曲紹介のつもりで書き始めたら、「巨大ロボット論」になりつつある・・・・

 

 

 

  • (1)「幼馴染みが、婚約者になってしまった感覚」? 

 稀有な体験である。以前に聞いたことのある曲であり、歌詞で言うと「一番だけは知っていた」というレベル。別に嫌いではないが、好きでもなかった状態を、10年以上(イヤ、20年以上?)続けた後に、急に気に入ってしまい、スマホに取り込んでリピート再生させ、フトしたときに口ずさみ、遂にはネット通販で中古のサントラCDを購入した上、元になったPCゲームさえ、ヤフオクで落札して手に入れる、に至った。因みに、私(ZERO)の人生「初ヤフオク」の「初入札」で、「初落札」だ。

 「10年以上のもの間、唯知っていただけの曲を、急に気に入り、CD購入に至った」状態ってのも、私(ZERO)としては初めてで、これを例えるならば、「幼馴染みで、異性意識持たなかった異性に対して、急に恋愛感情が目覚める(さらには結婚までしてしまう)」と言う、ラノベや恋愛ゲームやエロゲにありそうな状況(*1)ではないか、と想像するのだが、如何だろうか。イヤ、ラノベとしても恋愛ゲームとしてもエロゲとしても、無論、実体験としても、そんな「体験」は私(ZERO)には全く無い(*2)のだが。

 その「急に気に入り、元のゲームまで購入に至った、曲」が、タイトルにもした「機神咆哮!デモンベイン」である。ゲームとしては「斬魔大聖デモンベイン」と、その続編たる「機神飛翔デモンベイン」があり、「スーパーロボット大戦」なんてシューティングゲームにも或程度影響している、らしい(サイドストーリーか何かになっている、らしい。)。

  • <注記>
  • (*1) ああ、「恋愛小説」にも、ひょっとすると、ある、のかなぁ? 
  •  
  • (*2) あ、「シティ・ハンター」の作者である北条司の短編に、辛うじてそれに近いモノがあったが・・・あの漫画のポイント・焦点は「幼馴染みとの結婚」では無く、「未来からやって来た娘」の方、だろう。 


 

  • (2)私(ZERO)が如何にして、「機神咆哮!デモンベイン」を気に入ったか?

 経緯をもう少し記しておこう。切っ掛けとなったのはYoutubeの動画だ。長いこと「歌詞は一番だけ知っていた」この曲をフルで聴いて、歌詞の中に「我が琴線に触れるモノがあった」のが、きっかけだ。ネット時代の有り難さで、曲名さえ判れば大抵の曲の歌詞が判る(*1)。まあ、日本語の歌だから、そんなモノがなくても大抵は「聞き取れ」はするのだが(*2)。

> 遠ざかる故郷(ふるさと)を、目の中に焼き付けていこう。遠く彼方なる戦場へ。

 この歌詞を聴いたとき、私(ZERO)が思い浮かべたのは「宇宙戦艦ヤマト」である。それも、リメイクでも実写版でも無く、原点と言って良いTVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」である。

 異星人ガミラスの遊星爆弾攻撃に依り、地球は海も干上がった赤茶けた「死の惑星」と化した。人類は地下都市で生き延びていたが、地球を救い、「青い地球」と取り戻すためには、14万8千光年の彼方、大マゼラン星雲のイスカンダルにあるという放射能除去装置コスモクリーナーDを取りに行かねばならない。異星からの技術導入で波動エンジンを搭載しワープ航法を可能とした、人類初の恒星間航行宇宙戦艦ヤマトが、今、地球を飛び立つ・・・ってシーン。海は干上がって赤茶けた地球を「目に焼き付け」て、これからイスカンダルへ、14万8千光年の彼方へ赴こうという宇宙戦艦ヤマトのシーンと、この歌詞とが、美事にマッチした、ってのが、「はまった」きっかけである。
 
 詰まるところ、私(ZERO)は、デモンベイン主題歌の歌詞に、「宇宙戦艦ヤマトの影(*3)」を見出してしまった、のである。
 

  • <注記>
  • (*1) 無論、判らないモノも、ある。 
  •  
  • (*2) 中には、そうでもない曲もある。ある曲の冒頭近くのフレーズなんて、未だに「日本語なのに、聞き取れない」。 
  •  
  • (*3) 「○○の影」とか「××の呼び声」とか言うタイトルは、実はクトウルフ神話大系に多い。「遙かなる山の呼び声」は、クトウルフ神話大系ではない、が。 


 

  • (3)外なる神如きが、デカい面するンじゃぁ無い。


 更に、比較的ゆっくりしたペースでシットリと歌い上げるこのフレーズに続く、ハイテンションな次のフレーズも、我が琴線に触れた。

> 燃える、五芒の星掲げ。挑め、外なる神々に。

 そう、外なる神々である。多分、英語ではOuter Oneってヤツだ。これは、元になったゲーム・「斬魔大聖デモンベイン」の世界が、関わっている。このゲーム世界の背景(の一つ)を成しているのは、「クトゥルフ神話体系」と呼ばれる一連の怪奇小説群なのである。ラブクラフトの怪奇小説を原点とするこの怪奇小説群は、種々の邪神がラスボス的存在として怪奇な事件の背後に蠢いているって設定なのだが、この邪神達がどういう訳か「遙か昔やら遙か彼方の異星・異恒星の惑星・異銀河の神」なんだそうで、何をとち狂ってだか好き好んでだか、我等が地球の我等人類にアレコレちょっかいを出して来て、こっちは大迷惑って、話、なのだそうな。


 「だそうな」ばかりなのは、私(ZERO)自身がクトゥルフ神話体系の小説を殆ど読んでいないから。菊地英之の「妖神グルメ」ぐらいで・・・アレは、余り「怪奇小説」ではないし、邪神は出て来るが異星らしさも異時代らしさも、余りなかったから、なぁ。


 一方で、そんな私がクトゥルフ神話について蘊蓄垂れられるのは、元々のゲーム・デモンベインが出た頃に在ったクトゥルフ神話を背景としたRPG(ロールプレイングゲーム)のお陰である。RPGと言っても、「ファミコンやPCゲームとしての、ドラクエ(ドラゴンクエスト)のようなRPG」では無く「テーブルトークRPG」とも呼ばれる人対人のゲームが「相応の流行を見せていた」から。プレイヤーはクトウルフ神話大系の登場人物となり、怪奇な事件に巻き込まれて「邪神の暗躍」と対峙することになる・・・ッてなストーリーを、ゲームマスターとの会話とサイコロを使って再現するゲーム。ルールや「シナリオ」やサイコロやチャート、ひょっとすると「マップ」も含めた箱入りゲームとして販売されていた。
 私(Zero)はこのゲーム、買ったこともやったことも無いのだが、雑誌記事では読んだので、相応の「蘊蓄」を垂れられている。マア、今ならば「ネット使ってウイキペディアでも調べる」事で、この程度の「蘊蓄」は誰でも(AIでも)可能なのであるが。


