• 沖縄は、最前線だ。愚か者。兵を引くのは、戦争への道。-沖縄の本土復帰51周年社説に見る、アカ新聞どもの平和ボケぶり(に見せかけた、売国奴ぶり、だろうな。)

 沖縄の日本本土復帰51周年を記念して、アカ新聞どもが社説で取り挙げているが・・・何しろアカ新聞どもが「沖縄の日本本土復帰51周年を記念」したモノだから、凄まじいモノになって居る。

 まあ、十分予想されたことであるがな。大体、「50周年」とか「55周年」とかの「切りの良い数字」ならば未だしも「51周年」なんて半端な周年に社説に取り上げ様というのだから、自ずとその意図は明らか、だろう。「お里が知れる」って奴だ。

 下掲するのは各アカ新聞社説。丸数字は各新聞社を意味し、社説掲載日時順である。

③【東京新聞社説】週のはじめに考える 沖縄戦の記憶が蘇る 5/14
④【沖縄タイムス社説】復帰51年 進む要塞化 平和こそ島んちゅぬ宝 5/15  
⑤【琉球新報社説】「日本復帰」51年 原点は「基地のない島」 5/16
①【朝日社説】沖縄復帰51年 犠牲強いる構図直視を 5/16


 つまり、沖縄二紙に先んじて、東京新聞が、こぉんな社説を掲げた、訳だ。

  • 1.③【東京新聞社説】週のはじめに考える 沖縄戦の記憶が蘇る 5/14

週のはじめに考える 沖縄戦の記憶が蘇る

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/249901?rct=editorial

 

2023年5月14日 07時37分

 

 沖縄県はあす本土復帰から五十一年を迎えます。県内には復帰前同様、多くの在日米軍専用施設が残り、日本側への返還は進んでいません。名護市辺野古では米軍基地の新設も強行されています。

 中国の軍事的台頭を受けて、自衛隊の離島配備も進みます。日本の領域を防衛するためとされますが、沖縄県民には七十八年前の沖縄戦で、軍が住民を守らなかった記憶が蘇(よみがえ)ります。

 戦後二十七年間の米軍統治に苦しんだ沖縄県民が一九七二年の本土復帰で望んだのは「基地のない平和の島」でした。しかし、期待は裏切られ、県内には今も在日米軍施設の70%が集中します。

 復帰のころ本土と沖縄県の在日米軍施設の比率は四対六でした。今では三対七に広がっています。本土では住民の反対などで米軍施設の閉鎖、日本側への返還が行われたのに対し、沖縄では遅々として進んでいないからです。

 沖縄では米軍だけでなく、自衛隊も着々と増強されています。

 鹿児島県から日本最西端の沖縄県・与那国島まで千二百キロに及ぶ南西諸島は長い間、沖縄本島以外に陸上自衛隊部隊が配置されていない「空白地域」でした。

 しかし、中国の軍事的台頭と海洋進出の加速を受けて南西地域防衛の強化が打ち出され、与那国島に二〇一六年、情報収集を任務とする沿岸監視隊が発足します。

 一九年には沖縄県・宮古島と鹿児島県・奄美大島に、今年に入り沖縄県・石垣島に駐屯地が開設され、ミサイル部隊が配備されました。与那国には電子戦部隊とミサイル部隊も置かれる方向です。

◆自衛隊の配備が相次ぐ

 二二年十二月に改定された国家安全保障戦略など安保三文書は沖縄を「安全保障上極めて重要な位置にある」と明記し、沖縄に駐留する陸自第一五旅団の師団化やミサイル部隊の増強、有事に南西諸島に人員や装備を輸送する機動展開能力の向上などを打ち出しました。「基地のない平和の島」どころか逆行する動きが続きます。

 玉城デニー県知事は今年二月、県議会で次のように語りました。

 「安保環境が厳しさを増していることは認識するが、二度と沖縄を戦場にしてはならないとも考える。国民的議論や地元への説明がないまま、沖縄を含む南西地域を第一線とする安保三文書が策定されたことは、激烈な地上戦の記憶と相まって、県民に大きな不安を生じさせる」

 知事をはじめとする県民が自衛隊配備に不安を感じる背景には、太平洋戦争末期の沖縄戦があります。民間人を巻き込んだ激烈な地上戦で当時の県民の四分の一が犠牲になりました。

 旧日本軍の軍人がガマと呼ばれる自然の洞窟に避難していた住民を追い出したり、住民を集団自決に追い込んだという証言が残ります。沖縄の人々にとって軍隊は住民を守る存在ではないのです。

