本年夏の参議院選挙において、
総理大臣石破茂の、
四谷怪談に出てきそうな目付きと話し方、
そして各党の党首の演説を聴いていて、
耳の奥から響いてきたのは、
D・マッカーサーとC・L・ケーディスの笑い声だった。
この二人は、
昭和二十年九月二日から日本を軍事占領した連合国軍の
最高司令官と「日本国憲法」を起草したGHQ民政局次長だ。
産経新聞の古森義久記者は、
昭和五十六年、
ニューヨークで弁護士をしている晩年のケーディスに会い、
彼が書いた「日本国憲法第九条」について質問した。
すると、ケーディスは、驚いたように、
「日本は、あれをまだ憲法としているのか」と言い、
自分が起案した憲法第九条の
「交戦権は、これを認めない」という条文に対して、
「実は、『交戦権』とは何か、私には解らなかったのだ」
と言って笑ったのだ。
昭和二十年九月二日、
我が国は、降伏文書に調印して連合国に降伏し、
連合国軍の最高司令官D・マッカーサーは、
日本占領統治を開始した。
以後、昭和二十七年四月二十八日の
我が国と連合国との
サンフランシスコ講和条約発効までの七年間、
我が国は国家統治の主権を剥奪された。
この連合国の日本占領統治の目的は、
「日本を二度と軍事大国にさせないために、
非武装にして、
自国の防衛の為の戦争をも放棄させること」
であった。
その為に、D・マッカーサーは、昭和二十一年二月三日、
GHQ民政局長のホイットニーに
「日本の憲法草案」の作成を命じた。
そこで、民政局は、
次長のC・L・ケーディス陸軍大佐を中心とする十数名で、
「日本からすべての国家防衛の能力とその手段を奪うこと」
を主目的にした日本国憲法草案作成に着手し、
同月十三日に「日本国憲法草案(GHQ草案)」を完成させ、
同日、ホイットニーは、日本政府にそれを渡した。
この「GHQ草案」を受け取った日本の幣原喜重郎内閣は、
その「草案」通りの「憲法改正草案」を作成し、
まずGHQに提出して諒解を得たうえで、
同年四月十七日、「憲法改正案」を公表して、
五日後、総辞職する。
そして、次の吉田茂内閣によって、
この「憲法改正案」は、衆議院と貴族院で可決され、
十一月三日に公布され、
翌年の昭和二十二年五月三日に施行された。
この間、我が国の言論は、
GHQの検閲によって厳重に管理され封印されていた。
GHQは、三十項目からなる「検閲事項」を決定して
我が国の言論を厳重に検閲しながら、
我が国を軍事占領していたのだ。
その検閲事項の冒頭の四項目は、次の通りである。
特に、検閲事項(3)に注目されたい。
(1) 連合国軍最高司令官に対する批判。
(2) 極東国際軍事裁判(東京裁判)に対する批判。
(3) 連合国軍最高司令官が日本国憲法を起草したことに対す る批判。
(4) 検閲制度への言及。
さらに、この言論検閲と同時に、
GHQは、
WGIP=「戦争への罪悪感を日本国民に植え付けるプログラム」
War Guilt Information Program
を実施し、
多くの日本人を戦争犯罪人として処刑するとともに、
戦前、各所、各分野で活動し、指導的立場にあった
多くの有為な人材を、公職から追放し、路頭に迷わせた。
まさに残虐、無慈悲、無道の占領統治ではないか。
そして、敗戦から八十年を閲したこの夏、
総理の石破茂や野党の面々全員が、
このGHQの優等生となった如く、
日本国家の防衛に関して、
目を瞑れば世界は無くなるかの如く、
無視したまま参議院選挙をしていた。
その時、アメリカのトランプ大統領は、
イランの地下核爆弾製造工場を、
何時、如何にして、爆撃し破壊するか!