 左様な「在る業界内でクトゥルフ神話流行」を受けての、デモンベイン世界への「邪神=外なる神々の介入」なのであろう。が・・・幾ら「怪奇小説」とは言え、遙か彼方の「異星の神」が我等が地球や我等人類に干渉してくるってのが、先ず良く判らない。「異星の神」とは、古かろうが新しかろうが「異星人(ないし、異星の知性体)が信仰する宗教の神」であろうが、なぁんだって物理的には現世的には少なくとも光年単位で離れた(隣の恒星、αケンタウリまででも、確か1.5光年在る)我等が地球にちょっかいを出してくるんだか。


 一つ考えられるとしたら、「異星の宗教を信じ、異星の神を奉じる、邪教徒が、人類の中にも居る」が故の「信者の保護」ないし「信者に対する御利益」としての「邪神の干渉」って線がある。ある意味「人類の中に、邪神を信仰する”裏切り者”が居る」というケース。まあ、そんな「邪教徒」が、如何したら発生する=改宗させられるかに、先ず興味が湧くが、な。普通に考えて、「言葉ぐらいは通じないと、布教や改宗は無理」だぞ。


 でまあ、百歩どころでは無さそうな相当な歩数を譲って「異星の神に、我等が地球と我等人類に干渉してくる理由(必ずしも、正当である必要は無い)」があったとしても、だ。「なぁに他所モンがデカい面してやぁがるンだぁ?こちとら、神様は自前で十分間に合ってんだよ(*1)。
 特に我が国の日本神道なんてのは、「八百万の神」ってぐらい神様が数多いる。鰯の頭にも便所にも竈にも神様が御座すぐらいだ。であるから、今更幾柱かの神様が追加になったって、「どうってことない」のだが(*2)、人間の女性に手ぇ出して孕ませ(*3)たり、勝手なことしているんじゃぁ無い。


 そんな「クトウルフ神話大系に於ける、外なる神々に対する、怒り(と言うか、拒絶感、嫌悪感、かなぁ。)」が、この歌詞「挑め、外なる神々に」が我が琴線に触れた理由、で在ろう。

 閑話休題(それはさておき)・・・

  • <注記>
  • (*1) と言うより、ある意味「手に負えなくなっている」かな。 
  •  
  • (*2) 斯様に寛容な宗教は、地球上でも極少ないことは、特筆大書して良かろう。特に一神教なんて、基本「自分の神様以外は、邪神か悪魔」である。 
  •  
  • (*3) イヤ、そもそも「孕む」のか?チンパンジーと人間でさえ、交配は(普通は)無理だぞ。 

 

  • (4) 私(Zero)は、「巨大ロボット」が嫌いだ。 

 何故「嫌い」かと言うと、先ず「不合理だから、嫌い。」だ、二足歩行で大抵の場合ご丁寧に腕も2本だけある「巨大な人型」を兵器として使おうってのが、とんでもなく不合理だ。こんな不合理な兵器を使う理由として、「巨人が戦う、と言うコンセプトが、国民の士気を上げる(*1)」とか言う説明があったのは確か、「戦律のストラタス」だったと思うが、まぁだ「合理的な理由」はそれぐらいで、大抵はそんな屁理屈な説明すら無く、かかる「どう考えても不合理な兵器」を使っている。
 
 チョイと意外に思われるかも知れないが、兵器というモノは、必ずしも「合理的とは限らない」。兵器を開発し生産し調達し配備するには相応の時間もかかるし、大抵の兵器は数も必要だから、更に配備などに時間がかかる。つまりある兵器をある軍が保有し利用するッて事象には、相当に「デカい慣性」があり、「例え不合理と判明しても、即座に配備は止められない」事もまま起こるし、「不合理」と中々「判定されない」事もある。何を念頭に置いているかというと、実は「戦艦」だ。

 「軍艦の代名詞」とも言えそうな、大抵の人でもその名を知っていそうな「戦艦(*2)」だが、歴史的には19世紀も大部押し迫ってからしか登場しない。「戦車」や「戦闘機」(何れも登場は第1次大戦)よりは古いが、大差は無い。その戦艦に戦略兵器としての価値が確かにあったのは20世紀初頭の日露戦争ぐらいで、日本海海戦で「ロシアバルチック艦隊を日本連合艦隊が全滅させた」事で戦争そのものの帰趨を決し、戦略兵器としての価値を見せつけた。


 だが、その10年後に始まる第1次大戦では、英独双方とも「艦隊決戦」を望みつつ、ジャットランド沖海戦の様な「中途半端な艦隊決戦」に終わり、「戦争そのものの帰趨を決する」戦略兵器としての価値は「既に失っていた」・・・と断ぜられるのは、どうやら「後世の後知恵」らしい。事実、第1次大戦終結後の戦間期に於いて、「海軍軍縮条約」で真っ先に規制されたのは、戦艦だった。この時期成立した海軍軍縮条約により、「原則的に戦艦の建造禁止」になったのだから、如何に「戦艦が重視、重大視されていた」かが、判ろう。


 序でに付け加えると、この海軍軍縮条約は「世界三大海軍国」始め多くの国が批准し、従っており、所謂「海軍休日」を実現したのだから、近年の核兵器保有国がタダの一国も批准していない(*3)「核兵器禁止条約」とは、重みも実効性も全く異なる。有り体に言って、かつての海軍軍縮条約は厳然と存在し実効支配する「条約」であったが、現在の「核兵器禁止条約」は、「条約と書かれた紙切れ」でしか無い。


 それはそれとして、海軍軍縮条約が真っ先に「戦艦の建造を原則禁じた」と言うことは、「戦艦の数」が、「米ソ冷戦下の核弾頭の数」よりも遙かに大きい「戦略的価値」(*4)があるモノ、と考えられた。


 だが、20世紀の前半に生起した第二次大戦、就中大東亜戦争に於ける海戦(*5)にて、戦艦の航空機に対する決定的なほどの劣位が証され、第二次大戦終結後は敗戦国は言うに及ばず、戦勝国(*6)も戦後程なく戦艦を退役させてしまい、唯一「世界最大の海軍国」アメリカだけが戦艦を保有していたが、これも21世紀に入る頃に予備役に編入。今日の世界中に「現役の戦艦」は、唯の一隻もない。即ち戦艦は「絶滅艦種」なのである。
 