 加えて、沖縄県民を不安にさせているのが、岸田文雄政権が「憲法の趣旨ではない」とされてきた「敵基地攻撃能力の保有」を容認し、外国の領域を直接攻撃できる長距離ミサイルを沖縄に配備する方針を打ち出したことです。

 安倍晋三政権が成立を強行した安保関連法で、歴代内閣が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」が可能になっていますから、台湾有事で米中の武力衝突が起き、政府が日本の「存立危機事態」に当たると認定すれば、集団的自衛権を行使して他国同士の戦争に加わる可能性は否定できません。

 その場合、沖縄の自衛隊や米軍基地が攻撃対象になり、住民の被害も避けられません。沖縄が再び戦火に巻き込まれるのです。

◆攻撃の対象となる懸念

 浜田靖一防衛相は、陸自石垣駐屯地の開設記念式典で「南西諸島の防衛力強化は国を守り抜くという決意の表れだ」と訓示しましたが、沖縄を再び、本土を守るための盾や捨て石にしようとしているようにも見えます。

 玉城知事は二月、東京で開かれた県主催シンポジウムで、長距離ミサイルの沖縄配備について「かえって地域の緊張を高め、不測の事態が生じる懸念を持つ。沖縄が攻撃目標とされることを招いてはならない」と強調しました。

 政府や本土に住む私たちは、沖縄県民の声に誠実に耳を傾けなければなりません。沖縄が「基地のない平和な島」にならなければ、真の本土復帰とは言えず、日本の戦後も終わらないのです。

  • 2.④【沖縄タイムス社説】復帰51年 進む要塞化 平和こそ島んちゅぬ宝 5/15

 

復帰51年 進む要塞化 平和こそ島んちゅぬ宝

沖縄タイムス+プラス / 2023年5月15日 5時0分

 

https://news.infoseek.co.jp/article/okinawatimes_1030572590852981201/

 

 

 本紙13日付5面の「ゼロチャンネル」に、こんな投稿があった。

 

 「『台湾有事は沖縄有事』 安心してください。本土は 無事ですよ

 

   -とにかく明るい斎藤法務大臣 

 

 日本国民各位

 

  (うるま・ごーぐち)」

 

 批評の鋭さと、笑いを誘うユーモアに感心した。

 

 新聞の寸評につられて思い出したのが、岡本喜八監督の映画「激動の昭和史 沖縄決戦」の印象的な場面である。

 

 沖縄から精鋭の第9師団を引き抜く穴埋めに、大本営は別の師団の派遣を第32軍司令部に伝えるが、この決定は一夜にして撤回される。

 

 派遣中止を判断した陸軍部作戦部長の宮崎周一中将は、作戦課長の服部卓四郎大佐にこう言い放った。

 

 「沖縄は本土のためにある。それを忘れるな」

 

 見る者に強烈な印象を与えるせりふである。

 

 

 

 新聞の寸評欄や映画の一場面をここで紹介したのは、ドキリとするような現実の生々しい発言に接したからだ。

 

 与那国町は、台湾有事を想定し、あらかじめ島外への避難を希望する町民に必要な資金を支給するための基金を創設するという。

 

 糸数健一町長は、避難訓練の後、報道陣の取材に対し、基金創設について、こう答えた。

 

 「万一危険を感じた時は島から脱出してくれということでの給付金。確実に何とか生き延びてくれとの思いだ」 

 

■    ■

 

 沖縄戦から78年になるというのに、戦場で発せられた「何とか生き延びてくれ」という悲痛な言葉が今によみがえっているのである。

 

 復帰から、きょうで51年。

 

 岸田文雄首相は、昨年の沖縄全戦没者追悼式で「基地負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げていく」と誓った。

 

 だが12月、安保関連3文書が閣議決定されて以降、負担軽減の空気はいっぺんに消し飛んでしまった。

 

 国会でのまともな議論もなく、住民の懸念に正面から応えることもなく、島々の軍事要塞(ようさい)化が急速に進む。

 

 与那国町への沿岸監視隊の配備に賛成していた住民の中にもミサイル部隊の配備が明らかになるに及んで懸念の声が広がってきた。

 

 島からミサイル攻撃を行えば、相手国は確実にミサイル発射基地をたたくだろう。

 

