台風10号 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

現在・令和六年八月二十八日十三時二十分、

台風10号は、

奄美大島北方・鹿児島県西方海上にある。

そして、これから、北上して

熊本県北部沖で進路を東方に転じ、

以後、北九州を横断して中国と四国地方を暴風雨圏に入れながら

近畿地方を経て東日本さらに北日本に至ると報じられている。

しかし、そもそもこの台風10号は、

当初、小笠原・硫黄島付近にあって、

そこから北上して関東に上陸すると報道されていた。

この報道に接したとき、この台風10号は、

大東亜戦争時、

硫黄島から北上して首都東京を爆撃した

アメリカ軍のB29爆撃機と同じコースを辿るのか、と思った。

ところが、台風10号は、

北上せず、西に西に流され、

ついに現在、東京から一千キロ以上西方の海上にあって、

例年の台風と同様に、

九州から日本列島に沿って東北東に進むという、

本来の「台風の通り道」に戻ったのだ。

即ち、日本列島には、

北からは大陸からの風が吹き込み、

南からは海洋からの風が吹き込んで、

台風はこの二つの風によって日本列島という「通り道」に沿って進むようになっている。

台風10号も、この通常のコースに入ったようだ。


即ち、ユーラシア大陸の東方海上に

南北に細長く横たわる日本列島に住む我ら日本民族は、

何万年の昔から、夏の終わる頃の同時期、

南から北に「日本列島という通り道」に沿って動く台風によって同じ暴風雨にさらされる経験をしてきている。

当初異端の台風に見えたこの台風10号も、

本来の通り道を進む台風に戻った訳だ。

そして、この台風10号の進路を観ていて、

私は、次の二冊の非常に説得力のある本を思い出した。

それは、


大石久和著「国土が日本人の謎を解く」(産経セレクト)

竹村公大郎著「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP文庫)


著者の大石氏と竹村氏は、

同時期に共に建設省の局長を経験された

我が「国土」に関する専門家である。

日本列島に住む日本人は、北に住む者も南に住む者も、

何万年にもわたって、毎年夏の終わり頃に、

日本列島に沿って南から北に進む台風による

暴風雨を経験してきている。

その時、日本列島の人々は、

同時期に、

自分と家族そして村を如何に守るか、

川の決壊を如何に防ぐか、溢れた水を如何に除去するか、

という共通の課題に直面し、

夫婦、親子の助け合いから、近隣の者同士の助け合いへ、

そして、集落同士の助け合い、さらに部族同士の助け合いへ、

相互の助け合いの重要性を実感してきた。

しかも、

日本列島を襲うのは台風だけではない。

そもそも日本列島は、

地球の陸地面積の0・25%に過ぎない。

しかし、この0・25%の下には

大陸からユーラシアプレートと北米プレート、

海洋からは太平洋プレートとフィリピンプレート

という四つのプレートがひしめき合って、

何時も地震を引き起こしてきた。

さらに、この国土には、

全地球の活火山の一割が存在するのである。

従って、火山の爆発も絶えない。


こんな地震発生場所の真上のような場所

火山の噴火口のような場所は、

「日本列島」以外、地球上に存在しない。

そして、

この地震と火山爆発と台風という

苛酷な日本列島における人々の

何万年にもわたる共同作業即ち助け合いの積み重ねが、

「日本民族の民族性」の根幹を形成してきたのだ。


そして、ついに、

我が国家黎明期において、

その「民族性の根幹」が打ち出された。

それは、

神武天皇の御創業の詔にある「八紘為宇」である。

即ち、

「日本人は、同じ屋根の下に暮らす一つの家族」

であるとの宣言である。

その上で、申しておく。

この我が国の黎明期に鮮明にされた

「八紘為宇」の精神は、

二十一世紀以降の世界諸民族の在り方を指し示す

貴重で重大な人類の指針である!と。

それは、西洋で提唱されている

グローバリゼーションとか

博愛主義とか自由主義でもなく

社会契約説でもない。


「八紘為宇」

即ち、

「地球上の諸民族は同じ屋根の下に生まれた一つの家族」

という指針は、

「苛酷で豊かな日本列島」で

何万年も生き抜いたなかで生まれた

「我が日本民族の実感」である、と。


西村眞悟時事通信FBより

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