昨日の八月七日、
北海道比布町の比布神社宮司の鎌田告人さんから
忘れ得ぬ自衛官、森永 誠さん死去の知らせがあった。
彼は、旧軍の階級で言えば、
二等兵で入隊し、少佐で定年を迎えて退官した自衛官で、
屋根の下での仕事ではなく、銃をもち背嚢を担いで
北海道の山野を行軍して野営する訓練と演習のなかで育った
引き締まった身体をした、逞しい静かな、
たたき上げの軍人だった。
平成二十三年(二〇一一年)三月十一日、
東日本を襲った大地震と巨大津波に際し、
旭川駐屯の彼は、
部隊に出動命令が発せられるのを、今か、今か、と待ち続けた。
そして、遂に出動命令を受けて被災地に入った。
被災地では、連日、
膝まで、腰まで、泥に漬かって「行方不明者」の捜索を続けた。
その間、彼らは建物の中ではなく、野外の土の上で寝た。
また、自衛隊は、被災者には暖かい食べ物を作って提供するが、
自分たちは、冷たい缶詰を食べていた。
その日常のなかで、
彼は、被災地の状況を、鎌田宮司にメールで報告した。
鎌田宮司が私に、
涙して読んでくれたそのメールは、次の通り。
昨日、幼い男の子を発見しました。
役所で、若いお母さんが子供を探していると聞いていたので、
役所に連絡して、お母さんに来てもらいました。
お母さんは、
子供の着ている服を見てすぐ我が子だと解りました。
そして、抱かせてと言われるので、
お子さんを、くるんだ毛布ごとお母さんに渡しました。
お母さんは、お子さんを抱きしめて、
目に涙を浮かべて話しかけられました。
「自衛隊さんが、見つけてくれたよ。
お前も、生まれ変わったら、自衛官になろうね・・・」
皆で敬礼して、
お母さんとお子さんを見送りました。
これが、こちらの日常です。
後日、任務を終えて旭川に帰還してきた彼と
比布神社の社務所で会って話を聴いた。
彼は、鍛え上げた引き締まった身体をしているが、
無骨な感じはなく、静かで、誠実さがにじみでた自衛官だった。
彼を見ていて、
戦場ではこういう男が、一番強く、頼りになる、と感じた。
その彼が、
六十歳で亡くなってしまった。
奥様そしてお子様のお悲しみ、いかばかりかとお察し申し上げ、
切に!
陸上自衛隊 森永 誠 少佐のご冥福を祈ります。
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