「尊皇の志」を持つ者は誰なのか!! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

「尊皇の志」を持つ者は誰なのか!!


現在九月中に与野党の総裁、党首選挙が行われる見通しである。

特に、与党自民党の総裁選挙は、

その実、次期内閣総理大臣選挙だ。

そこで、自民党の総裁選挙に名乗りを上げた面々をみれば、

高市早苗以外、

よくも、まあ、これが日本の総理大臣候補だとよ?!

と絶句し、

情けない思いがする面(つら)が複数ある。


ここで、

アメリカとかフランスとかドイツ、およそ世界の先進国は総て

自ら名乗りを上げた面々の中から、

大統領や首相が選ばれるので、

我が日本も、

「これでいいのだ」と思い込んでいてはならない!

と、強く申しておく。

そもそも、欧米と我が国は、

「國體」が違うではないか!


そこで問う。

現在の自民党の総裁=内閣総理大臣選挙の有権者とは!?

つまり、誰が総理大臣を選ぶのか!?

是が明確なのか!?

自民党の党員が有権者だとの弁解は分かる。

しかし、そもそも、それは誰か?

日本国民か否か?

その能力は?

また、これ以前に、

巨大な利権の為に

政権党の党員になっている親分の配下の面々は、

そもそも「自分で投票する」のか?

一千人分の投票を一人でする奴がいるのではないか?

・・・という疑問を払拭できない。


そこで、「現在進行中の制度」を、

これしかないと盲信せずに、

我が國體と歴史を大観して、

現在日本の命運に

決定的な影響を与えた総理大臣決定の実例を知るべきだ。

仮に、この実例が無ければ、

日本の固有の国土である

北海道と本州の東北さらに北陸の日本海側には

ソビエトロシアの傀儡国家

「日本社会主義人民共和国」が誕生していたであろう。

即ち、レーニンの

「戦争から敗戦へ、敗戦から革命へ」という

「敗戦革命戦略!」

が、我が国で成功していたのだ!


現在の我が国を取り巻く内外の情勢、

特に内側は、

その当時と同じ厳しさであることを知るべきだ!!


以下、

終戦時の侍従長である

海軍大将藤田尚徳著「侍従長の回想」により

国家の運命がかかった大東亜戦争終結に携わった

総理大臣決定の過程を見つめることにする。


昭和二十年三月十七日、

硫黄島守備隊は栗林中将が訣別電を発して玉砕し、

翌月の四月一日、

米第五艦隊長官R・スプルアンス大將指揮の米軍は、

沖縄本島に上陸を開始した。

この戦局展開の速度は、本土決戦間近を示すものであった。

しかし、まさにこの時の四月五日、

小磯・米内内閣は、施政わずか八箇月で総辞職した。

ここにおいて、我が国は、

一刻の猶予も無く総理大臣を決定すべき緊急事態に直面する。

この時、四月五日当日の午後五時から三時間四十分にわたる

総理大臣経験者、

若槻、岡田、近衛、平沼、東条つまり重臣どもに

枢密院議長鈴木貫太郎が加わり話し合いが為された。

その会議の空気は、

東条の発言を無視して鈴木貫太郎推薦に傾いたが、

鈴木は、

「政治に対して無経験、

しかも江戸時代生まれの老齢で耳も遠い」

と言って頑として推挙を受けなかった。

しかし、

重臣会議はついに夜の九時過ぎに木戸内府をして

陛下に「鈴木首班」を奏選した。

そして、

夜十時を過ぎて鈴木貫太郎は、

陛下に呼ばれて、

皇居の御学問所の陛下の御前にでてきた。

その時、御学問所には

陛下と鈴木そして侍従長藤田の三人しかいなかった。

その鈴木に対し、陛下は言われた。


「卿に内閣の組閣を命ずる」


沈黙が流れた後、鈴木は陛下申し上げた。


「聖旨のほど、畏れ多く承りました。

唯このことは何とぞ拝辞の御許しを御願いいたしたく存じます。

鈴木は、一介の武弁、

従来、政界に何の交渉も無く、また何の政見も持ち合せません。

軍人は政治に干与せざるべし、

との明治陛下の御聖論を、

そのまま奉じて参りました・・・

何とぞ、この一事は拝辞のお許しを願い奉ります」


この鈴木の言葉がとぎれると、

深淵のような静けさが御学問所を包んだ。

陛下は、まともに鈴木を見つめておられたが、

鈴木の言葉が終わると、

ニコリと微笑まれたようだった。

そして、おっしゃられた。


「鈴木の心境はよく分かる。

しかし、この重大な時にあたって、

もう他に人はいない」


陛下は、ここで一度言葉を切られた。

鈴木も面をあげて陛下を見上げている。

そして、陛下は言われた。


「頼むから、どうか、まげて承知してもらいたい」


陛下の御言葉は、

まことに異例であった。

大命降下

即ち後継内閣の組閣を陛下がお命じになるのが、

憲法の示すところなのに、

陛下は「頼むから」と言われたのだ。

この御心を拝しては、

いかに鈴木でも辞退の言葉を続けることはできない。

ついに、鈴木は、覚悟を決めて大命を拝受し、

国民にラジオで次の通り所信を伝えた。


今日、私に大命が降下いたしました以上、

私の最後のご奉公と考えますと同時に、

まず私が一億国民諸君の、真っ先に立って死に花を咲かす。

国民諸君は、私の屍を踏み越えて、

國運の打開に邁進されることを確信致しまして、

謹んで拝受したのであります。


総理就任に際し、

国民に決死の覚悟を伝えたのは、鈴木貫太郎だけである。

そして、五日後の四月十二日、

アメリカ大統領F・D・ルーズベルトが死去した報に接した

総理大臣の鈴木は、

同盟通信の短波放送で

アメリカ国民に対して次の談話を放送した。

まことに、

日本が世界に誇るべき総理大臣の談話であった。


今日、アメリカが我が国に対して、

優勢なる戦いを展開しているのは、

亡き大統領の優れた指導があったからです。

私は、深い哀悼の意を

アメリカ国民の悲しみに送るものであります。

しかし、ルーズベルト氏の死によって、

アメリカの日本に対する

戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。

我々もまた、

あなた方アメリカ国民の覇権主義に対し、

今まで以上に強く戦います。


アメリカに亡命していたドイツ人作家のトーマス・マンは、

鈴木総理の放送を聞いたあと、

放送でドイツ国民に次のように呼びかけた。

ドイツのヒトラーが、ルーズベルトの死に対して

口汚く罵りの言葉を発表していたからである。


ドイツ国民の皆さん、

東洋の国日本には、なお騎士道精神があり、

人間の死への深い敬意と品位が確固として存する。

鈴木首相の高らかな精神に比べ、

あなたたちドイツ人は恥ずかしくないのですか。


以上、

我が国の運命を決する総理大臣就任に関する事例を掲げた。

そして、申しておく。

これが、我が国の國體に最も相応しい

総理大臣誕生の事例である、と。

加えて、

陛下の信任を得て総理大臣に就任する者が

命を懸けて

国家民族の為に任務を遂行する、

これが日本なのだ!と。

その上で、

現在の自民党総裁選挙において

鈴木貫太郎と同じ

尊皇の志を持つ者は、

高市早苗のみである!と。


西村眞悟時事通信FBより

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