 斯様な次第であるから、「後から考えれば」だが、第一次大戦から第二次大戦までは「戦艦は、不合理な兵器だが、各国が保有し続けていた」と言うことが出来るし、戦後から20世紀一杯ぐらいアメリカが「戦艦を保有し続けた」のも「かなり不合理」だと・・・イヤ、戦艦に「ロマンを感じる」という点では、私(ZERO)とて「人後に落ちる」気は全然ないが、「兵器の合理性」という点では、戦艦が「相当な期間、(実は)不合理な兵器であった。」事は、否めないだろう。

 戦間期の海軍軍縮条約を巡る各国の思惑と駆け引きとか、それによる帝国海軍の「艦隊派」と「条約派」の対立とかを考えると、「その頃でさえ、戦艦は不合理な兵器であった。」と断じることは、当時の人達からも数多の英霊たちからも、袋だたきにされそうな主張ではあるが。

 話が大部脱線したが、「戦艦のように、不合理な兵器が存在する/した」事は認めるモノの、基本的に「不合理な兵器(ないし、不合理な兵器の使い方)では、勝てない」のであるから、「不合理な兵器」は時が経れば淘汰される(と、期待できる)。故に「不合理の塊のような巨大ロボット兵器」なるモノは、私(ZERO)は嫌いなのである。

 更に言うと、大抵の場合この「不合理極まりない兵器である巨大ロボット」が、「実にデカい顔をしている」のが数多の巨大ロボットアニメやゲーム、なのである。モノに依っては(*7)「巨大ロボットが余りに強いので、他の在来型兵器が駆逐されてしまった。」なんて設定になっているのだから、これはかなりの理不尽だ。航空機にせよ艦艇にせよ戦闘車両にせよ、相応の歴史的経緯と切磋琢磨研鑽を経て、今ある形となっている。これが「究極にして理想型」という心算は全く無いが、「単に人の形をしている」ぐらいしか利点の無さそうな巨大ロボットに、戦闘機も戦車も戦闘艦も「取って代わられる」理不尽さは、一寸「筆舌に尽くしがたい」モノがある。

 私(ZERO)は、SFもファンタジーもそこそこ好きだし、SFぐらいならば小説に書いたことさえある(その幾つかは、弊ブログともなっている。(*8))が、「理屈が通らない」のは嫌いなのである。だから、大抵の巨大ロボットモノの「巨大ロボットの理不尽なまでのデカい顔」は、嫌いなのである。
 いや、戦車や戦闘機や戦闘艦に「取って代わって」もイイけどさ、ならばその理由を相応に「説明しろ」と、言いたくなるのだが・・・こう言う説明があるの巨大ロボットモノは、実に少ないようだ。
 
 ああ、米映画の「パシフィックリム」では、対怪獣(*9)兵器としての巨大ロボットを、「怪獣を下手に倒すと環境汚染するから」と説明して・・・つまりは「撃ち殺す」と多くの血が流れて環境汚染がヒドいから、「殴り殺す」「くびり殺す(*10)」為の「巨大ロボット兵器」だそうで・・・これが今の所一番「合理的な巨大ロボット兵器」かも知れない。
 
 で、大部脱線したが話を元に戻すと、デモンベインである。これもまた「巨大ロボット」が登場し、ある意味主人公でさえ在る、の・だ・が・・・「主題歌が気に入ったからって依怙贔屓する」心算は無い(*11)が、「巨大ロボットの不合理さが嫌いな私(ZERO)でも、ここまでぶっ飛んでいると、受容できてしまい、いっそ清々しい。」とさえ、感じてしまう。「機神」とも「デウス・マキナ」とも呼ばれる本作のデモンベインはじめとする敵味方双方の「巨大ロボット」は、「魔道書で召還される」存在で、魔法どころか邪神の力まで使って、二足歩行二本腕の巨大な人型(とも、限らないようだが)となって、手で殴る、脚で蹴る、銃を撃つ、剣を振るうと、「荒唐無稽巨大ロボット格闘戦ゲーム」というキャッチフレーズに恥じない挙動(暴挙?愚挙??)を見せてくれる・・・挙げ句の果てには当のデモンベインは「自らの意志を持つ」かの如き節まで見られる。まあ、これは、「付喪神」なんてモノになじみ深い我等日本人としては、「日常茶飯事」とも言えそうではあるが。

 ああ、「狂言回し」を演じる(としか思えない)マッド・サイエンシスト・ドクターウエストの「破壊ロボット」の方が、二足歩行って点を除けば「合理性と言う点では幾らかマシ」だったりする。その「合理性と言う点では幾らかマシな」破壊ロボットが「狂言回し」程度(「やられメカ」で無いだけ、マシか。)であることに、デモンベイン世界の荒唐無稽さ=ハチャメチャ度が、現れていよう。
 

  • <注記>
  • (*1) ひいてはそれが、呪術的・魔術的価値を持つ、とか言う説明、だった気がする。 
  •  
  • (*2) それどころか、「軍艦は全部、戦艦だ。」と思っている人も、相応に居そうだな。弊ブログにも、米海軍の輸送艦を「戦艦」と表記してしまったWSJ誌か何かの事例が、記事となっている。
  •  > 戦艦ニューヨークが2000年に入港した際には・・・
  • って表記。
  •  因みに「戦艦ニューヨーク」ってのが、超弩級戦艦として実際に米海軍に所属していたことは、在る。無論、2000年どころかとっくの昔に廃艦だ。「超弩級戦艦」だぞ。
  •  改めて言うが、「戦艦」は「軍艦の一種」で、「絶滅艦種」だ。「絶滅危惧艦種」ですら、ない。 
  •  
  • (*3) その上、核兵器保有国が批准する目処も何も無い。 
  •  
  • (*4) なぁにしろ、我が国が世界三大海軍国の一角に在りながら、海軍軍縮条約下、所謂「海軍休日」当時に保有した戦艦は、10隻でしかない。千のオーダーで数えられる「核弾頭数」とは、文字通り「桁違い」の戦略的「単価」、であろう。 
  •  
  • (*5) 分けても、大東亜戦争開戦劈頭の真珠湾攻撃とマレー沖海戦。 
  •  
  • (*6) その一国に、イタリアがある。私(ZERO)は、イタリアが「戦勝国になり果せたこと」よりも、「戦後も戦艦保有国であり続けた」事の方が、許せない。
  •  我が艨艟唯一の生き残りの戦艦 長門が、地上核実験の標的とされて沈んだことを思えば、尚更、だ。 
  •  
  • (*7) 例を挙げるならば、「コードギアス」シリーズの巨大ロボット(と言うには少し小さいが)ナイトメアとか、ファイブスターストーリー(の、ナンだっけ?モーターギア??)とか。 
  •  
  • (*8) ファンタジーは、無い。「未だ無い」と言うべきかも、知れないが。
  •  弊ブログには「理屈が通り、筋の通ったファンタジー」という「ハードファンタジー(ハードSFのファンタジー版)」ってのを提唱する記事もある。 
  •  
  • (*9) ウーン、怪獣ってのも、かなり不合理な存在な、気はするが。 
  •  
  • (*10) いや、くびり殺せる、のか?そもそも、呼吸している、とは限らない気がする。 
  •  
  • (*11) 心算、だ。 