という人類初めての、厳しい課題に取り組んでいたのだ。
そのトランプ大統領に対して、
我が総理大臣が、毅然として
「日本は台湾を断乎守るから、
中共の核の抑止と
北朝鮮の核製造工場の爆破を頼む」
と申し入れていたのならともかく、
石破氏は、その問題は無きが如く、無関心で、
アメリカの関税の引き下げの為に、
商社マンのような特使を七回もワシントンに送った。
トランプだけではなく、我々も、こいつアホかと思う。
これ、
戦後日本の産みの親であるマッカーサーとケーディス自身が、
あの世で呆れるほどの、
「日本国憲法と称する文書」の害毒であり、
その毒素を除去することが、
現在の我ら日本民族の緊急課題だと断定する。
そもそも、マッカーサーが、
降伏した我が国に軍隊を進駐させて軍事占領し
我が国の国家統治の主権を剥奪して、
部下に、日本が二度と再び自分たちの脅威になり得ないようにするために、起案させたのが
「日本国憲法と題する文書」である。
これが、当初から八十年が経っても百年が経っても、
「日本の憲法」であるはずがない!
よって、我らの使命は、
我が国の、歴史と伝統のなかにある「根本規範」
即ち「眞の憲法」を、
明確にすることである。
我が日本の「眞の憲法」は、
何処に、如何にして存在するのか、
即ち、戦後の日本民族が見失った「我が国の根本規範」について
記しておきたい。
現在から未来に向かう
我が「日本という国家」の存続は、
国民の、この「根本規範の自覚」に懸かっている。
先ず、
フランスの社会人類学者クロード・レブィ=ストロースが指摘する通り、我が国は、神話と歴史の連続性を維持している世界唯一の近代国家である。
従って、我が国の根本規範は、
「神話」からの伝承である。
これに対して、欧米諸国の根本規範は、
近世の啓蒙思想に発する国家統治の原則としての、
民主主義、福祉、プロレタリア独裁等々である。
このことを、
人間の「知・情・意」という精神活動の分野で位置づければ、
我が国の根本規範は
太古からの「情」に発するが、
欧米諸国の根本規範は
近代の「知と意」に発するといえる。
従って、我が国の「情」は太古から変わらないが、
欧米の「知と意」は、十九世紀から二十世紀にかけて、
王制、民主制、プロレタリア独裁、と変遷が止まらない。
そこで、本稿の最後に、
現在に至る我が日本を誕生させた古事記・日本書紀が伝える
「天照大御神の天壌無窮の神勅」と
「大國主神の國譲りの物語」を記したい。
天照大御神は
「豊葦原の千五百秋の瑞穂國は、
是吾が子孫の王たるべき地なり。
宜しく爾皇孫就きてしらせ。」と
言われた。
また、天照大御神は、
建御雷神(たけみかずちのかみ)を出雲の国に遣わし、
大國主神に
「汝がうしはける葦原の中つ國は、わが御子のしらさむ國ぞ」
と伝えさせた。
ここに、國をおさめることを言う
「うしはく」と「しらす」という二つの言葉が出てくるが、
「うしはく」とは、
「或地方の土地と人民を我が私有物として領有支配すること」であり、
「しらす」とは、
「自分以外にある他の物を、わが身に受け入れて、
他の物と我とが一つになること、
自他の区別がなくなって一つに溶けこんでしまうこと」である。
つまり、天照大御神は、
皇孫に
「瑞穂の國の人々と自他の区別がなくなって一つに溶けこめ」と言われ、
大國主神には
「貴方が領有支配する國を、
我が孫と、一つに溶けこんだ家族のように、
一体になる國にしてくれないか」
と言われたのだ。
そして、大國主神は天照大御神の御意思に従って、
自分の「領有支配する國」を
「天照大御神の孫と家族のように一体になる國」にした。
ここに「天皇と国民が一つの家族の國」が誕生し、
太古から現在に至る!!
この「天皇と国民が一つの家族の國」においては、
太古から人々は
聖徳太子の「十七条憲法」が示すとおり、
「和を尊び」、「助け合い」、
物事は「衆議して決める」ことは当然のことであり、
近代に欧米諸国が掲げた
「民主主義」や「福祉」は太古からあったのだ。
事実、我が国の一万年前の縄文遺跡からは
自力では立つこともできない人が、
二十歳を過ぎるまで生活していたことを示す
ポリオの人の骨が出土している。
そして、
國譲りの神話の通り国民と一体になられた天皇は、
現在、百二十六代の今上陛下に至られているのだ。
これが「日本の國」なのだ。
平成十五年、
大國主神を祭る出雲大社を訪問された
皇后陛下(現皇太后陛下)は、
次の尊い、まことに尊い御歌を詠まれた。
國譲り 祀られましし大神の 奇しき御業を 偲びて止まず
本稿は、
「月刊日本」八月号に投稿した原稿に加筆した。
ハムの美味しい食べ方教えて!
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