【漢字渡来よりも先に文字があったからこそ、日本語には五十音があるのです。それが「神代文字」です。】
小名木善行・ねずさんの、とても興味深い論考です。
ぜひ、ご一読ください❣️
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カタカナはどこから生まれたかといえば、神代文字であるカタカムナから生まれたという説が、いちばん合理性があるように思えま
す。
カタカムナが発見されたのは昭和24年(1949年)のことで、この文字は、他に八鏡文字(はっきょうもじ)とか化美津文字(かみつもじ)、あるいは上津文字(うえつもじ)とも呼ばれます。
その信憑性を疑う人もいますが、頭ごなしに否定してかかるというなら、いまの「常識」である「漢字からカタカナができた」という説も、かなり疑わしいものです。
それなら、可能性は可能性として探っていくのが良いと思います。
決めつけは、政治です。
探求するのが学問です。
学者の仕事は政治ではありません。
神代文字には、実に様々な種類があります。
みなさまよくご存知のホツマ文字、カタカムナ文字、アヒル(阿比留)文字の他にも、
上津文字、化美津文字、伊予文字、出雲石窟文字、トヨノ文字、山窩文字、豊国文字、春日文字、アソヤマ文字、越文字、アジチ文字、守恒文字、斎部(インべ)文字、惟足(コレタリ)文字、筑紫文字、重定石窟文字、ヤソヨ文字、阿奈伊知文字、マニナ文字、六行成文字、肥人文字、イスキリス文字 、タネマキ文字、種子文字、アイヌ文字、対馬文字、阿比留草文字、日文草書、薩人文字、阿波文字、天狗文字等々、名の知られた文字だけで34種類もあります。
探せば他にももっとたくさん出てくることでしょう。
これらの神代文字は、それぞれ毎に、文字のカタチがまったく異なります。
まるでハングルのように見える文字もあれば、円弧の向きが意味を持つ文字もあります。
まるでメソポタミアの楔形文字のようなものもあれば、アラビア語のような文字もあります。
まるで多種多様なのです。
けれど、それら神代文字に共通しているのが「五十音である」という点です。
つまり、「五十音である」という点で、神代文字は一致しています。
古事記の編纂を命じた天武天皇は、兄の天智天皇の改革路線を踏襲した天皇です。
その兄の天智天皇の即位は、唐と大規模な戦闘(白村江の戦い)があったわずか10年後です。
また再び、戦いがあるかもしれないのです。
実際、唐は日本遠征計画を具体的に立てていましたし、この時代(7世紀)には、鉄は倭国オリジナルではなくなっています。
古事記にある天武天皇の「いまその誤りを改めなければ、幾年も経ないうちに日本はなくなってしまうであろう」という言葉は、共通の文字を確立して日本国内の意思伝達をひとつの言語で行なうようにしなければ、日本に唐が攻め込んできた時に、日本そのものがなくなってしまうという、強烈な危機感なのです。
だから天武天皇は、太安万侶に古事記の編纂を命じたのです。
古事記は、全部、漢字で書かれています。
けれど、その漢字は、漢文として書かれたのではなくて、漢字の音だけを用いた、つまり漢字をカナとして用いたところが随所にあります。というか、むしろその方が多いくらいです。
古事記では、その都度漢字の横に「以音」と、注釈がしてあります。
「以音」というのは、漢字は使っているけれど、音だけを採用していて、その漢字には意味がないという意味です。
つまり漢字を「カナ」として用いているのです。
この時代、地方ごとに異なる文字が使われていた一方で、漢字は外国語として日本全国に共通に普及していました。
だから共通語として、外国語である漢字を使って、全国各地の神代文字で書かれた史書を統一したのだと考えるのは、ごく自然ななりゆきです。
このことがわかると、古事記と同時期に編纂された日本書紀が、なぜ綺麗な漢文で書かれたのかも説明がつきます。
日本書紀が美しい漢文で書かれ、これが子供達の教科書になれば、子供達は自国の歴史や道徳を学べるだけでなく、外国語である漢文を、普通に読み書きできるようになります。
日本に攻め込もうとする唐の人々には、日本語はわかりません。
ところが日本人は、唐の国の文書を誰もが読み書きできるのです。
これは戦略上、国防上、ものすごく有利な国家インフラです。
古事記の文章の構造を読むと明らかなのですが、常に「問題提起」した後に「その回答を示す」という書き方になっています。
つまり、すべてにおいて「目的を持ってはじめる」という姿勢が一貫しているのです。
それが日本的思考です。
古事記の時代、天智天皇、天武天皇の時代というのは、
一方に、日本語の表記が、各地方ごとに全部バラバラで、異なる神代文字が使われているという状況があり、
一方に、他国侵逼の国難が迫っているという、
国家緊急時の時代です。
そのようなときに、どの神代文字を我が国の共通語にするかで、国内で喧々諤々やっていては、もう間に合わないのです。
であれば、「外国語」として国内に広く普及している漢字を、この際、共通文字として日本語表記に使ってしまえ!というのが、実は、古事記における初の試みであったわけです。
こうしてカナとして用いられるようになった漢字は、時代とともに万葉仮名となり、そしてそれらがさらに草書体となることによって、ひらかなが生まれました。
そして神代文字からは、種々の神代文字から「いいとこどり」したカタカナが生まれました。
つまり、ひらがなも、カタカナも、もともと神代文字があったからこそ生まれた文化なのだと考えた方が、明らかに歴史を合理的に説明できるのです。
そして日本に、漢字渡来以前に、すでに高度な文化文明が栄えていた事実も、これによって裏付けることができます。
神代文字は、縄文時代の土器や、弥生時代の石版や、銅鏡、銅矛にも、たくさん見出すことができます。
いまは、それらが「意味不明のただの模様」として扱われていますが、実は、それが神代文字である可能性が高いのです。
要するに「漢字渡来まで文字がなかった」と考えるほうが、明らかに不自然です。
そうではなく、独自の文字を操る文化があったから金印が贈られたのです。
そして独自の文字があったからこそ、日本には五十音があるのです。
もっといえば、漢字渡来よりも先に文字があったからこそ、日本語には五十音があるのです。
それが「神代文字」です。
神代文字は、文字ではないという人もいるかもしれません。
しかし伊勢神宮には、稗田阿礼や菅原道真、あるいは源義経などが、まさにその神代文字で奉納した弊が残されています。
もっと身近にもあります。
少し古い神社に行ってお守札をいただくと、その中の紙片に、まさに神代文字が書かれています。
神代文字はファンタジーなどでは決してなく、実際にあったし、いまなお使われている文字なのです。
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