 

  • (5) > そして、昨日より強くなれ。


> 必ず君は思い出せ。愛する人との誓いを。
> そして、昨日より強くなれ。


と言うのも、フルで知った「機神咆哮 デモンベイン」の歌詞で気に入ったフレーズである。

 人は、一人では特に、弱く、儚いモノである。「邪神」なんて強大で永遠性さえ在るらしいシロモノと対比・対峙するなら、尚更だ(*1)。

 だが、人は変われる。「昨日より強く」なれる。力を合わせることも出来れば、親から子、師匠から弟子へと、受け継ぐことも出来る。

 昨日よりは今日。今日よりは明日。
 一人よりは二人。二人よりは三人。一代で成せなければ、二代、三代。
 人の世の、人の力。
 定命なる者の、定命なるが故の強靱さ。


 「人類を、舐めるな。」

> 因果を越えて、魔を断つ剣、無垢なる刃、デモンベイン。
 

  • <注記>
  • (*1) でも「邪神と人とのあいの子」は出来るらしいのだから、「荒唐無稽の上塗り」とでも、表現すべきだろうか。 


 

  • 1.斬魔大聖デモンベイン 機神咆哮デモンベイン


 紅蓮の業火燃える街
 邪悪の声が招く 闇
 「黙示録の日」は迫る

 流れる弔いの哀歌 汚(けが)れた大地悼(いた)む声 
 祈り聞き届け立ち上がれ

 憎悪の空に 呼び覚ます正義

 魔を断つ剣とり
 切り裂け。絶望を、
 怒り 拳に込め砕け

 涙拭って、いま吼えろ
 命の限り BURN UP

 悲しみ運ぶ風の中 滅びの鐘が鳴り渡る 荒野に力尽きるとも

 必ず君は思い出せ 愛する人との誓いを
 そして昨日より強くなれ

 正しき怒りその胸に抱いて
 無垢なる刃とり 轟け雄叫びよ

 来たれ 大地揺する機神 (きしん) 運命(さだめ) 恐れず突き進め
  貫き通せ JUSTICE

 遠ざかる 故郷(ふるさと)を 目の中に焼き付けてゆこう
  遠く 彼方なる戦場へ

 燃える五芒の星かかげ 挑め外なる神々に
 鋼(はがね)裂いて唸る鋼(はがえね) 滾る血潮 燃える瞳

 「因果を越えて 魔を断つ剣 無垢なる刃 DEMONBANE (デモンベイン)

 

  • 蘇れ。「兵隊さんよ、ありがとう。」-スーダン邦人救出を受けての朝日、毎日、東京社説に、呆れる。


 「劇的な成功」とか「電撃的な勝利」とか言うと大袈裟ではあろうが、戦乱の危機迫るスーダンから我が自衛隊機を以て邦人救出&脱出に成功した、と言うのは、「近年希に見る快挙」と言っても過言では無かろう。
 無論、「戦乱が発生した国から邦人が脱出する/救出される」なんて事態は、「そうそうあって貰っては困る」事態ではあるが、左様な事態・状況下で、我等が自衛隊が有効に機能し、邦人救出/脱出に成功した、と言うことが「慶事である=目出度い」事に、変わりは無かろう。

 かかる事態を受けて、アカ新聞各紙も社説で題材としている、の・だ・が・・・御前ら(矢っ張り)、根源的に「何か」が欠けてるンじゃぁ無いか?

 人として、人間として、根源的に大切な「何か」が、よ。
 
①【朝日社説】スーダン退避 情勢安定に尽力継続を
②【毎日社説】スーダンから邦人退避 国際連携の重要さ示した
③【東京社説】スーダンの衝突 国際社会が停戦を促せ

  • (1)①【朝日社説】スーダン退避 情勢安定に尽力継続を

スーダン退避 情勢安定に尽力継続を

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15620947.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2023年4月26日 5時00分

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写真・図版

スーダンから退避し、ジブチの自衛隊拠点で健康チェックを受ける日本人家族ら=2023年4月24日、武石英史郎撮影

 

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 アフリカ北東部のスーダンから、在留邦人らの大半が無事、国外に退避したことに安堵(あんど)した。国軍と準軍事組織の戦闘はなお続いており、日本はこの後も、国際社会と連携し、情勢の安定に向けて力を尽くさなければならない。

 

 現地には、NGOや国際協力機構(JICA)、日本大使館の関係者とその家族ら約60人が滞在していた。うち45人は、自衛隊機で近隣のジブチに到着。他に計13人がフランスや国際赤十字の協力で国外に脱出した。岸田首相は、首都ハルツームからは希望者全員の「退避が完了」したと表明した。

 

 一昨年、アフガニスタンでタリバンが首都を陥落させた際は、自衛隊機派遣の判断が遅れたとの批判があった。今回は、ジブチに自衛隊の拠点があったことも幸いし、輸送機を早期に派遣、待機させて、救出の機会をうかがうことができた。

 

 「停戦」合意下でも、戦闘が収まらない厳しい環境のなか、自衛隊機が待つ東部のポートスーダンまで、邦人らをはるばる陸路で移送するのが難しい任務だったことは、想像に難くない。政府によると、韓国やアラブ首長国連邦(UAE)などの協力があったという。諸外国や国際機関との連携の重要性を改めて強く感じる。

 

 まだ退避希望者が1人、スーダン南部に残っている。他に数人がそれぞれの事情で国内にとどまる。政府は大使館を一時閉鎖、ジブチに臨時事務所を開いたが、引き続き邦人の安全確保に万全を期してほしい。

 

 退避の詳細はまだ明らかになっていない。今後の教訓をくみとるためにも、政府には国会報告などを通じた、できる限りの情報開示が求められる。

 

