読書家の心情の問題。本好きにとって、本は単なるコンテンツではない。カバー、帯、紙質、インクの臭い、手に持った感触、そして内容、これらすべてがそろって、はじめて本なのである。饅頭のあんこだけ売っても、たいして買い手がつかないのと一緒だ。

・経済的な問題。電子コンテンツは書店で新刊を買うより割安とか言っているようだが、本は新刊にさえこだわらなければ、図書館、古本などで安く入手できるものだ。あと割安としているのはハードカバーと比べてのようだが、現段階では文庫化された本ほど安くない。さらに紙の本なら読み終えたものはブックオフやAmazonで売れるが、こっちは無理だ。

・持ち運びの問題。普及しているスマートフォンや電子タブレットと別に電子ブック専用デバイスなど持ち歩くだろうか?あと文庫本なら少々手荒に扱ってもページが折れる程度だが、機械は壊れてしまう。

・読者の理解の問題。仕事でパソコンを使っている人ならわかると思うが、画面を見てよくわからないメールだとか情報も印刷して読むと内容を理解できることがある。また、紙の本なら読み終えたページをもう一度見ることは簡単だが、電子ブックではめんどくさい。検索機能がある?何ページだか覚えていないし、いちいちキーワードで探してらんないって。

一方で、カタログ、マニュアル、ガイドブック、地図、一部雑誌などは確かに電子媒体の方が便利なことがあるし、今後も普及は拡大するだろう。

要は小説、ノンフィクションなど、がっちり読み込み、気に入ったものは身近に置いておきたいもの、また教科書や参考書などいろんなページを読み込み、付箋つけたり下線引いたりするものは完全電子化が無理だろうと言いたいのだ。

また、カタログやマニュアル等についても専用デバイスが必要だとは思えない。スマートフォンやタブレットで十分だろう。

よく電子ブックの宣伝にある、古典が100冊入っていますとか、アホかと言いたくなる。文章をコンテンツ、記号としか見られない人は決して本好きではない。また、本を好きでない人が「電子ブック」の発明などできるわけがないのである。

酔っ払い課長、または分解オヤジの話

この話を喜劇と見るか、悲劇と見るかは皆さん次第です。よかったら、読んでやってください。

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前に勤めていた会社での話。 それはぼくがまだ社会人になって間もない頃のこと。

当時の上司はバケモノだった。図体がゴリラのようにでかく、何かしゃべると、その野太い声はフロア中に響き渡った。何より閉口したのは無類の酒好きで、毎日のように飲みに連れて行かれたことである。

楽しい酒ならいい。だが、全く楽しくなかった。居酒屋では、延々ととつまらないお説教。オヤジは技術上がりで、生粋の営業ではない。こういう人間に限って「営業とは...」とか講釈をたれたがる。山本七平氏の本に、職業軍人ではない徴兵された兵隊に限って「軍人とは...」と威張りたがるという話があったが、それと同じ。

説教の中身も今思うと本当にくだらなくて、簡単に言ってしまえば「お客ともっと酒を飲め」というものだった。ぼくはその後、営業を十数年やったが、接待だけで商談が取れるほど世の中甘くない。オヤジの言うことが正しければ、世間のトップセールスは全員アル中のはずだ。

2件目のバーでは、ひたすらカラオケ。これもボックスで気のあった仲間とやるのは楽しいが、バーで見知らぬおっさんたちの演歌聞かされるのは地獄だ。3時間も4時間もだよ。またここでもオヤジはわがままで、俺の曲を他の客より先に入れろと言い出しては、ぼくを困らせた。

オヤジは時々お婆ちゃんと呼びたくなるママとチークダンスを踊ったりもした。ぼくもやらされた。まさに恐怖体験。今でも夢に見てうなされたりする。

午前3時から5時の間になって、オヤジはようやく「帰るぞ」と言い出す。それは、ぼくにタクシーを呼べと言っているのだ。バブル絶頂期の頃である。タクシーチケットは無限に使えたが、とにかく車がつかまらなかった。携帯もない頃である。公衆電話で指が折れそうになるまでプッシュボタンを押し続けた。

