我が國體について!
このところ、本通信で、
第一に、
「我が国土である西太平洋にある日本列島の自然条件」
また、次ぎに、
「自民党総裁選挙における候補者(総理大臣候補)選定の基準」
具体的には
「尊皇の志があるか否か、靖國神社に参拝しているか否か」
について述べたのであるが、
前者は、
数万年の歳月をかけて、我が国の國體を生み出した母体であり、
後者は、
その國體から導かれる結論である。
海外に合計十七年間住んだ関野通夫氏は、
その著書「一神教が戦争を起こす理由」(ハート出版)で、
海外において自分のアイデンティティとは何か!
と自問し、
行き着いた結論は、
「自分は皇室が存在する日本国の人間である」
ということだったと書かれている。
その通り、二十世紀を振り返れば、
日本人は、いざとなれば、
「天皇がおられる國體」
を守る為に命を懸けてきた。
我が国は、このようにして二十一世紀の現在に至っている。
従って、
この國體を無視する者、無知な者が、
総理大臣になることは
日本の崩壊、即ち亡国への道である。
日本が、日本である所以を、フランスの社会人類学者
クロード・レブィ=ストロース(1908~2009)は
次のように語った。
・・・かくかくの影響を外部から受ける前から、
あなたがたは一個の文明をもっておられた。
すなわち「縄文文明」を。
それを他の何に比較しようとしても出来るものではない。
ここから私はこう云いたい。
日本的特殊性なるものがあり、
それは根源からしてあったのだ。
そしてそれが外部からの諸要素を精錬して、
つねに独創的な何物かを創りあげてきたのだ、と。
・・・われわれ西洋人にとっては、
神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。
日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、
そこでは誰もが、
歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいられる
という点にあるのだ。
西洋人(欧米人)は、神話と歴史の間に断絶があるが、
日本人は、神話と歴史は連続しており断絶がない。
そして、
その、我が国における
神話と歴史の連続性を体現されている存在が、
天皇である。
即ち、我が国においては、
天照大御神の天壌無窮の神勅によって
天皇となられた初代の神武天皇から
現代の百二十六代の今上陛下に至るまで
皇位は、男系によって現在に承継されてきている。
ここにおいて、我が日本の神話は、
太古から連続して現在に生きている。
同時に、神武天皇が「日本」の創業時に掲げられた
「八紘為宇」の志、
この空の下に生きる人々は、
「一つの屋根の下に生きる一つの家族である」
という
「日本建国の理想」も
現在に生きている!
しかし、西洋人は、
かつては多神教の世界の部族民であったが、
西暦三九二年、
彼らを版図内いれて支配していた巨大なローマ帝国が
一神教のキリスト教を国教にしてから、
キリスト教の布教に伴い、多神教世界の記憶を抹殺され、
現在、クロード・レブィ=ストロースが言う通り、
「神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている」。
その上で、この西洋人が、
近代において、
優勢な武力によるアジア・アフリカの植民地化に乗りだし、
二十世紀初頭には
その世界の植民地支配をほぼ完成させたのである。
そのうえで、歴史を大観すれば、
二十世紀の半ばに、
この「神話と歴史の間にぽっかりと深淵が開いている西洋人」
の世界支配を、
「歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいる日本」
が打倒し、
地球上の各地域に、
再び神々の世界が戻る
「人類の眞の意味のルネッサンスへの道」
を拓いたのだ。
自民党総裁選挙に関する論考の中で、
私西村が、
神話と歴史の連続性に関したことを記していることに
奇妙な思いを抱く諸兄姉もおられると思うが、
天皇を戴く我が日本の、
二十世紀から始まり二十一世紀の現在に至る人類史的使命は、
かつての、
「キリスト教世界(一神教世界)のルネッサンス」
ではなく、
「神々の世界の人類の眞のルネッサンス」
を担うことであると確信するので書き続けた次第である。
従って、
自民党総裁選では、日本のマスコミは、
昨日今日とアメリカ大統領選挙における
トランプと、
大口を開いて歯(キバ)をむき出して笑う副大統領
の討論を真似て、
盛んに候補者を討論させているが、
口の上手い奴らばかりなのであるから、
皆、うまいこと、云うがな・・・
あほらしい、と思われたい!
そんな、討論に重きを置かず、
○尊皇の志があるのか否か、
○靖國神社に参っている者か否か、
○お国の為に死ねる者か否か、
という観点から候補者を見抜いて欲しい!!
候補者のなかのあの男、かの男は、
靖國神社に参拝ません、
「海ゆかば」は歌いません、
という奴であり、
また中国に可愛がられている奴が複数おるぞ。
何色の花が好き?
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