 中国を攻撃できる長射程のミサイルを実際に南西諸島に配備すれば、相手も力で対抗するはずだ。いわゆる「安全保障のジレンマ」である。

 

■    ■

 

 国家安全保障戦略は「住民の迅速な避難の実現」をうたっているが、先島の有人離島に住む人々を、いつ、誰の判断で、どのような手段で避難させ、避難先でどのような生活を保障していくのか。

 

 島の戦場化を前提にする限り島の人々の犠牲をゼロにするのは難しい。

 

 戦争が起こる可能性を摘み取ることを最優先すべきである。そのためにあらゆるレベルで対話のチャンネルを維持し、東アジアの緊張緩和につなげるべきだ。

  • 3.⑤【琉球新報社説】「日本復帰」51年 原点は「基地のない島」 5/16

 

「日本復帰」51年 原点は「基地のない島」

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1710164.html

 

 

2023年5月15日 05:00

社説

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 「一九七二年五月一五日 沖縄の祖国復帰は実現した しかし県民の平和への願いは叶(かな)えられず 日米国家権力の恣意(しい)のまま 軍事強化に逆用された」

 

 沖縄本島最北端の国頭村・辺戸岬に建つ「祖国復帰闘争碑」に刻まれた碑文の一部だ。

 沖縄の施政権が日本に返還された「日本復帰」から51年を迎えた。米占領下で県民が求めた「基地のない平和の島」は実現するどころか「軍事要塞(ようさい)化」が進んでいるのが実情だ。

 復帰後、県内の在日米軍専用施設面積は、1972年5月の2万7892.5ヘクタールから、2021年には1万8483.3ヘクタールと、3割以上減少した。しかし、主要な基地の返還は実現していない。一方、自衛隊施設は166.1ヘクタールから、2021年には779.8ヘクタールと4.6倍に拡大した。

 南西諸島への自衛隊配備強化が顕著だ。政府は、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有などを明記する新たな安保関連3文書を閣議決定した。戦後堅持してきた専守防衛から逸脱し「戦争ができる国」へと変貌した。与那国島や宮古島、石垣島に陸自駐屯地が開設されるなど自衛隊増強は加速度を増している。

 この動きに合わせるように政府は米軍、自衛隊施設周辺などの土地利用状況を調査し、取引を規制する「土地利用規制法」の対象区域の候補地に、石垣、宮古、与那国など県内の39カ所を選定した。住民の権利を脅かし、重大な人権侵害を招く恐れがある。

 復帰を前にした71年、屋良朝苗主席は「復帰措置に関する建議書」で、(1)地方自治権の確立(2)反戦平和の理念をつらぬく(3)基本的人権の確立(4)県民本位の経済開発―を骨組みとする新生沖縄像を描いた。県民は米軍の圧政から逃れ、日本国憲法の下に復帰し、基地のない平和な島の実現を望んだ。しかし、復帰闘争碑の碑文のように「国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された」のが実態ではないか。

 先の大戦で、沖縄は日本防衛の「捨て石」とされ、敗戦で日本国から切り離された。復帰から51年、依然として軍事の「要石」であり続けている沖縄を、再び「有事」の「捨て石」にしてはならない。沖縄の地理的特性を軍事面ではなく、人間の安全保障に生かし、平和の要石とするよう政府に求めたい。同時に、沖縄に基地の重圧を強いることで成り立つ安全保障体制をいつまで続けるのか、国民全体にも問わなければならない。

 屋良氏は復帰式典のあいさつで「復帰とは、沖縄県民にとってみずからの運命を開拓し、歴史を創造する世紀の大事業」と強調した。沖縄が抱える課題の解決に向けた自主主体性の発揮を県民に求めたのである。

 復帰51年を迎えるにあたり、復帰の意義を振り返り、原点である「基地のない平和の島」の実現に取り組まなければならない。

  • 4.①【朝日社説】沖縄復帰51年 犠牲強いる構図直視を 5/16

沖縄復帰51年 犠牲強いる構図直視を

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15636586.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2023年5月16日 5時00分

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コメントプラス

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コメント

藤田直央さん

写真・図版

琉球政府が作成した「復帰措置に関する建議書」の表紙=沖縄県南風原町の沖縄県公文書館、吉本美奈子撮影

 

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 再び戦闘の最前線になるのではないか。そんな不安が高まる中で、沖縄は15日、日本への復帰から51年を迎えた。

 

 本土から犠牲を強いられる構図は半世紀を経ても変わらず、むしろ新たな懸念が浮上する。その現実に目を向けたい。

 

