• 我々は、福島事故を、越えて行く。 Panzer Vor!ー【東京社説】脱炭素電源法案 フクシマ忘却宣言だ

 弊ブログでは、東京新聞のことを「脱原発原理主義」と断じ、再三揶揄し、コケにし、こき下ろしてきた。また、そうされるだけのネタを東京新聞が提供してくれて、格好のブログネタになってくれていた。
 
 今でも思い出される「大ヒットネタ」は、「原発を、再エネ(太陽光や風力)で代替することで、二酸化炭素排出量を減らそう!!」って社説だ。ほとほと呆れ返るというか、正に気違い丸出しの主張なんだが、これが相応に有力な地方紙の社説として罷り通り、まんまと騙される者も相応に(多分、世の中の3割ぐらい)居る、ってことなのだろう。

 簡単に「種明かし」しておくと、「原発も、再エネも、発電に際して二酸化炭素を排出しない点では同じだから、どちらをどう代替しようが、発電による二酸化炭素排出量は、増えも減りもしない。」

 こんな自明なことが、「原発」と「再エネ」って「マジックワード」によって、判らなくなり、まんまと騙される者が相応に居る、と言うことであり、また、騙そうとする者も居る、と言うことだ。東京新聞自身が「騙された」のか「騙そうとしている」のかは不明だが、「騙そうとしている」と考える方が、安全側であろうな。

 で、そんな「国民を騙そうとしている疑惑濃厚な東京新聞」が、今度はこんな社説を、掲げている。

  • (1)【東京社説】脱炭素電源法案 フクシマ忘却宣言だ

<社説>脱炭素電源法案 フクシマ忘却宣言だ:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

2023年4月21日 07時50分

 

 「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法案」が国会で審議されている。「脱炭素」を掲げてはいるものの、原発復権を国が後押しするために「原子力の憲法」といわれる原子力基本法の改正にまで踏み込んだ。

 岸田文雄首相は昨年夏のGX実行会議で、脱炭素の要請とエネルギーの安定供給を名目に「原発依存度を可能な限り低減する」とした福島第一原発事故以来の大方針を「原発を最大限活用する」に百八十度改めた。再稼働の加速などに向けて「国が前面に立つ」との姿勢も打ち出した。

 GX脱炭素電源法案は、首相の方針転換を具体化するために、五つのエネルギー関連法の一括改正を図る「束ね法案」だ。

 このうち原子炉等規制法と電気事業法では「原則四十年、最長六十年」とする原発の運転期間を定めた規定を、原子力規制委員会管轄の炉規法から削除。経済産業省所管の電気事業法に移し、一定の条件下で六十年超の運転を経産相が認可できる仕組みに改める。

 基本法の改正案には「国の責務」という項目が新たに加えられ、「国は、原子力発電を電源の選択肢の一つとして活用することによる電気の安定供給の確保に資することができるよう、必要な措置を講ずる責務を有する」などと明記。国が率先して原発復権に関与する姿勢を明確にした。

 福島の事故のあと、原発規制の管轄は、推進側である経産省の原子力安全・保安院から、独立機関の原子力規制委に移された。

 法案がこのまま通れば、3・11の重要な教訓である「規制と推進の分離」は崩れ、「国策」の旗のもと、経産省主導で老朽原発の延命が進んでいく恐れが強い。

 3・11以前への回帰であり、「フクシマはもう忘れよう」と、政府として宣言するようなものではないか。

 複数の法案をまとめて提出し、一度の採決で賛否を決する束ね法案には、審議の中で対立点が鮮明になりにくく、あいまいなままで国会を通しやすいとの批判も多い。しかし、五つの個別法案のひとつひとつが、国民全体の暮らし、そして命にかかわる重大な案件だ。「自主、民主、公開」という原子力基本法の三原則に見合う熟議が欠かせない。

 「フクシマ忘却法案」を、このまま成立させるべきではない

 

  • (2)「負け犬の遠吠え」。


 ナンというか、タイトルさえ在れば、本文は不要な社説。と評すれば良いのだろうか。
 
 それは、「社説のタイトルとしては褒め言葉」かも知れないが、「社説としては、先ず罵詈雑言」と断じて良い事だぞ。

 何しろ、「脱炭素電源法案」については若干の説明があり、日本政府が「原発の最大限の利用」と「方針転換」したことは説明するモノの、その「方針転換を批判する理由」は殆ど示していない。せいぜいの所、「原発規制と原発推進の分離が崩れた」と言っているだけで、「規制される原発の代替電源」に触れてさえ居ない。

 ああ、再エネで原発を代替する」って「かつての理論の誤りに気づいた」のならば、重畳至極と言っても良さそうだが・・・どうせ気づいちゃっぁいないだろうな。だから、「脱原発原理主義」と弊ブログでは東京新聞を揶揄し、愚弄し、嘲笑している、のである。

 今回の上掲東京新聞社説もまた、「東京新聞=脱原発原理主義」って従来の弊ブログの主張を裏書きするモノである。
 
 念のために序でに書けば、「原理主義」ってのは「傍から見れば気違い」って意味も、込めているのだぞ。