ZEROのブログ

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気になって仕方がない事がある。


6か月になる孫の事なのだが、6月に会った時も7月に出かけた時も、8月に訪ねて来てくれた時も、いつも靴下をはかされている。


気になって気になって仕方がない。

気になって仕方がないけど、口に出すのははばかられる。

「赤ちゃんは冬でも裸足の方が良い」

私が信じて疑う事のない子育て方なのだが・・・


主人が、さりげなく「靴下暑くないか?」と言った事があった。
「大丈夫です」と、嫁さん即答・・・
横で息子が「おかしいんだよ、この人」とつぶやく。
そう、やはり靴下については夫婦でも揉めているようだ。
ならば、やはり姑が口を出しちゃいけない。

沈黙は金・・・余計な事は言わずにおく。


30年前の話、主人の実家へ長女を連れて行った冬、義父から「足が冷たいようだよ」と言われ
やはり「大丈夫です」と答えた私がいた。


この暑いのに靴下を履かされている孫を見ると何とも辛い。
しかし、これは私が口を出すべきではないのでしょうね。
娘の生んだ孫だったら、さっさと脱がしちゃうんですけどね・・・


孫よ、早く大きくなって自分で靴下脱ぐのだよ

と、心ひそかに願うおばあちゃんです。
はい、はい、これこそ姑のぶつぶつですよね・・・


今日、熊本から通販の野菜が届いた。


東京の我が家の近くのスーパーで売られている野菜が、あまりに東北産地であることに音を上げて、通販サイトで取り寄せた。


「私は全然気にしていないよ」とか、


「東北を応援しているの」

という方々の狭間で小さくなって南の食べ物を探している私である。
生協の野菜も関東以南の産地だけが表示されているものは殆どない。

先日息子の家へステーキ肉持参で遊びに行った時も、1軒目のスーパーは福島、宮城の牛肉しか扱っておらず、もう1軒のスーパーまで足を運び、かろうじて埼玉の肉を手に入れ持参した。

東北の農家の方や畜産家の方には申し訳ないと思いつつも、しかしながら自己防衛手段である。
風評被害を広めていると批判を受けようが、白い目で見られようが、


『君子危うきに 近寄らず』である。


風に乗って、東京やもっと遠くまで飛んで来ている放射能をその発生現場で阻止するなんて無理な話だ。
次から次にどんどん出てくる牛肉からのセシウム検出、

「市場には出回らない」

「今売られている食べ物は安全です」と・・・


政府も報道機関も考えられないくらい自信満々に公言していたくせに、今になってこの体たらくだ。


やっぱりね、

どう考えたって無理がある。


今は牛肉だけだけど、まだまだ出てくるに違いない。
豚肉、牛乳、もちろん野菜果物
だいたい食物全部を調べるなんてあり得ない。

ただちに被害がないとか、毎日食べ続けなければとか言われても知らずに食べた牛肉に、知らずに食べた筍に、知らずに飲んだお茶、どれにもこれにも、空中にだって浮遊している今、出来る限りの努力をして少しでもリスクを減らすしかないじゃないか。
政府の暫定基準値だって根拠は乏しい。
出来れば検出された放射能数値を表示して欲しい。

私はもう57歳、いまさらと言われても、みすみす残りの寿命を差し出す気にはならない。
まして息子や娘、婿や嫁、孫にいつでも安心して私の作った食事を勧めたい。


「風評被害」その言葉に惑わされる風評被害もある。


自分や周りの皆の安全を守るのに差し出口を挟まないで欲しい。
政府はもっと真剣に現実をとらえて欲しい。

牛肉だけが今は問題になっているが、もっと大事な事はその環境で今も暮らしている人々がいることだ。
長袖にマスク、帽子着用で学校へ通う子供たちを助けてあげて欲しい。
放射線量を測りながら、わざわざ福島の球場で野球なんか開催しないで欲しい。


ほんとしっかりしてください。

なんか変だよ、今の日本・・・


私は風評被害という言葉に惑わされずに、せいぜい自分と自分の大切な人を守るために努力する事しかできない。


学生時代の友人との集まりで食事ををした帰り道、高校の2年3年といつも連なって遊んでいた友と二人、喋りながら歩いていた。


卒業してからは交際範囲も違っており、今は年に1度顔を合わせるかどうかの付き合になっている。
個人的に会ったりは、もう10年以上していなかった。


その彼女から「貴女には言っておくね」と、前置きされ


「家の娘、自殺しちゃったの」


・・・・・と


まるで何事もなかったかのように告げられた。

返す言葉が無かった。


あの赤ちゃんがもう19歳になっていたという。


母一人、娘一人・・・


それもついこの間の出来ごとだったとか

そういえば今日の彼女はいつもより饒舌で、何かが違うと感じていた。


良く笑い、よく飲んだ。

人の性格はそうは変わらない。


彼女は素直に悲しみ浸ることの出来ない人だ。

いや、悲しみに浸ったら溺れてしまう自分を知っている。


だから無理にピエロを演じていたのであろう。
悲しんでいても絶対に戻らない現実なら、少しでも忘れる事しかないからだ。

子を持つ母にとって、その子の死というのは到底受け入れられるものではない。

ましてやそれが自らの死であったなら、気付かなかった自分、止められなかった自分を責るしかないではないか


悲劇の主人公を演じることの出来ない不器用な友、

心の底にある悲しみの塊を小さくする事が出来るのはたぶん時間だけ・・・


その長い時間の経過を、ほんの少しでも気が紛れるよう一緒に過ごすことなら、私にも出来るかもしれない。


あれから2週間、私のすべき事に悩んでいる。


そろそろ遊びに誘ってみようか・・・