曲紹介のつもりで書き始めたら、「巨大ロボット論」になりつつある・・・・

 

 

 

  • (1)「幼馴染みが、婚約者になってしまった感覚」? 

 稀有な体験である。以前に聞いたことのある曲であり、歌詞で言うと「一番だけは知っていた」というレベル。別に嫌いではないが、好きでもなかった状態を、10年以上(イヤ、20年以上?)続けた後に、急に気に入ってしまい、スマホに取り込んでリピート再生させ、フトしたときに口ずさみ、遂にはネット通販で中古のサントラCDを購入した上、元になったPCゲームさえ、ヤフオクで落札して手に入れる、に至った。因みに、私(ZERO)の人生「初ヤフオク」の「初入札」で、「初落札」だ。

 「10年以上のもの間、唯知っていただけの曲を、急に気に入り、CD購入に至った」状態ってのも、私(ZERO)としては初めてで、これを例えるならば、「幼馴染みで、異性意識持たなかった異性に対して、急に恋愛感情が目覚める(さらには結婚までしてしまう)」と言う、ラノベや恋愛ゲームやエロゲにありそうな状況(*1)ではないか、と想像するのだが、如何だろうか。イヤ、ラノベとしても恋愛ゲームとしてもエロゲとしても、無論、実体験としても、そんな「体験」は私(ZERO)には全く無い(*2)のだが。

 その「急に気に入り、元のゲームまで購入に至った、曲」が、タイトルにもした「機神咆哮!デモンベイン」である。ゲームとしては「斬魔大聖デモンベイン」と、その続編たる「機神飛翔デモンベイン」があり、「スーパーロボット大戦」なんてシューティングゲームにも或程度影響している、らしい(サイドストーリーか何かになっている、らしい。)。

  • <注記>
  • (*1) ああ、「恋愛小説」にも、ひょっとすると、ある、のかなぁ? 
  •  
  • (*2) あ、「シティ・ハンター」の作者である北条司の短編に、辛うじてそれに近いモノがあったが・・・あの漫画のポイント・焦点は「幼馴染みとの結婚」では無く、「未来からやって来た娘」の方、だろう。 


 

  • (2)私(ZERO)が如何にして、「機神咆哮!デモンベイン」を気に入ったか?

 経緯をもう少し記しておこう。切っ掛けとなったのはYoutubeの動画だ。長いこと「歌詞は一番だけ知っていた」この曲をフルで聴いて、歌詞の中に「我が琴線に触れるモノがあった」のが、きっかけだ。ネット時代の有り難さで、曲名さえ判れば大抵の曲の歌詞が判る(*1)。まあ、日本語の歌だから、そんなモノがなくても大抵は「聞き取れ」はするのだが(*2)。

> 遠ざかる故郷(ふるさと)を、目の中に焼き付けていこう。遠く彼方なる戦場へ。

 この歌詞を聴いたとき、私(ZERO)が思い浮かべたのは「宇宙戦艦ヤマト」である。それも、リメイクでも実写版でも無く、原点と言って良いTVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」である。

 異星人ガミラスの遊星爆弾攻撃に依り、地球は海も干上がった赤茶けた「死の惑星」と化した。人類は地下都市で生き延びていたが、地球を救い、「青い地球」と取り戻すためには、14万8千光年の彼方、大マゼラン星雲のイスカンダルにあるという放射能除去装置コスモクリーナーDを取りに行かねばならない。異星からの技術導入で波動エンジンを搭載しワープ航法を可能とした、人類初の恒星間航行宇宙戦艦ヤマトが、今、地球を飛び立つ・・・ってシーン。海は干上がって赤茶けた地球を「目に焼き付け」て、これからイスカンダルへ、14万8千光年の彼方へ赴こうという宇宙戦艦ヤマトのシーンと、この歌詞とが、美事にマッチした、ってのが、「はまった」きっかけである。
 
