昭和の子供なのだ! -32ページ目

禁じられた遊び・・・昭和の子供たち・やよい町15番地

 

 

トーチャンは、どんな映画でも

連れていってくれたけど・・・

ラジオで聞いた、きれいな音楽で気になっている 

禁じられた遊び っていう映画

観に行きたいって言ったら

バカヤロー!

子供がくだらんこと言うな!

怒鳴られた。

以来、今までこの名作は観ていない。

 

 

 

昨年暮れから発熱が何度かありまして

十二月は風邪で40℃で二日間

一月下旬は予防注射を打っていたのに

インフルエンザA型に罹り40℃で四日間

ようやく治ったと油断してたら

また風邪をひいてしまいの38℃

熱は引きましたが咳が止まりません

三回も寝込んでしまったここ三ヶ月、

まったくの不調で

シミジミ年齢を想い気落ちしている今日此の頃です

世間はコロナでパニック状態

これでどうにかなったら持病持ちの高齢者が

に、なっちゃうんでしょうか・・・

 

そんな中、寒気がしているのに

久しぶりに映画 1917  を観てきました

 

皆様、おだいじに

 

 

 

昭和の子供たち・やよい町15番地  まちぶせ

 

保育園入園早々、イジメにあい保育園を即中退

やめたのはいいけど暇でしかたがない

同じような年の子はみんな保育園に通っている

園児が帰る時間近くになると

チャンバラ・ゴッコの正装をして

だれか遊んでくれないか、って

通園路でまちぶせ

でもいざ

園児たちの姿が見えると、あわてて

家へ駆けもどり玄関の引き戸の後ろで

息をひそめている・・・情けない子供だった

 

 

 

 

 

 

 

二月七日 衛 恵悟 くん(まもり・けいご)

 

 

 

ボクが誕生日を迎えると彼を懐かしく想い出します。彼とは一週間、誕生日が違っていました。

一週間下なんだからエラソーな口をきくな、なんて高校時代は減らず口をたたいていたものです。

高校の三年間から社会へ出ても、クサレ縁で付き合いが続きました。

 

 

 

彼は いっつも青春の匂いがしていた

青くさい‘70年代の青春の匂いがしていた

 

シャイで純情で、繊細で不器用で、思い込みが激しくって

ワガママで、負けず嫌いで、強くって弱くって、自分勝手で

一人が好きで、でも人恋しくって、寂しがりやで

面倒くさくって、優しくって、幼くって、可愛い奴だった

 

彼が就職していた京都時代、絵の道に進むんだ!と決心し

そのために借りたアパートに何度か泊まったことがある

デッサンや油絵でゴチャゴチャの狭い部屋で芸術論をぶっていた

その数年後、大学へ行かないと何もわからん、と

勉強を始め、同志社大学に合格したものの

家の事情で帰郷せざるをえなくなり挫折

二十代の終わりから度々、イランへ出稼ぎに行き

それ以降は写真をライフ・ワークとして

晩年まで真摯に向き合い続けた

 

暇さえあれば日本全国、特に冬の東北地方の撮影行は恒例行事で

チベット、ネパール、中国まで足をのばしている

撮影行のエピソードは、写真といっしょに帰る度に聞かされたものだ

心臓を患い手術の数年後、今度は重度の難病を患い

写真を撮ることも叶わず

多くのカメラが廊下に放り出されたままになっていたのが

哀しかった

 

衛とは一緒に旅行をした。バイクでツーリングもした

無責任な芸術論やら小説やら映画やら

男、女やら節操なく何でも話すというより

言い合い、喧嘩もよくした

何の連絡もなく、フラッといつもの旅に出るように

寒い季節に逝ってしまったらしい

ボクが油断しているあいだに

戻れないところへ旅立ってしまったらしい

彼の見送りはしていない

 

逝ったのをボクは自分で確認していないから

今でも、大好きなクラシック音楽のCDを片手に

ヨッ!と片手をあげ、ここへ顔をだすような気がしている

いつだったか、会いたいときに会えるのが友だちだろ!

なんて言ってたけど

会えなくなっても友だちか・・・・

 

 

二月七日は 衛 恵悟くん の誕生日です

逝ってしまってもう十五年

以前に他のブログに書いたものを転載しました

生きている間は、ホントーに面倒くさい奴でしたが

今は、思い出すだけで胸が熱くなってきます