 岸田政権は昨年、国家安全保障戦略など安保関連3文書を改定し、敵基地攻撃能力の保有で防衛力強化へ踏み出した。台湾や中国に近い沖縄県の南西諸島には陸上自衛隊の駐屯地を相次いで開設し、ミサイル部隊を配備。米軍も沖縄の海兵隊を改編し、離島に機動的に展開する即応部隊を創設する方針だ。

 

 基地強化の流れはいつの間にか既成事実化し、国は基地負担軽減どころか、沖縄との溝を深める方向へ突き進んでいる。

 

 太平洋戦争で地上戦があった沖縄では県民の4人に1人が犠牲になった。戦争が起きれば軍事拠点は標的となる。住民の不安を無視して有事への舞台作りに邁進(まいしん)するのではなく、近隣諸国との連携や外交努力もあわせ、基地のあり方を幅広い視野に立って考え直すべきだ。

 

 いま、改めて思い起こしたい歴史的な文書がある。

 

 復帰前年の71年、琉球政府が作った「復帰措置に関する建議書」だ。132ページの文書は米軍により様々な権利が侵害されている実態を告発し、「平和憲法のもとでの基本的人権」や「基地のない平和な沖縄への復帰」を切実に求めている。復帰に際して問題点を列挙した「復帰の原点」ともいわれる。

 

 だが同年11月、琉球政府の屋良朝苗主席が国会に手渡すため上京したその日、衆議院特別委員会は無視するように沖縄返還協定を強行採決してしまった。

 

 琉球政府の職員として作成に携わった平良亀之助(たいらかめのすけ)さん(86)は、文書は「今でも生きている沖縄の要求だ」と主張し続けている。基地のない島をめざし、特別チームで約10日で練り上げたのがあの建議書だった。

 

 「沖縄の声は審議もされず、ないがしろにされた。あのときの訴えを誠実に実行に移すよう、求め続けるべきだ」

 

 今も全国の米軍専用施設の7割が集中する沖縄の現実。軍と隣り合わせにいる危険を直視し、国全体の課題として取り組む必要がある。

 

 県公文書館にある建議書にはこんな一文が出てくる。

 

 「従来の沖縄は余りにも国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎてきました。復帰という歴史の一大転換期にあたって、このような地位からも沖縄は脱却していかなければなりません」

 

 基地が地元に落とす深刻な影を、原点に返って考えたい。

 

  • 5.Parabellum ラインラントを忘れるな。

 なぁんと言うか、軍事忌避軍人差別に満ち溢れた「平和ボケ」ッぷりが、凄まじいな。

③1>  沖縄県民には七十八年前の沖縄戦で、軍が住民を守らなかった記憶が蘇(よみがえ)ります。 ③【2】

⑤1> 先の大戦で、沖縄は日本防衛の「捨て石」とされ、敗戦で日本国から切り離された


 とまあ、先の大戦=大東亜戦争に於ける沖縄戦で、沖縄は日本防衛の「捨て石」とされと断定断言され、軍が住民を守らなかった記憶まで「蘇る」そうであるが(*1)、沖縄を捨て石」とし、「軍が住民を守らない」ならば、多数の神風特攻機から水上特攻としてなけなしの戦艦大和まで、これまたなけなしの軍用機・軍艦と燃料に搭乗員・乗組員を、注ぎ込む訳が無い。
 更に言えば、沖縄防衛を命じられた牛島中将は、硫黄島守備隊の栗林中将と共に、米軍に強敵と認定されている。序でに書けば硫黄島防衛戦は「米軍の死傷者が日本軍の死傷者を上回った、最後の戦い」である上に、「日本軍の死傷者」はその大半、実に9割以上が「死者」である。この意味するところは、「日本軍将兵が階級を問わず、死ぬまで戦い続ける者が多かった」か、「米軍が投降した日本兵を片っ端から虐殺した」かの何れかであろう。
 従って、「沖縄守備兵力をもっと増虚すべきであった。」という批判非難ならば、未だ在りうるかも知れないが、日本本土が沖縄を捨て石にした」とする非難は、かなり不当である。少なくとも沖縄戦意に投入された陸海空の将兵は、凄絶なまでの敢闘精神を示して居る。