 詰まるところ、私(ZERO)は、デモンベイン主題歌の歌詞に、「宇宙戦艦ヤマトの影(*3)」を見出してしまった、のである。
 

  • <注記>
  • (*1) 無論、判らないモノも、ある。 
  •  
  • (*2) 中には、そうでもない曲もある。ある曲の冒頭近くのフレーズなんて、未だに「日本語なのに、聞き取れない」。 
  •  
  • (*3) 「○○の影」とか「××の呼び声」とか言うタイトルは、実はクトウルフ神話大系に多い。「遙かなる山の呼び声」は、クトウルフ神話大系ではない、が。 


 

  • (3)外なる神如きが、デカい面するンじゃぁ無い。


 更に、比較的ゆっくりしたペースでシットリと歌い上げるこのフレーズに続く、ハイテンションな次のフレーズも、我が琴線に触れた。

> 燃える、五芒の星掲げ。挑め、外なる神々に。

 そう、外なる神々である。多分、英語ではOuter Oneってヤツだ。これは、元になったゲーム・「斬魔大聖デモンベイン」の世界が、関わっている。このゲーム世界の背景(の一つ)を成しているのは、「クトゥルフ神話体系」と呼ばれる一連の怪奇小説群なのである。ラブクラフトの怪奇小説を原点とするこの怪奇小説群は、種々の邪神がラスボス的存在として怪奇な事件の背後に蠢いているって設定なのだが、この邪神達がどういう訳か「遙か昔やら遙か彼方の異星・異恒星の惑星・異銀河の神」なんだそうで、何をとち狂ってだか好き好んでだか、我等が地球の我等人類にアレコレちょっかいを出して来て、こっちは大迷惑って、話、なのだそうな。


 「だそうな」ばかりなのは、私(ZERO)自身がクトゥルフ神話体系の小説を殆ど読んでいないから。菊地英之の「妖神グルメ」ぐらいで・・・アレは、余り「怪奇小説」ではないし、邪神は出て来るが異星らしさも異時代らしさも、余りなかったから、なぁ。


 一方で、そんな私がクトゥルフ神話について蘊蓄垂れられるのは、元々のゲーム・デモンベインが出た頃に在ったクトゥルフ神話を背景としたRPG(ロールプレイングゲーム)のお陰である。RPGと言っても、「ファミコンやPCゲームとしての、ドラクエ(ドラゴンクエスト)のようなRPG」では無く「テーブルトークRPG」とも呼ばれる人対人のゲームが「相応の流行を見せていた」から。プレイヤーはクトウルフ神話大系の登場人物となり、怪奇な事件に巻き込まれて「邪神の暗躍」と対峙することになる・・・ッてなストーリーを、ゲームマスターとの会話とサイコロを使って再現するゲーム。ルールや「シナリオ」やサイコロやチャート、ひょっとすると「マップ」も含めた箱入りゲームとして販売されていた。
 私(Zero)はこのゲーム、買ったこともやったことも無いのだが、雑誌記事では読んだので、相応の「蘊蓄」を垂れられている。マア、今ならば「ネット使ってウイキペディアでも調べる」事で、この程度の「蘊蓄」は誰でも(AIでも)可能なのであるが。


 左様な「在る業界内でクトゥルフ神話流行」を受けての、デモンベイン世界への「邪神=外なる神々の介入」なのであろう。が・・・幾ら「怪奇小説」とは言え、遙か彼方の「異星の神」が我等が地球や我等人類に干渉してくるってのが、先ず良く判らない。「異星の神」とは、古かろうが新しかろうが「異星人(ないし、異星の知性体)が信仰する宗教の神」であろうが、なぁんだって物理的には現世的には少なくとも光年単位で離れた(隣の恒星、αケンタウリまででも、確か1.5光年在る)我等が地球にちょっかいを出してくるんだか。