 国連によれば、スーダンでの戦闘による死者は427人、負傷者は3700人以上に上る。周辺国に逃れる市民も増え、隣国のチャドには1万から2万人が流入したという。

 

 グテーレス事務総長は、地域やそれを越えた破局的な惨事となる危険性を指摘。「国連はスーダンを去らない。平和で安全な将来への希望を支えるため関与する」と述べた。

 

 米政府も仲介に動き、さらなる72時間の停戦で合意を取り付けたと発表した。確実に実現し、さらに恒久的な停戦に結びつけるためには、国際社会の一致した働きかけが欠かせない。

 

 日本は国連安保理の非常任理事国で、主要7カ国(G7)の議長国でもある。首相はまた大型連休中に、エジプトやケニアなどアフリカ4カ国歴訪を予定している。あらゆる機会を生かし、和平に向けた国際的取り組みに指導力を発揮すべきだ。

  • (2)②【毎日社説】スーダンから邦人退避 国際連携の重要さ示した

スーダンから邦人退避 国際連携の重要さ示した

 

 

https://mainichi.jp/articles/20230426/ddm/005/070/103000c

 

注目の連載 

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞 2023/4/26 東京朝刊 English version 854文字

 内紛が激化しているアフリカ北東部スーダンから、在留邦人と配偶者ら58人が国外へ逃れた。健康状態に問題はないという。無事に退避できたことに安堵(あんど)する。

 

 政府が派遣した自衛隊の輸送機が、そのうち45人をスーダン東部から近隣国ジブチへ運んだ。自衛隊法に基づく邦人輸送は6回目となる。このほか、フランスなどの支援を受けて13人が退避した。

 

 

 現地で対立する正規軍と準軍事組織が数日間の停戦に合意し、欧米などが自国民らの脱出を急いでいた。日本政府による救出も大きな混乱なく進められた。

 

 2021年にアフガニスタンへの自衛隊機の派遣が遅れた教訓が生かされた。当時、政府が意思決定に手間取り、邦人や現地職員らを迅速に救出できなかった。

 

 

 その後、政府は現地の安全に関する派遣要件を緩和し、閣議決定なしで送ることができるよう法改正した。

 

 改めて浮かび上がったのは、突発的な事態が発生した際、情報収集と救出作戦には国際的な連携が不可欠だということだ。

 

 戦後日本は憲法9条に基づき、海外での武力行使を厳しく制約している。他国の紛争や戦争に関与しないようにするためだ。自衛隊の活動に一定の限界があることはやむを得ない。

 

 

 そうであるからこそ、速やかに情報を集め、派遣の可否を含めて的確に判断する必要がある。

 

 スーダンの邦人らは、危険な首都ハルツームから、空港のある他地域まで陸路で移動したという。岸田文雄首相は、移動などに協力したフランスや韓国、アラブ首長国連邦(UAE)、国連などに謝意を示した。

 

 一時的な停戦が成立し、各国の人々が退避する時間を確保できたのも、国際社会がスーダン側に強く働きかけた結果だろう。

 

 

 今後も日本として、平時から外交努力を重ねることが重要だ。それが紛争の防止や平和的解決だけでなく、在留邦人の安全に関わる事態への備えにもつながる。

 

 スーダンの内紛が終わったわけではない。退避を望まなかった少数の邦人らもいるという。日本を含む国際社会は、地域の安定に向け、本格的な停戦を実現させる努力を尽くすべきだ。

  • (3)③【東京社説】スーダンの衝突 国際社会が停戦を促せ

スーダンの衝突 国際社会が停戦を促せ

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/246343?rct=editorial

 

 

2023年4月26日 08時03分

 

 アフリカ北東部スーダンで政府軍と準軍事組織との戦闘が続いている。国連によるとこれまでに市民を含む四百二十人が死亡。日本人を含む外国人の退避が進む。

 今回の衝突は軍人同士の利権争いが本質であり、市民の流血を止めるため、国際社会は利害を超えて結束し、停戦実現を働きかけるべきだ。

 スーダンでは二〇一九年、三十年続いたバシル独裁政権が民主化運動で倒され、この際、政府軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」も政権を見限った。

 文民と軍の統治評議会が設けられたが、軍は二一年に文民勢力を排除。その後、軍は国際社会の圧力で民政移管に合意したが、軍の統合が課題となり、利権を失いかねないRSFが反発していた。

 RSFは元民兵組織。二〇〇〇年代に反政府勢力ら四十万人以上が虐殺された西部ダルフール紛争では政府側の先兵を務めた。近年はイエメン内戦でサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)に傭兵(ようへい)を提供し、ロシアの民間軍事会社ワグネルとの関係も深い。

 一方、政府軍も独自の企業体を抱え、特権集団を形成する。

 ロシアは双方にパイプを持ち、アラブ諸国ではUAEがRSF側と関係が深く、エジプトは政府軍を支援するなど一様ではない。

 まずは停戦に向け、これまで民政移管を促してきた国連やアフリカ連合などの介入が急がれる。

 首都ハルツームでの戦闘では在留する外国人にも被害が及んだ。日本政府は自衛隊輸送機を東部ポートスーダンに派遣。友好国などの協力も得て邦人約六十人のほぼ全員が国外に退避できた。

 自衛隊法では車両による「陸上輸送」も可能だが、より安全性の高い退避方法を選択したのは当然だ。残る邦人や他国の希望者の退避にも全力を挙げてほしい。

 スーダンはリビア、チャド、エチオピアといった政情不安定な国々に接する。内戦は周辺諸国に波及しかねず、一帯に浸透する過激派「イスラム国」(IS)にも暗躍の機会を与えることになる。

 内戦前から困窮していた市民の苦悩は計り知れない。国際社会は政府軍、RSF双方に停戦を強く働きかけねばならない。

 日本は現在、国連安全保障理事会非常任理事国と先進七カ国(G7)議長国を務める。岸田文雄首相の指導力が問われる局面だ。

 

  • (4)先ず、「兵隊さんよ、ありがとう。」では、無いのかね?