 況んや、軍が住民を守らない」なんぞ、軍事忌避軍人差別のスローガンが良いところ。軍には「住民よりも重大重要なこと・モノがある」のは事実だが、基本的に「軍は国家を、国土を守るモノ」であり、間接的ないし直接的に「住民も守るモノ」である。百歩どころか一億歩ほど譲って、仮に「沖縄戦の際に、帝国陸海軍は住民を守らなかった」としても、それが「故に、現行・現職の軍隊たる自衛隊も住民は守らない。」とする主張は、少なくとも思考短絡である。ハッキリ言って、バカかキチガイである。

 ああ、「バカかキチガイ」と言うのならば、上掲社説群に散見される米軍基地や自衛隊基地があるから攻撃されるんだってロジックは、同工異曲(だが、実質大差は無い)軍事的緊張よりも外交努力を共々、「バカかキチガイ」の論理であり、「傘なんか持つから、雨が降るんだ。」理論である。

 そうそう、外交=平和的手段=善」と「軍事=戦争的手段=悪」って単純な二元論も「平和ボケ」の一環だな。その「平和ボケ」は「砲艦外交」って言葉・コンセプトで、モノの美事に粉砕できる。「軍事的圧力を背景とした外交」を意味する「砲艦外交」は、「外交」と「軍事」が相反的・対立的な関係では無く、相補的・補完的な関係でもあり得ることを、端的に示している。

 大体、戦争も外交も「国益追求の手段」であり、「外交は、弾丸を使わない戦争」でもあれば、「戦争は、弾丸を使う外交」でもある。

 軍事的緊張よりも外交努力で緊張緩和を。なんて、一見一聴耳障りの良い「尤もらしいロジック」に騙されていたら、西側陣営は東西冷戦に勝てなかったろうし、それどころか東西冷戦以前に軍拡にすらならずに屈服し、「全世界共産主義国化」だってあり得たろう・・・・って、それこそ正に「アカ新聞どもが夢見た世界」か。

 なればこそ、上掲社説群でアカ新聞どもが改めて晒している「平和ボケ」ぶりを、私(ZERO)はアカ新聞どもの、善意や無能や無知や低能や怠慢怠惰の所産であるなどと「性善説」を取ることは出来ない。

 我が国を弱体化し、我が主権、我が領土領空領海、我が国民の生命財産を、中国だかロシアだか北朝鮮だかの外国に「売り渡そう」とする売国奴である、と考えた方が、安全側である。

 ああ、最後になったが章題について解説しておこう。「ラインラント」ってのは地名だ。当時の独仏国境地帯で、第1次大戦後に非武装地帯に指定された。それこそ「欧州の緊張を緩和するため」で、此処はドイツの領土では在るが、ドイツ軍が駐留・進駐することは許されず、ドイツ軍が進駐したら、英仏が軍を出す=出兵すると、条約で決められていた。
 だが、ドイツで政権を握ったヒトラー(と彼を党首とするナチ党政権)は、この条約を破ってラインラントにドイツ軍を進駐させた。条約に従えば英仏は出兵して然るべきだった。もしそうしていたら、未だ弱体であったドイツ軍は兵を引かざるを得ず、欧州の平和は保たれたろう、と言われている。
 だが、英仏は出兵しなかった。「軍事的緊張よりも外交努力を優先した」訳だ。お陰でドイツはラインラントにドイツ軍を駐留させることが出来、ドイツの国威は大いに発揚した。一方で、敢えて出兵しなかった英仏首脳は「平和を守った」と、賞賛されたそうだ・・・当時は。
 その後どうなったと思う?ドイツはラインラント進駐に味をしめて、今度はポーランドをソ連と分割して併合する挙に出た。今度は目出度く英仏共に戦線布告して、第2次大戦が始まった。
 言い替えれば、「ドイツのラインラント進駐に対し、英仏が呼応した出兵をしなかったが故に、第2次大戦という、人類史上未曾有の大戦争が始まった。」訳だ。

 諄いようだが繰り返すぞ。「ドイツのラインラント進駐に対し、英仏が"軍事的緊張よりも外交による緊張緩和を優先した"結果、”出兵しなかった”為に、第2次大戦が惹起された。のである。

 「ラインラントを忘れるな。」って章題の意味は、明らかであろう。文字通りの意味だ。「"軍事的緊張よりも外交による緊張緩和を優先した"結果、第2次大戦が惹起された。」史実事実を、忘れるンじゃぁ無い、と言う警告だ。

