高野山の「空の神兵」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

戦前戦後にわたる空挺落下傘部隊の戦死者・物故者の慰霊祭は、

九月八日午前九時半から、高野山において行われた。

主催者は、

旧軍落下傘部隊員と陸自空挺隊員およびその家族によって

「挺身赴難」と「精鋭無比」

の伝統精神を継承し発展させる為に結成された

「全日本空挺同志会」

である。


高野山の一の橋を渡って

奥の院に至る巨大な杉が続く参道に入れば、

すぐ右手に、「空」、と刻まれた巨石が立てられた霊場がある。

その「空」の巨石に正対して左を見れば、


祖国日本の彌榮を

願ひ後に續く者を

信じ空挺落下傘

部隊将兵の霊は

此處に静かに眠る


と刻まれた碑かれている。


慰霊祭では、

まず全員起立して

国旗「日の丸」に対して敬礼し、

次ぎに新たに七名の自衛隊員の遺骨が

「空」の碑の前に納められた。

そして冒頭、起った、

慰霊祭主催者である全日本空挺同志会会長

火箱芳文、元第一空挺団団長・元陸上自衛隊幕僚長の挨拶は、

決死の部下将兵を指揮する

戦時下の軍司令官の威厳を湛えていて、

聴く者をして、

現在既に、平時ではなく

戦時である、と思わせるものであった。

その後、慰霊祭は、

僧侶の読経のなかで参加者全員の焼香が行われ、

最後に

「空の神兵」

を全員で合唱して終わった。


即ち、この慰霊祭においては、

戦前と戦後は連続しており、

帝国陸軍落下傘部隊の将兵と

陸上自衛隊第一空挺団隊員と空挺レンジャー隊員は

共に祖国日本の彌榮を願い

後に續く者を信じて、

これからも決死の任務を遂行し続ける者達なのだ。


私は、毎年、この高野山における

空挺落下傘部隊戦死者・物故者の慰霊祭に出席している。

本年も、

「大和心のつどひ」の主催者吉村伊平さんとともに出席した。

その切掛は、

スマトラ島パレンバンの

東洋最大の油田とロイヤル・ダッチ・シェルの製油所を

昭和十七年二月十四日午前十一時、

空挺降下によって占領した

殊勲甲の奥本 實中尉の子息である奥本康大氏の導きによる。

昨日も、奥本氏と、早朝、高野山上で会い、

昼食後の帰路、

堺市三国が丘にある「方違神社」まで同行し別れた。

なを、

高野山は、和歌山県内にあり、

我が郷里の信太山に駐屯する

陸自第三十七歩兵聯隊の守備領域下であるので

本慰霊祭に、

同聯隊の連隊長三浦 滋陸軍大佐が、

レンジャー徽章輝く制服で出席されていた。


西村眞悟時事通信FBより

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