ようやく車が来てもそれで終わりではない。悪いことにオヤジとぼくの家は方向が同じなのだ。タクシーの中でぬるい缶ビールを飲まされながら、また意味のない説教が延々と続いた。

しばらくそんな日が続き、心身共にぼくはボロボロになっていった。ちょうどそんな時期、オヤジが行く管理者研修のアンケート依頼がきた。部下から見た上司、つまりオヤジの要改善点を書けというものだった。

これ幸いと、ぼくは書きまくった。飲みにつれて行かれすぎで健康面、経済面で多大な苦痛を味わっている...と。匿名記入はありがたかった。

オヤジは研修から帰ってくると、すぐにぼくを呼びつけた。
「悪かった。ちょっと飲み過ぎだな」
と、あやまられてしまった。ぼくが書いたとバレバレだったのだ。
「俺もいろいろあらためるから、ちょっと話し合おう」
結局、その晩も飲みに連れて行かれた。

ぼくたちオヤジの部下たちにはどうしてもわからないことがあった。それは、オヤジがどうやって栄養をとっているのかということだ。

飲み屋ではビールと麦茶みたいに濃い水割りをうわばみのように飲んでいたが、つまみはほとんど口にしない。昼飯も部下や同僚と行かないし、あまり食べている形跡がないのである。

議論の結果、どうもオヤジは普通の人間と異なり、アルコールを分解してエネルギーにできるらしいという結論に達した。

その日から、彼のことを酵母菌オヤジと呼ぶようになった。

当時の飲み屋には、今のような酒のバリエーションはなかった。「ビール」、「日本酒」、「ウイスキー」で終わり。ワインどころか、焼酎もめったになかった。

今はめったに飲まなくなったが、当時の基本であったウイスキーなど、水で割れば何でも同じである。どうせサントリーしかなかったし。

つまり、酒の味が好きで、あそこまで飲むとはちょっと考えにくいのだ。だが、生きるためにアルコールを分解する必要があるのだと考えると、それでしっくりいく。

しばらくすると、オヤジは日当たりのいい窓辺でプハー、プハーと大きな息をするようになった。そしてなぜか緑色のスーツばかりをよく着てきた。それを見た誰かが行った。
「ついに光合成を始めたぞ」

名前がクロレラオヤジに変わった。


時は流れて十数年、つい最近オヤジをふたたび見る機会があった。前いた会社の人が集う立食パーティがあったのだ。

利害関係のない今、人望の有無は如実に現れた。誰もオヤジのところへは行こうとしない。白髪の目立つ彼は、ひとりポツンと立っていた。濃い水割りを飲みながら。隣の課の課長だった人は昔の仲間に囲まれていて、ぼくもその中の一人だった。結局、酵母菌でクロレラだったオヤジには挨拶すらしなかった。

パーティの帰り、現在オヤジと同じ部署にいる人と帰りが一緒になった。 自然と話題はオヤジのことに。
「あいかわらず、濃い水割り飲んでましたねえ」
ぼくがそう言うと、彼はエッという顔をした。
「知らないんですか?」
「・・・・・・」
「あれはウーロン茶です」
オヤジは数年前に肝臓を患い、大手術をしたらしい。 彼は言った。

「あの人は、もう二度とお酒を飲めないんですよ」

顧客との商談は、こう進めよう(4)沈黙の時間に

●沈黙の時間に

商談の途中に、ふと話題がとぎれることがあります。そんな時は、これまでに顧客が述べた内容を確認するようにまとめてみましょう。

「つまり、御社の課題は××と××ということでよろしいですね……」

相手の話を一度まとめてみると、まだ話したりない顧客は話し出しますし、あなたのまとめが違うと思えば訂正します。また会話が始まることが多いのです。これはカウンセリングでも使われる技法で、覚えておいて損はありません。

●形にしよう

顧客があなたの会社の製品に興味を持っているが、すぐ購入できる状況にないことはよくあります。最近、他社の製品を買ったばかりだとか、予算がないとか、何をどのぐらい必要としているのかまとまっていないなど……。