 一つ考えられるとしたら、「異星の宗教を信じ、異星の神を奉じる、邪教徒が、人類の中にも居る」が故の「信者の保護」ないし「信者に対する御利益」としての「邪神の干渉」って線がある。ある意味「人類の中に、邪神を信仰する”裏切り者”が居る」というケース。まあ、そんな「邪教徒」が、如何したら発生する=改宗させられるかに、先ず興味が湧くが、な。普通に考えて、「言葉ぐらいは通じないと、布教や改宗は無理」だぞ。


 でまあ、百歩どころでは無さそうな相当な歩数を譲って「異星の神に、我等が地球と我等人類に干渉してくる理由(必ずしも、正当である必要は無い)」があったとしても、だ。「なぁに他所モンがデカい面してやぁがるンだぁ?こちとら、神様は自前で十分間に合ってんだよ(*1)。
 特に我が国の日本神道なんてのは、「八百万の神」ってぐらい神様が数多いる。鰯の頭にも便所にも竈にも神様が御座すぐらいだ。であるから、今更幾柱かの神様が追加になったって、「どうってことない」のだが(*2)、人間の女性に手ぇ出して孕ませ(*3)たり、勝手なことしているんじゃぁ無い。


 そんな「クトウルフ神話大系に於ける、外なる神々に対する、怒り(と言うか、拒絶感、嫌悪感、かなぁ。)」が、この歌詞「挑め、外なる神々に」が我が琴線に触れた理由、で在ろう。

 閑話休題(それはさておき)・・・

  • <注記>
  • (*1) と言うより、ある意味「手に負えなくなっている」かな。 
  •  
  • (*2) 斯様に寛容な宗教は、地球上でも極少ないことは、特筆大書して良かろう。特に一神教なんて、基本「自分の神様以外は、邪神か悪魔」である。 
  •  
  • (*3) イヤ、そもそも「孕む」のか?チンパンジーと人間でさえ、交配は(普通は)無理だぞ。 

 

  • (4) 私(Zero)は、「巨大ロボット」が嫌いだ。 

 何故「嫌い」かと言うと、先ず「不合理だから、嫌い。」だ、二足歩行で大抵の場合ご丁寧に腕も2本だけある「巨大な人型」を兵器として使おうってのが、とんでもなく不合理だ。こんな不合理な兵器を使う理由として、「巨人が戦う、と言うコンセプトが、国民の士気を上げる(*1)」とか言う説明があったのは確か、「戦律のストラタス」だったと思うが、まぁだ「合理的な理由」はそれぐらいで、大抵はそんな屁理屈な説明すら無く、かかる「どう考えても不合理な兵器」を使っている。
 
 チョイと意外に思われるかも知れないが、兵器というモノは、必ずしも「合理的とは限らない」。兵器を開発し生産し調達し配備するには相応の時間もかかるし、大抵の兵器は数も必要だから、更に配備などに時間がかかる。つまりある兵器をある軍が保有し利用するッて事象には、相当に「デカい慣性」があり、「例え不合理と判明しても、即座に配備は止められない」事もまま起こるし、「不合理」と中々「判定されない」事もある。何を念頭に置いているかというと、実は「戦艦」だ。

 「軍艦の代名詞」とも言えそうな、大抵の人でもその名を知っていそうな「戦艦(*2)」だが、歴史的には19世紀も大部押し迫ってからしか登場しない。「戦車」や「戦闘機」(何れも登場は第1次大戦)よりは古いが、大差は無い。その戦艦に戦略兵器としての価値が確かにあったのは20世紀初頭の日露戦争ぐらいで、日本海海戦で「ロシアバルチック艦隊を日本連合艦隊が全滅させた」事で戦争そのものの帰趨を決し、戦略兵器としての価値を見せつけた。