 兵隊さんよ、ありがとう。」ってのは、戦前戦中を通じて人口に膾炙した「キャッチフレーズ」であり、国防・国家安全保障の大任を担う帝国陸海軍将兵に対する謝意を端的に表すフレーズ。「将兵=軍人に対する謝意」なモノだから、戦後は「滅多に使われなくなった(*1)」だけに、些か「レトロ感のある」フレーズだ。私(ZERO)が記憶しているところでは、ルパン三世劇場版アニメ「ルパンvs複製人間」に於いて、銭形警部(未だ、納谷悟朗の声だった・・・)が、大挙押し寄せてきた米軍を「ルパン逮捕のために応援に駆け付けてくれた」と勘違いし、「兵隊さんよ、ありがとう!」と手を振る、シーンがある。

 ま、先述の通り、このフレーズにレトロ感がある上、銭形警部の勘違いもあり、このシーンのこの科白は、「ギャグ」というと言い過ぎだろうが、かなりコミカルなモノになっている。それだけ、「兵隊さんよ、ありがとう。」ってフレーズが「物珍しいモノ」である証左、でもあろう。(だから、「特別感」が、ある。)

 軍隊も自衛隊も軍事知識も、「戦後平和教育(*2)」なる美名の下に、忌避し否定する風潮故に、「兵隊さんよ、ありがとう。」のフレーズは聴かなくなったし、言われなくなった、と言うのも、一面の史実/事実であろう。

 だが、国の安全保障の大部分が軍事力に依存すると言う現実を直視するならば、その軍事力を担う軍人・自衛官には「相応の敬意と謝意」が表されて然るべきである。であるならば、「兵隊さんよ、ありがとう。」というフレーズは、「稀有である」ぐらいならば良いが、「死語としてはならない」し、「死語とすべきではない」だろう。

 殊に、今次スーダン脱出/救出という「作戦」を美事に成功させたのだから、少なくとも「邦人脱出成功の功」に対して、礼の一言ぐらいはあるのが、「礼儀」と言うよりは、「人の道」であり、「常識」であろう。

 だが、上掲朝日、毎日、東京各紙の社説には邦人救出した(と言って「言い過ぎ」ならば、「無事に邦人を脱出させた」)自衛隊に対する「感謝の言葉」は、ほぼ皆無。「各国との連携」が強調され、各国に対する謝意は表されているが、我が自衛隊に対しては「謝意の欠片も表されていない。」
 
 「各国との連携」がどれだけ強く、深かろうが、我が自衛隊無くして、少なくとも今回のスーダン脱出/救出は、成立しないだろうに。

 これが邦人脱出/救出に、一部なりとも失敗して、死傷者でも出ようモノならば、「岸田首相と自衛隊の責任追及」で非難囂々であったろう、と考えると、邦人救出に赴いた自衛隊も、それを命じた日本政府/岸田首相も、「誠にご苦労様」と皮肉でも何でも無く言いたくなるし、言うべきだろう。

 であると言うのに、上掲アカ新聞社説と来たら、「未だ残っている邦人も脱出させろ。」だの「スーダンの武力衝突を止めさせろ。」だの、挙げ句の果ては「岸田首相はG7議長としての責務を果たして、スーダンを平和にしろ。」とまで、好き勝手なことを言うばかり。前述の通り「連携してくれた諸外国には礼を言う」が、「諸外国と連携した日本政府」にも、「その諸外国の連携を活かして、邦人救出に成功した自衛隊」にも、感謝の欠片も表明していないし・・・・恐らくは、「感謝の欠片も持っていない」。

 「日本政府が邦人を救出するのは当たり前で、邦人救出を命じられた自衛隊は救出に成功して、当然。」ぐらいに思っていれば、未だ見つけモノかも知れない。「ちっ、失敗しやがらなかったか。残念。」ぐらいに思っている公算大、とすべきだろう。

 無論これは、私(ZERO)の「推定/邪推」である。が、アカ新聞どもの「日頃の行い」、言説主張からすると、相当程度に確信を持って断言出来そうだ。

 で、そんな、恐らくは「日本政府が邦人を救出するのは当たり前で、邦人救出を命じられた自衛隊は救出に成功して、当然。」ぐらいに思っている(ひょっとすると、「ちっ、失敗しやがらなかったか。残念。」とさえ、思っている)状態を、「人として、人間として、根源的な欠陥がある」と評するのは、先ず「常識の線」では、なかろうか。

  • <注記>
  • (*1) 実に妙な話だ。国防・国家安全保障の大任を軍人/自衛官が担うのには、戦前も戦中も戦後も、右も左も、軍国主義も共産主義も、関係ない、と言うのに、だ。 
  •  
  • (*2) 「戦後平和教育に対する一反例が、私(ZERO)自身である。」と言うことを認めるには、吝かでは無いが。 
  • 滑走路=「潜在的な航空基地」-【琉球新報社説】下地島米軍機飛来 「屋良覚書」の効力高めよ


 「平和ボケ」ッてある種の「認知障害」ないし「知的障害」は、何も戦後日本の専売特許では無く、外国にも別の時代にも「あり得ること」なのだろうが、「平和憲法」などと美称される事も多い自殺自滅自虐憲法たる「日本国憲法」と、これを崇め奉る「憲法信者」共のせいか、我が国では未だに「猖獗を極めている」と、私(ZERO)の様な「殆ど生まれながらの右翼」にして、「ネットなんざぁ欠片も無かった頃からの右翼」には思われる(*1)。

 大体、軍事知識や戦史教養を「右」とか「右翼」とかの「思想的傾向と直結させる」ってのが、そもそも「根源的な誤り」であり、軍事知識も戦史教養も、思想の左右と直接の相関は無い。「左翼の権化」とも言うべき旧ソ連時代の赤軍とて、「軍事知識や戦史教養の研鑽努力」はおさおさ怠らなかったと言う、明白な事実からすれば、「火を見るよりも明らか」と言うべきだろう。

 従って、三アカ新聞下っ端の琉球新報が幾ら「アカ」だからとて、「平和ボケ」する理由にも言い訳にもならない、のであるが・・・軍事忌避と軍人差別がヒドいこともあってか(*2)、下掲琉球新報社説の通り、「平和ボケ」ぶりを発揮発現している。
 

  • <注記>
  • (*1) それでも、「以前よりはマシ」とは、言えそうではあるが。 
  •  
  • (*2) そのくせ、「差別反対」とか「差別を無くせ」とか、平気で抜かすんだよなぁ。これぞ「二重思考」って奴、なのかな。 


 

  • (1)【琉球新報社説】下地島米軍機飛来 「屋良覚書」の効力高めよ

下地島米軍機飛来 「屋良覚書」の効力高めよ

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1694191.html

 

 

2023年4月14日 05:00

社説

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 「屋良覚書」がないがしろにされている。下地島空港の軍事利用に歯止めをかけるためにも「覚書」の効力を高める必要がある。

 