 ああ、Parabellumってのはラテン語で、「戦いに備えよ。」の意味。、コチラはより広義広範な警句、ではあるな。「戦いに備える」からこそ「戦いを防げる」のであり、「戦いの備えに不備がある」のは「戦争誘因」だ。
 殆ど「グローバルスタンダード」と言っても良さそうな拳銃弾の商品名、でもあるがな。
 

  • <注記>
  • (*1) 沖縄戦は七十八年前なのだから、仮にその時5歳の幼児だったとしても、御年83歳。「記憶を蘇らせる」お年寄りも、随分少なくなっている、筈だがな。

 

 5年前の記事だが、状況はあまり変らないな。「オスプレイは危険な欠陥機だから,沖縄配備(だけ)反対】と臆面も無く主張できてしまうやつばらは,非人道的なレベルで利己的であり、その事に自身は気づきもしないし、指摘されても理解しない。

 気違いってのは、そんなモノだ。

  • 防衛費、「倍増ありき」で、何が悪い。「1%」は、「枠ありき」だった。―【東京社説】軍拡予算確保法 倍増ありき無理がある


 ま、言いたい事&言うべき事は、殆ど「タイトルで尽きている」な。一応「和歌の形式」にもなっている(*1)し、「我ながら良く出来たタイトル」だが・・・以前にも使った気がするな。

 

 

 それは兎も角、タイトルにした通り、「我が国の防衛費は対GDP比率1%以下とする」とした所謂「1%枠」ってのは、「大凡1%ならば良い」なんてモノでは無く、GDPの1%から鐚一文超えること罷り成らぬ!越えたら軍国主義だぁぁぁぁぁ!!!ッてぐらいの勢いの「枠」と言うより「呪縛」であり、それも、「大した議論も、国家安保上の必要性も論じられないまま」決まり、踏襲され続けた。正に「防衛費1%枠」は「枠ありき」だったのである。

 で、そんな「防衛費1%枠ありき」には、何も言わず、寧ろ賞賛礼賛していた東京新聞が、「防衛費2%枠ありき」には、議会制民主主義も国会審議も軽視どころか「無視しろ」と言わんばかりの暴論で、倍増ありきだぁぁぁぁぁぁ!と主張している、訳だ。

 「防衛費のGDP比率2%ってのは、NATO水準ですが、何か?」と言えば、お終いな気はする、がな。

  • <注記>
  • (*1) 「季語が無い」から、俳句では無いな。 


 

  • 1.【東京社説】軍拡予算確保法 倍増ありき無理がある

軍拡予算確保法 倍増ありき無理がある

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/249445?rct=editorial

 

2023年5月12日 06時47分

 

 国内総生産(GDP)比1%程度で推移してきた防衛費を関連予算を含めて2%に倍増するための財源確保特別措置法案の衆院審議が大詰めを迎えている。

 

 与党は来週にも衆院を通過させる方針だが、防衛費倍増や「軍拡増税」の妥当性、専守防衛の在り方を巡る議論は十分と言えない。防衛費倍増ありきで防衛力強化を図ることには無理がある。採決を強行せず議論を続けるべきだ。

 

 政府は二〇二七年度の防衛関連予算を二三年度より約四兆円多い約十一兆円、GDP比2%に倍増させる方針。毎年新たに必要な財源のうち三兆円を税外収入、決算剰余金や歳出改革、残り一兆円強は増税で確保するとしている。

 

 特措法案の柱は税外収入を積み立てて複数年度で支出する「防衛力強化資金」の創設だが、税外収入として見込む国有財産の売却益や特別会計の剰余金は一回限りでとても安定財源とは言えない。

 

 政府は防衛費に充てる一般会計の決算剰余金を年平均一兆四千億円と説明するが、新型コロナウイルス対策の未使用分も算入した見積もりであり、今後も同規模を確保できる保証はない。歳出改革の具体策も示していない。

 

 法人、復興特別所得、たばこ三税の増税策は自民党内の反対で法案に盛り込まれず、岸田文雄首相は「しっかり財源を確保する」と繰り返すだけだ。

 

 税外収入や決算剰余金を防衛費に充てれば、他の経費に充てる財源が減り、穴埋めのために国債を発行することになりかねない。

 

 一般会計はすでに財源の三分の一を国債に依存している。国債依存が強まれば、財政はさらに悪化し、負担を将来世代に強いることになる。戦時国債の乱発による軍備拡張で戦争に突き進んだことを教訓とし、戦後は防衛費のための国債発行を「禁じ手」としてきたことを忘れてはなるまい。

 