 だが、その10年後に始まる第1次大戦では、英独双方とも「艦隊決戦」を望みつつ、ジャットランド沖海戦の様な「中途半端な艦隊決戦」に終わり、「戦争そのものの帰趨を決する」戦略兵器としての価値は「既に失っていた」・・・と断ぜられるのは、どうやら「後世の後知恵」らしい。事実、第1次大戦終結後の戦間期に於いて、「海軍軍縮条約」で真っ先に規制されたのは、戦艦だった。この時期成立した海軍軍縮条約により、「原則的に戦艦の建造禁止」になったのだから、如何に「戦艦が重視、重大視されていた」かが、判ろう。


 序でに付け加えると、この海軍軍縮条約は「世界三大海軍国」始め多くの国が批准し、従っており、所謂「海軍休日」を実現したのだから、近年の核兵器保有国がタダの一国も批准していない(*3)「核兵器禁止条約」とは、重みも実効性も全く異なる。有り体に言って、かつての海軍軍縮条約は厳然と存在し実効支配する「条約」であったが、現在の「核兵器禁止条約」は、「条約と書かれた紙切れ」でしか無い。


 それはそれとして、海軍軍縮条約が真っ先に「戦艦の建造を原則禁じた」と言うことは、「戦艦の数」が、「米ソ冷戦下の核弾頭の数」よりも遙かに大きい「戦略的価値」(*4)があるモノ、と考えられた。


 だが、20世紀の前半に生起した第二次大戦、就中大東亜戦争に於ける海戦(*5)にて、戦艦の航空機に対する決定的なほどの劣位が証され、第二次大戦終結後は敗戦国は言うに及ばず、戦勝国(*6)も戦後程なく戦艦を退役させてしまい、唯一「世界最大の海軍国」アメリカだけが戦艦を保有していたが、これも21世紀に入る頃に予備役に編入。今日の世界中に「現役の戦艦」は、唯の一隻もない。即ち戦艦は「絶滅艦種」なのである。
 

 斯様な次第であるから、「後から考えれば」だが、第一次大戦から第二次大戦までは「戦艦は、不合理な兵器だが、各国が保有し続けていた」と言うことが出来るし、戦後から20世紀一杯ぐらいアメリカが「戦艦を保有し続けた」のも「かなり不合理」だと・・・イヤ、戦艦に「ロマンを感じる」という点では、私(ZERO)とて「人後に落ちる」気は全然ないが、「兵器の合理性」という点では、戦艦が「相当な期間、(実は)不合理な兵器であった。」事は、否めないだろう。

 戦間期の海軍軍縮条約を巡る各国の思惑と駆け引きとか、それによる帝国海軍の「艦隊派」と「条約派」の対立とかを考えると、「その頃でさえ、戦艦は不合理な兵器であった。」と断じることは、当時の人達からも数多の英霊たちからも、袋だたきにされそうな主張ではあるが。

 話が大部脱線したが、「戦艦のように、不合理な兵器が存在する/した」事は認めるモノの、基本的に「不合理な兵器(ないし、不合理な兵器の使い方)では、勝てない」のであるから、「不合理な兵器」は時が経れば淘汰される(と、期待できる)。故に「不合理の塊のような巨大ロボット兵器」なるモノは、私(ZERO)は嫌いなのである。

 更に言うと、大抵の場合この「不合理極まりない兵器である巨大ロボット」が、「実にデカい顔をしている」のが数多の巨大ロボットアニメやゲーム、なのである。モノに依っては(*7)「巨大ロボットが余りに強いので、他の在来型兵器が駆逐されてしまった。」なんて設定になっているのだから、これはかなりの理不尽だ。航空機にせよ艦艇にせよ戦闘車両にせよ、相応の歴史的経緯と切磋琢磨研鑽を経て、今ある形となっている。これが「究極にして理想型」という心算は全く無いが、「単に人の形をしている」ぐらいしか利点の無さそうな巨大ロボットに、戦闘機も戦車も戦闘艦も「取って代わられる」理不尽さは、一寸「筆舌に尽くしがたい」モノがある。