 8日に宮古島市の下地島空港に緊急着陸した韓国の米空軍烏山(オサン)基地所属のF16戦闘機2機が1週間も居座り続けている。県によると、不具合による米軍機の下地島への緊急着陸はほとんど前例がない。米軍はC12輸送機を派遣したが、銃を携行した米軍の警備要員4人も含まれていた。

 日本政府は「米軍の民間空港への出入は日米地位協定上認められている」との立場を示す。玉城デニー知事も「緊急事態に対応するためなので使用を許可している」として今回の戦闘機着陸には反対していない。

 しかし、下地島空港は民間機が発着する県管理空港である。「緊急」が名目とはいえ、ここまで長期間、米戦闘機が駐機してよいのか。武器類まで堂々と持ち込む行為は到底容認できない。ただちに空港を去るべきである。

 下地島空港に関しては沖縄が米統治下にあった1971年8月、琉球政府と日本政府が「軍事利用をしない」旨の「屋良覚書」を交わしている。米国も「覚書」の存在は認識しているはずだ。それでも給油などを理由とした米軍機飛来が繰り返されてきた。

 今年1月、米海兵隊は訓練による下地島空港の使用を県に届け出た。県が「屋良覚書」などに基づき使用自粛を求めたことから訓練は中止されたが、米軍が演習拠点として使用する機会をうかがっていると考えざるを得ない。

 今後は「屋良覚書」の効力や拘束力が問われよう。半世紀以上前の文書だが、日米両政府が勝手に死文化扱いすることは許されない。下地島空港の軍事拠点化をもくろむような動きに抵抗できるよう「屋良覚書」の条例化などを検討すべきだ。

 政府が昨年12月に閣議決定した安保関連3文書は平素の訓練を含め民間空港・港湾を自衛隊が柔軟に使用する方針を盛り込んでいる。米国は「重要な進化だ」と歓迎しており、今年1月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)はこの方針を日米双方にまで拡大することを確認した。

 先島地方の軍備増強が進んでいる。「台湾有事」を想定し、3千メートル級の滑走路を持つ下地島空港の軍事利用が拡大する恐れがある。

 敵基地攻撃の拠点となる飛行場は有事の際に攻撃目標となることは過去の戦争で証明されている。米軍機や自衛隊機の飛来が常態化すれば、周辺国を刺激し、緊張を高めることになる。それは県民の生命と財産を守る上で得策ではない。何よりも下地島空港と共に暮らしてきた宮古島市民の安全を脅かすことになる。

 日米両政府は下地島空港をはじめ南西地域の軍事拠点化を加速するのではなく、紛争を起こさないための外交努力を徹底して追求すべきだ。

 

  • (2)そりゃ、立派な「利敵行為」だぞ。

 上掲琉球新報社説が主張しているのは、詰まるところ、空港の軍事利用禁止である。「屋良覚書」なるモノが、その根拠論拠となっている、訳だが、私(ZERO)も今回初めて知ったこの「屋良覚書」なるモノは、かなり胡散臭い。

> 飛行場設置に当たっては住民の反対運動と誘致運動が繰り返された末、1971年(唱和46年)8月に日本政府と当時の屋良朝苗琉球政府行政主席との間に取り交わされた「屋良覚書」によって反対運動が収まり、空港建設ガ決定した。
> その内容は 下地島飛行場は、琉球政府が所有及び管理を行い、使用方法は管理者である琉球政府が決定する。
> 日本国運輸省(現・国土交通省)は航空訓練と民間航空以外に使用する目的はなく、これ以外の目的に使用する事を琉球政府に命令するいかなる法令上の根拠も持たない。
> ただし、緊急時や万が一の事態のときはその限りではない。 というも
のである。

と、ウイキペディアにもあるんだが・・・当該「屋良覚書」により「下地島飛行場を所有及び管理し使用方法を決定する」主体となっている「琉球政府」なるモノは、現存しない。

> 琉球政府(りゅうきゅうせいふ、英:Goverment of the Ryukyu Islands)は、1952年(昭和27年)あら1972年(昭和47年)まで、沖縄本島を中心に存在した統治機構の名称である。
> 1972年(昭和47年)に沖縄県が日本に返還された際に消滅し、沖縄県や沖縄総合事務局(国の出先機関)などに移管された。


ともウイキペディアに在るから、「沖縄県が琉球政府の後継者である。」ってロジックには一定の説得力があるが、一方で沖縄県はあくまでも日本の一行政区でしか無く、日本政府の「下部組織」でしか無い。「日本政府と琉球政府との間の覚書」が「日本政府と沖縄県の間でも有効」であるかには、疑義の余地が十分にあろう。
 
 よし、その「屋良覚書」なるモノが、従来従前「日本政府と沖縄県の間でも有効」とされていた、としても、「それでは不都合が生じている」と言うのも、厳然たる事実であろう。

 即ち、中国共産党による、我が領土たる尖閣諸島及び沖縄県に対する「核心的利益」なる「侵略宣言」は、その最前線たる沖縄の飛行場を、「単なる民間の滑走路」とは、見なせなくしている。

 タイトルにもしたが、官民を問わず「滑走路」というモノは、少なくとも一面「潜在的な航空基地」なのである。我が軍が利用すれば、我が軍の航空基地であり、敵軍が利用すれば、敵軍の航空基地となる。「単なる民間の滑走路」であり、「軍事利用は許さない/させない」と主張することぐらいは出来そうだが、「主張出来る(かも知れない)」と言うだけ。実際に「軍事利用されない」と考えられるのは、余程の間抜けか気違いだけ、だろうさ。
 
 ああ、「兼任」って手はあるかな。

 尤も、以前から何度も指摘している通り、かかる事態に鑑みて、琉球新報の「間抜け」だか「気違い」だか両者兼任だかを、「完全なる善意に基づく自発的な状態」と考えるのは、「安全側ではない」・・・と言うより、ハッキリと「危険である」と言うべきだろう。

 即ち、琉球新報が「間抜け」や「気違い」なんて「可愛いモノ」では無く、「中国共産党の日本侵略の尖兵=手先」と考えるのが、「安全側」というモノである。
 
 ではあるが・・・これも再三繰り返す通り、「実際に琉球新報社が中国共産党の日本侵略の尖兵=手先であるか、否か」は、大した問題ではない。

 その真意や善意や自発的か否かに関わらず、「実際に琉球新報が、中国共産党の日本侵略の尖兵=手先としての役割を果たしている」事こそが、重要であり、重大である。

 動機では無く、犯罪事象自体が、問題だ、って事だ。

 Parabellum 戦いに備えよ

  • 苦し紛れの論点ずらし-【毎日社説】放送法の解釈問題 指示介入防ぐ方策議論を

 立憲民主党の小西議員が政府が放送法の解釈を変更して、放送に対する不当な介入を可能にしていたぁぁぁぁ!!そんな法解釈変更したのは自民党の高市議員だぁぁぁぁ!これがその証拠書類で、公式な行政文書だぁぁぁぁぁ!!と騒ぐのに乗っかって、「言論の自由の弾圧だ!!!等々大騒ぎになった小西文書問題(別名 高市文書問題(*1)であるが、「小西」でも「高市」でも無く、「文書問題」とすらも言わない「放送法の解釈問題」ってことにして、未だ毎日に新聞が社説に取り上げている。