 そもそも首相はなぜ防衛予算を倍増させなければならないか、国民に対して説得力のある説明を尽くしたとは言い難い。財源確保の特措法案も欠陥だらけだ。広く国民の負担増につながる法案を、数の力で押し通してはならない。

 

  • 2.「防衛費のGDP比率2%ってのは、NATO水準ですが、何か?」

 

  • 1>  戦時国債の乱発による軍備拡張で戦争に突き進んだことを教訓とし、

  • 2> 戦後は防衛費のための国債発行は「禁じ手」としてきたことを忘れてはなるまい。

 
 禁じ手とした」のは誰で、どの様な権限で「禁じ手とした」のかね?その「禁じ手とした」権限は、現職国会の予算審議では覆せないような、逆に言えば「現国会の予算審議議決を覆せる」ような強烈強力な権限なのかね?

 まあ、愚問であろうな。どうせ東京新聞にせよ、誰にせよ、戦後は防衛費の為の国債発行を”禁じ手”とした」主体や根拠や権威権限は、ロクに説明できないのだろうさ。良い処「習慣だった」ってだけだろう、と、私(ZERO)は確信して居る。
 仮にその防衛費の為の国債発行を”禁じ手”とした」主体・根拠・権威権限が明確になったところで、「現政府の現国会の予算審議よりも優先される」モノとは到底思えない。

 否、それ以前に、今次国会に於ける予算審議議決を、「ひっくり返せる権威権限」ってのは、そもそもなんだ?私(ZERO)が想像できるのは「勅命・勅令・詔」ぐらいナンだが、日本国憲法にそんな規定は「無かった」筈だぞ。「天皇陛下が国会決議をオーバーライドする」って、超絶的な権限で、アメリカ合衆国大統領の拒否権に匹敵する権限だぞ。

 大体、今の立憲民主党を野党第一党とする野盗共、もとい、野党共相手に、国家安全保障や防衛政策や防衛財源論を「議論した」所で、「時間の無駄」以外の何になろうか?予算成立を遅らせる遅滞戦術以外の何かになったら、誉めてやるよ(*1)国会でワイドショーの実演しかやれないし、やらない奴原(*2)が。
 
 既に、国会での議論、手続きは「終わった」ので在るから、清々と「軍拡予算確保法を執行する」のが「憲政の常道」というモノである。

 つまり、上掲東京新聞社説は、議会制民主主義も憲政の常道も無視ないし大いに軽視しての、「負け犬の遠吠え」でしかない。真面に防衛予算も審議できない党が野党第一党に居座っているのが悪いのであり、そんな党を、野党第一党どころか一時は政権与党の座に着けるのに大いに貢献したのが、東京新聞はじめとするマスコミ・アカ新聞各紙であったろうが。
 
 つまりは、こんな野党第一党を「育てた」のも、その結果「真面に議論も出来ないまま、軍拡予算確保法が可決成立し、東京新聞自身が"もっと国会で議論しろぉぉぉお!"と叫ぶだけ」なのも、自業自得というモノだぞ。
 

  • <注記>
  • (*1) と言うより、今次国会で「遅滞戦術以上」の何かをやったっけ?既に国会審議は「終わっている」のだが、その国会審議機関に、何を如何していたのか、サッパリ記憶が無いぞ。 
  •  
  • (*2) 「国会でのワイドショー実演」の記憶なら、山と在るぞ。 


 

 

 毎年恒例の憲法擁護論。今年も酷いが、この年も酷かった。

 日本国憲法が今のままで良いと主張すら奴腹は、自衛隊も日米安保も抜きで我が国の主権、領土領空領海、我が国民の生命財産を如何にして保障できるかを論証すべきだ。サッサとやれ。

 自衛隊発足以来七十年以上ほったらかしの案件だぞ。

  • 我々は、福島事故を、越えて行く。 Panzer Vor!ー【東京社説】脱炭素電源法案 フクシマ忘却宣言だ

 弊ブログでは、東京新聞のことを「脱原発原理主義」と断じ、再三揶揄し、コケにし、こき下ろしてきた。また、そうされるだけのネタを東京新聞が提供してくれて、格好のブログネタになってくれていた。
 
 今でも思い出される「大ヒットネタ」は、「原発を、再エネ(太陽光や風力)で代替することで、二酸化炭素排出量を減らそう!!」って社説だ。ほとほと呆れ返るというか、正に気違い丸出しの主張なんだが、これが相応に有力な地方紙の社説として罷り通り、まんまと騙される者も相応に(多分、世の中の3割ぐらい)居る、ってことなのだろう。

