今月末日、久しぶりに北海道札幌で話す機会を与えられた。
そこで、
一九四五年に北海道を護っていたのは、
一九三九年(昭和十四年)に、
遙か満蒙国境のノモンハンの草原で、
スターリン自慢のソ連軍機械化部隊二十三万人を撃破した
熊本の帝国陸軍第二十三師団二万人であった、
と語ろうと思う。
このノモンハンの二万人の日本軍将兵が命と引き換えに
ソ連機械化部隊を撃破して、
スターリンのマインドに
決定的な「対日恐怖心」を刻み込んだのだ。
そのスターリンの「対日恐怖心」が、
一九四五年八月十八日~二十三日、
千島最北端の占守島を強襲したソ連軍八千八百名のうち
日本軍の断乎とした反転攻勢によって
三千名が死傷したことによって増幅し、
スターリンに北海道侵攻を断念させた。
ノモンハンにおける日ソ両軍の損害は次の通り
破壊された戦車 ソ連軍800台 日本軍29台
撃墜された戦闘機 ソ連軍1673機 日本軍179機
次に、「ロシア」に関して思い起こしたことを記しておく。
日本国境線は、海岸を起点とした海の上にある。
従って、島国の日本人は、
国境線は動かないと思っている。
しかし、
草原国家・ステップ・ネーションのロシア人は、
国境線は動くものだと思っている。
ウラルの西に四六〇メートル以上の山は無く、
国境線は見渡す限りの草原の上に引かれており、
国境線は、
国家中央の権力が弱まれば、縮んでくるが、
国家中央権力が強くなれば、外に向かって動かねばならない。
よって、
強い国家指導者とは、国境線を外に向かって動かす者である。
これが、ロシアだ。
イワン四世(雷帝)、スターリン、ブレジネフ、
そして、プーチンが今、それをやっている。
そのプーチンを止めるのは、
ノモンハンのように、また奉天、旅順のように、
ロシアの最前線部隊を徹底的に撃破することだ。
戦後、ソ連軍によってラーゲリーに十一年間収容された
秦彦三郎関東軍参謀長は、
臨終前に見舞いにきた内村剛介氏に次のように語った。
私は生涯ロシア・サービスで一貫し、
ソ連にも長く駐在し、ソ連軍の演習にも参加した。
でも何一つわかっちゃいなかった。
敗戦後ソ連の収容所暮らしをするまでは。
死刑判決を受けてロシアの牢獄に入った
ロシア人のドストエフスキーも
秦参謀長と同じ事を言っている。
そして、同じくラーゲリーに十一年間収容された
内村剛介(ハルビン学院卒 北海道大学教授)は、
次のように語る(同氏著「ロシア無頼」)。
無理難題に処してたじろがず、手段を選ばない者が
共産主義エリートコースに乗る。
・・・そして、このオルガナイザーは、
何もののまえでもたじろがないから、
当然親友を「裏切る」ことを屁とも思わない。
オルガナイザーは裏切り者でなければならない。
私は、これを読んだ時、
内村剛介氏は、プーチンのことを語っているのだと思った。
そして、プーチンを「ウラジーミル」と呼び、
彼らか「シンゾー」と呼ばれている安倍総理に、
「気をつけろよ!」と言いたくなった。
現在のロシア・ウクライナ戦争に関して、
ロシアが一方的に、
か弱いウクライナを虐めていると思ってはならない。
十七世紀から始まるロシアの東方侵略の尖兵は、
常にウクライナのコサックであった。
十八世紀にカムチャッカから千島に来て
日本と接触してきたのもウクライナの尖兵であり、
同時期、
日本が番所を設置して領有していた樺太に、
侵攻してきたのもコサックであった。
日華事変で、
日本とゲリラ戦以上の戦闘は回避しながら重慶に逃げ込み、
欧米から救援物資だけをしこたま受け取っていた
蒋介石のことが、
当然のように欧米の援助を要求する
ウクライナの大統領を観ていたらしきりに思い起こされる。
とは言え、日本は、
ロシアとは江戸時代中期から接触を続けてきた。
そして、明治以降、
日本人が外国文学で一番多く読んだのはロシア文学だった。
その理由は、
ロシア文学が持つ「素朴なアジアの匂い」にあるのではないか。
ナポレオンは、モスクワを望み言った。
「このアジアの都よ」と。
ロシア文学に出てくるロシアの女性はアジア的で素朴である。
大学時代、
ソビエト刑法を講じる勝田吉太郎教授の授業に出席した。
彼は、言った。
ドストエフスキーの「罪と罰」にねえ、
老婆を殺してシベリアに流された
主人公のラスコールニコフに会いに行く
娼婦のソーニャがいるでしょう、
僕は、
ああいうソーニャのような娼婦に一度会いたいんですよ。
それから五十年以上、小生は、現在に至るも、
勝田吉太郎教授に賛同する。
小生も、
シベリアで一人夕日を眺めているラスコールニコフの横に、
そっと寄り添う為に
シベリアに行ったソーニャのようなロシアの娘に会いたい。
昔と今でだいぶ変わったと思うものは?
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