 いやぁ、ほとほと呆れるよなぁ。
 

  • <注記>
  • (*1)< で、問題なのは「文書の真偽」では無く、「言論の弾圧」たる「政府の放送への圧力」の方であり、その意味では(森友文書問題とは事なり)「文書問題ではない」のだが。 


 

  • (1)【毎日社説】放送法の解釈問題 指示介入防ぐ方策議論を

放送法の解釈問題 政治介入防ぐ方策議論を

社説:放送法の解釈問題 政治介入防ぐ方策議論を | 毎日新聞 (mainichi.jp)

朝刊政治面

毎日新聞 2023/4/19 東京朝刊 822文字

 時の政治権力によって放送の自律が損なわれることがあってはならない。放送法を巡る総務省の行政文書で浮き彫りになった根本的な問題だ。

 

 放送法4条が定める「政治的公平」は従来、「事業者の番組全体を見て判断する」と解釈されてきた。文書では、第2次安倍晋三政権当時の礒崎陽輔首相補佐官が、総務省に解釈の変更を迫った経緯が明らかになった<< 「文書では・・・明らかになった」ってのがミソで、「当該文書以外では全く証されていない」事を、実は(暗に)認めている、ってことではないのかね?

 で、「文書内に書いてあったことが、事実・真実」と断定しているのが、このパラグラフである。

 こう言うのを普通、「気違い」というのではないかな?  >>>。

 

 

 その後、当時の高市早苗総務相が「一つの番組のみ」でも判断し得ると国会で答弁し、政府はこれに沿った見解を出した。

 

 総務省は解釈変更ではなく、「補充的説明」だったと強調する。だが実際、政府・与党のテレビ番組への干渉が目についた。個々の番組への政治介入は、検閲につながりかねない。

 

 

 にもかかわらず、国会での議論は踏み込み不足の感が否めない。新しい解釈の撤回を求める野党に対し、政府は応じる姿勢を示していない。

 

 そもそも「政治的公平」を政府が判断する現在の仕組みが適切なのかが焦点だ。解釈を元に戻すだけでは十分ではない。

 

 

 放送法は戦前・戦中に言論が抑圧された反省を踏まえて制定された。事業者の自律を保障し、「表現の自由を確保する」のが主な目的だ。番組編集の自由も掲げる。

 

 4条の「政治的公平」は「倫理規範」であり、その確保は事業者の自律に委ねられているとの考え方が一般的だ。

 

 

 もし政府が番組内容を判断できるということであれば、憲法21条が保障する「表現の自由」を制限することになりかねない。

 

 本来、自主的な規制機関である放送倫理・番組向上機構(BPO)や、各局の番組審議機関に判断が委ねられるべきだ。

 

 放送局の姿勢も問われている。NHK予算は国会承認が必要で、民放は総務相から放送免許を受ける。制度上、政治が圧力をかけやすい構造になっているからこそ、言論機関として自律を守る覚悟が求められる。

 

 国会で議論すべきなのは、放送への政治介入を防ぐ方策だ。ほかの先進国のように、行政府から独立した規制機関の設置も検討すべきだろう。

 

  • (2)「放送法の解釈変更による、政府オ放送に対する不当介入」が「あった」なら、それを報じ糾弾する事こそ、報道の使命であろうに。そんな事例が何かあったか??

 上掲毎日社説の主張は、一言で言えば「放送法の解釈を変えてはならない。であり、更に進んで放送への政治介入を防ぐ新たな方策」まで要求している。

 ナンというか、「自業自得と自縄自縛を併発している」って感を抱くのは、私(ZERO)だけ、だろうか?

 先ず、今回の騒ぎを通じて改めて明示された事は、当該「小西文書」が主張するような「放送法の法解釈変更」は「行われていない」と言うことである。上掲毎日社説にもある「高市議員の国会答弁」が、その「今も変わらぬ放送法の解釈には反する」ってのは事実かも知れないが、それだけの話。「従来の放送法解釈に反する高市議員の国会答弁」と「誰が作ったかも未だ明確にされていない(*1)当該”小西文書”」を基に、放送法の解釈変更は、あったに違いない!ってのが、今回の騒ぎの一因であるが、有り体に言って、放送法の解釈に変更があった」事は、何ら証されていない。

 であると言うのに、

1> 解釈を元に戻すだけでは十分ではない。

ってのは、「放送法の解釈に変更があった事は、何ら証されていない。」事に対する、負け惜しみというか、遠吠えというか・・・「負け犬の遠吠え」ですら、もう一寸「理がある」と思うぞ。
 
 さらには、

2>  だが実際、政府・与党のテレビ番組への干渉が目についた。
3> 個々の番組への政治介入は、検閲につながりかねない。


と、シレッと上掲毎日社説は明記・明文化されているのだが、左様な「政府・与党のテレビ番組への干渉」を報じ、糾弾するのは、正に報道帰還の役割であり、ジャーナリズムの真骨頂であろうに、今次「小西文書問題(別名 高市文書問題)」を通じて、「政府・与党のテレビ番組への干渉」が、「あった」とも、「実はあった」とも、「実はあったが、政府・与党が怖くて今まで言えなかった」とも、「今もある」とも、報じられた覚えが私(ZERO)には全く無い。故に、先行記事の幾つかでも、「そんな事例は報じられていない」と断定断言しているし、今もする。

 上掲毎日社説では、「目についた」と断定断言している事例が、だ。妙な話では無いか。

 今からでも遅くは無い。上掲社説の通り「放送への政治介入を防ぐ方策」を求めるのであれば、「目についた政府・与党のテレビ番組への干渉」を、大々的に報じ、キャンペーンするべき、では無いか。

 で・き・る・も・の・な・ら、な。
 

  • <注記>
  • (*1) 氏名の公表も、国会への証人喚問も無い、と言う点で。「反対尋問」こそ、行われて然るべきなのだが、これが裁判では無く国会なので、それすら行われていない。