 簡単に「種明かし」しておくと、「原発も、再エネも、発電に際して二酸化炭素を排出しない点では同じだから、どちらをどう代替しようが、発電による二酸化炭素排出量は、増えも減りもしない。」

 こんな自明なことが、「原発」と「再エネ」って「マジックワード」によって、判らなくなり、まんまと騙される者が相応に居る、と言うことであり、また、騙そうとする者も居る、と言うことだ。東京新聞自身が「騙された」のか「騙そうとしている」のかは不明だが、「騙そうとしている」と考える方が、安全側であろうな。

 で、そんな「国民を騙そうとしている疑惑濃厚な東京新聞」が、今度はこんな社説を、掲げている。

  • (1)【東京社説】脱炭素電源法案 フクシマ忘却宣言だ

<社説>脱炭素電源法案 フクシマ忘却宣言だ:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

2023年4月21日 07時50分

 

 「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法案」が国会で審議されている。「脱炭素」を掲げてはいるものの、原発復権を国が後押しするために「原子力の憲法」といわれる原子力基本法の改正にまで踏み込んだ。

 岸田文雄首相は昨年夏のGX実行会議で、脱炭素の要請とエネルギーの安定供給を名目に「原発依存度を可能な限り低減する」とした福島第一原発事故以来の大方針を「原発を最大限活用する」に百八十度改めた。再稼働の加速などに向けて「国が前面に立つ」との姿勢も打ち出した。

 GX脱炭素電源法案は、首相の方針転換を具体化するために、五つのエネルギー関連法の一括改正を図る「束ね法案」だ。

 このうち原子炉等規制法と電気事業法では「原則四十年、最長六十年」とする原発の運転期間を定めた規定を、原子力規制委員会管轄の炉規法から削除。経済産業省所管の電気事業法に移し、一定の条件下で六十年超の運転を経産相が認可できる仕組みに改める。

 基本法の改正案には「国の責務」という項目が新たに加えられ、「国は、原子力発電を電源の選択肢の一つとして活用することによる電気の安定供給の確保に資することができるよう、必要な措置を講ずる責務を有する」などと明記。国が率先して原発復権に関与する姿勢を明確にした。

 福島の事故のあと、原発規制の管轄は、推進側である経産省の原子力安全・保安院から、独立機関の原子力規制委に移された。

 法案がこのまま通れば、3・11の重要な教訓である「規制と推進の分離」は崩れ、「国策」の旗のもと、経産省主導で老朽原発の延命が進んでいく恐れが強い。

 3・11以前への回帰であり、「フクシマはもう忘れよう」と、政府として宣言するようなものではないか。

 複数の法案をまとめて提出し、一度の採決で賛否を決する束ね法案には、審議の中で対立点が鮮明になりにくく、あいまいなままで国会を通しやすいとの批判も多い。しかし、五つの個別法案のひとつひとつが、国民全体の暮らし、そして命にかかわる重大な案件だ。「自主、民主、公開」という原子力基本法の三原則に見合う熟議が欠かせない。

 「フクシマ忘却法案」を、このまま成立させるべきではない

 

  • (2)「負け犬の遠吠え」。


 ナンというか、タイトルさえ在れば、本文は不要な社説。と評すれば良いのだろうか。
 
 それは、「社説のタイトルとしては褒め言葉」かも知れないが、「社説としては、先ず罵詈雑言」と断じて良い事だぞ。

 何しろ、「脱炭素電源法案」については若干の説明があり、日本政府が「原発の最大限の利用」と「方針転換」したことは説明するモノの、その「方針転換を批判する理由」は殆ど示していない。せいぜいの所、「原発規制と原発推進の分離が崩れた」と言っているだけで、「規制される原発の代替電源」に触れてさえ居ない。

 ああ、再エネで原発を代替する」って「かつての理論の誤りに気づいた」のならば、重畳至極と言っても良さそうだが・・・どうせ気づいちゃっぁいないだろうな。だから、「脱原発原理主義」と弊ブログでは東京新聞を揶揄し、愚弄し、嘲笑している、のである。

 今回の上掲東京新聞社説もまた、「東京新聞=脱原発原理主義」って従来の弊ブログの主張を裏書きするモノである。
 
 念のために序でに書けば、「原理主義」ってのは「傍から見れば気違い」って意味も、込めているのだぞ。