 私(ZERO)は、SFもファンタジーもそこそこ好きだし、SFぐらいならば小説に書いたことさえある(その幾つかは、弊ブログともなっている。(*8))が、「理屈が通らない」のは嫌いなのである。だから、大抵の巨大ロボットモノの「巨大ロボットの理不尽なまでのデカい顔」は、嫌いなのである。
 いや、戦車や戦闘機や戦闘艦に「取って代わって」もイイけどさ、ならばその理由を相応に「説明しろ」と、言いたくなるのだが・・・こう言う説明があるの巨大ロボットモノは、実に少ないようだ。
 
 ああ、米映画の「パシフィックリム」では、対怪獣(*9)兵器としての巨大ロボットを、「怪獣を下手に倒すと環境汚染するから」と説明して・・・つまりは「撃ち殺す」と多くの血が流れて環境汚染がヒドいから、「殴り殺す」「くびり殺す(*10)」為の「巨大ロボット兵器」だそうで・・・これが今の所一番「合理的な巨大ロボット兵器」かも知れない。
 
 で、大部脱線したが話を元に戻すと、デモンベインである。これもまた「巨大ロボット」が登場し、ある意味主人公でさえ在る、の・だ・が・・・「主題歌が気に入ったからって依怙贔屓する」心算は無い(*11)が、「巨大ロボットの不合理さが嫌いな私(ZERO)でも、ここまでぶっ飛んでいると、受容できてしまい、いっそ清々しい。」とさえ、感じてしまう。「機神」とも「デウス・マキナ」とも呼ばれる本作のデモンベインはじめとする敵味方双方の「巨大ロボット」は、「魔道書で召還される」存在で、魔法どころか邪神の力まで使って、二足歩行二本腕の巨大な人型(とも、限らないようだが)となって、手で殴る、脚で蹴る、銃を撃つ、剣を振るうと、「荒唐無稽巨大ロボット格闘戦ゲーム」というキャッチフレーズに恥じない挙動(暴挙?愚挙??)を見せてくれる・・・挙げ句の果てには当のデモンベインは「自らの意志を持つ」かの如き節まで見られる。まあ、これは、「付喪神」なんてモノになじみ深い我等日本人としては、「日常茶飯事」とも言えそうではあるが。

 ああ、「狂言回し」を演じる(としか思えない)マッド・サイエンシスト・ドクターウエストの「破壊ロボット」の方が、二足歩行って点を除けば「合理性と言う点では幾らかマシ」だったりする。その「合理性と言う点では幾らかマシな」破壊ロボットが「狂言回し」程度(「やられメカ」で無いだけ、マシか。)であることに、デモンベイン世界の荒唐無稽さ=ハチャメチャ度が、現れていよう。
 