こんな時は無理強いは禁物です。顧客に余計なストレスを与えてしまい、あなたを避けるようになりかねません。いったんは距離を置くのが正解です。

ただし、あなたの会社の製品を採用した方が、明らかに機能、価格的にメリットがあると考えられる場合は、ひとつやっておきましょう。

それは簡単な見積書の提出です。すぐ買ってもらえる状況になくても、とりあえずあなたの提案を形にしておくのです。顧客が必要な製品の種類や数量が不明確な場合は、あなたが勝手に前提をおいて計算してしまいます。この場合は、こうなりますというふうに。

これは訪問後にお礼のメールと共に「ご参考までに」ということで送るのが効果的です。できるだけ間をおかない方がいいでしょう。これをもらって悪い気のする顧客は、まずいません。単なるカタログや一般資料の料金表よりは、はるかに顧客の記憶に残ります。

送った後は「いかがですか?」と、追い回さず、しばらく離れておいてかまいません。この件は放置して、他の案件に集中しましょう。 

あなたが忘れかけた頃、この買うはずがなかった顧客から連絡があることは少なくありません。状況が変わった、別案件で話を聞きたい……等々。見積書通りの製品を買ってもらえるとは限りませんが、少なくとも、その顧客のために手間と時間を費やしたことが好印象となって残っているのです。

機会があれば、ぜひお試しください。

【書評】米軍が恐れた「卑怯な日本軍」

戦場での「卑怯」と「正々堂々」の違いは何なのだろうか?
それが知りたくて、この本を買った。

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戦時中の米軍マニュアルには「卑怯なジャップに油断するな」と書いてあったそうだ。

降伏するふりをする、死傷したふりをする、米軍の一員のふりをする、友好的な民間人のふりをする、地雷&手榴弾を卑劣な罠に使う...。

この本では日本軍がそのような戦い方をした理由を次のように分析している
・中国戦線で自分たちがやられた手段をそのまま米軍に使った
・米軍の最大の弱点は人命損失だと考え、兵士殺傷の手段を追求した
・中国軍、日本軍とも敗色の濃い軍隊はやぶれかぶれの戦法で抵抗するしかない

それはいちいちその通りである。特に2番目の米軍が人命損失を恐れていたことは正しく、日本陸軍の着眼点は間違っていなかった(あちらは民主主義の国である)。惜しむらくはボケ海軍の航空機が、すぐ沈んで人命損失の可能性が高い米軍輸送船や小艦艇をろくに攻撃せず、なかなか沈まない空母や戦艦ばっかりに立ち向かっては撃ち落とされたことである。

だが、肝心の卑怯とそうでないことの違いについては、残念ながら、この本は回答をくれなかった。ちょっと手榴弾、地雷、仕掛け爆弾に関するところへページを割きすぎたような気がする。

私なりに先に挙げた「卑怯な例」を分類すると、

(通常の戦闘行為なのでOK)

・死傷したふりをする
・地雷&手榴弾を罠に使う

(明らかに戦時国際法を逸脱した違法行為)

・降伏するふりをする
・米軍の一員のふりをする
・友好的な民間人のふりをする

もっとも、勝った米軍だって完全無欠で正義の軍隊とは到底言えないだろう。降伏した日本兵を平気で撃ち殺すわ、無差別爆撃するわ、原爆落とすわで、悪さを積み上げると、こっちの方がひどい気もする。

あちらの言い分としては真珠湾で騙し討ちにして、卑劣な戦闘行為をしかけるジャップなんか、どう殺しても自由だということかもしれないが。

戦争にきれいごとは通用しないのだろうか?

でも、それで終わったら、我々はただの禽獣である。どんな絶望的な状況にあっても、戦時国際法のような最低限のルールだけは遵守するのが人間という生き物の存在価値ではないのか。戦争体験者からは、そんなこと言ってられないよ、とあきれられてしまうかもしれないけど。

このテーマは非常に興味のあるところである。同種の本が出れば、また買ってしまうだろう。