  • <注記>
  • (*1) ひいてはそれが、呪術的・魔術的価値を持つ、とか言う説明、だった気がする。 
  •  
  • (*2) それどころか、「軍艦は全部、戦艦だ。」と思っている人も、相応に居そうだな。弊ブログにも、米海軍の輸送艦を「戦艦」と表記してしまったWSJ誌か何かの事例が、記事となっている。
  •  > 戦艦ニューヨークが2000年に入港した際には・・・
  • って表記。
  •  因みに「戦艦ニューヨーク」ってのが、超弩級戦艦として実際に米海軍に所属していたことは、在る。無論、2000年どころかとっくの昔に廃艦だ。「超弩級戦艦」だぞ。
  •  改めて言うが、「戦艦」は「軍艦の一種」で、「絶滅艦種」だ。「絶滅危惧艦種」ですら、ない。 
  •  
  • (*3) その上、核兵器保有国が批准する目処も何も無い。 
  •  
  • (*4) なぁにしろ、我が国が世界三大海軍国の一角に在りながら、海軍軍縮条約下、所謂「海軍休日」当時に保有した戦艦は、10隻でしかない。千のオーダーで数えられる「核弾頭数」とは、文字通り「桁違い」の戦略的「単価」、であろう。 
  •  
  • (*5) 分けても、大東亜戦争開戦劈頭の真珠湾攻撃とマレー沖海戦。 
  •  
  • (*6) その一国に、イタリアがある。私(ZERO)は、イタリアが「戦勝国になり果せたこと」よりも、「戦後も戦艦保有国であり続けた」事の方が、許せない。
  •  我が艨艟唯一の生き残りの戦艦 長門が、地上核実験の標的とされて沈んだことを思えば、尚更、だ。 
  •  
  • (*7) 例を挙げるならば、「コードギアス」シリーズの巨大ロボット(と言うには少し小さいが)ナイトメアとか、ファイブスターストーリー(の、ナンだっけ?モーターギア??)とか。 
  •  
  • (*8) ファンタジーは、無い。「未だ無い」と言うべきかも、知れないが。
  •  弊ブログには「理屈が通り、筋の通ったファンタジー」という「ハードファンタジー(ハードSFのファンタジー版)」ってのを提唱する記事もある。 
  •  
  • (*9) ウーン、怪獣ってのも、かなり不合理な存在な、気はするが。 
  •  
  • (*10) いや、くびり殺せる、のか?そもそも、呼吸している、とは限らない気がする。 
  •  
  • (*11) 心算、だ。 


 

  • (5) > そして、昨日より強くなれ。


> 必ず君は思い出せ。愛する人との誓いを。
> そして、昨日より強くなれ。


と言うのも、フルで知った「機神咆哮 デモンベイン」の歌詞で気に入ったフレーズである。

 人は、一人では特に、弱く、儚いモノである。「邪神」なんて強大で永遠性さえ在るらしいシロモノと対比・対峙するなら、尚更だ(*1)。

 だが、人は変われる。「昨日より強く」なれる。力を合わせることも出来れば、親から子、師匠から弟子へと、受け継ぐことも出来る。

 昨日よりは今日。今日よりは明日。
 一人よりは二人。二人よりは三人。一代で成せなければ、二代、三代。
 人の世の、人の力。
 定命なる者の、定命なるが故の強靱さ。


 「人類を、舐めるな。」

> 因果を越えて、魔を断つ剣、無垢なる刃、デモンベイン。
 

  • <注記>
  • (*1) でも「邪神と人とのあいの子」は出来るらしいのだから、「荒唐無稽の上塗り」とでも、表現すべきだろうか。 


 

  • 1.斬魔大聖デモンベイン 機神咆哮デモンベイン


 紅蓮の業火燃える街
 邪悪の声が招く 闇
 「黙示録の日」は迫る

 流れる弔いの哀歌 汚(けが)れた大地悼(いた)む声 
 祈り聞き届け立ち上がれ

 憎悪の空に 呼び覚ます正義

 魔を断つ剣とり
 切り裂け。絶望を、
 怒り 拳に込め砕け

 涙拭って、いま吼えろ
 命の限り BURN UP

 悲しみ運ぶ風の中 滅びの鐘が鳴り渡る 荒野に力尽きるとも

 必ず君は思い出せ 愛する人との誓いを
 そして昨日より強くなれ

 正しき怒りその胸に抱いて
 無垢なる刃とり 轟け雄叫びよ

 来たれ 大地揺する機神 (きしん) 運命(さだめ) 恐れず突き進め
  貫き通せ JUSTICE

 遠ざかる 故郷(ふるさと)を 目の中に焼き付けてゆこう
  遠く 彼方なる戦場へ

 燃える五芒の星かかげ 挑め外なる神々に
 鋼(はがね)裂いて唸る鋼(はがえね) 滾る血潮 燃える瞳

 「因果を越えて 魔を断つ剣 無垢なる刃 DEMONBANE (デモンベイン)