昨日、荒木正則さんが
「シベリヤ抑留記録•文化賞」を受賞された。
大正十三年七月七日生、九十七歳。
昭和十九年九月応召、関東軍第927部隊(第12国境守備隊)に配属。
同二十年七月、甲種幹部候補生として石頭予備士官学校入学(第13期生)
同二十年八月九日、ソ連侵攻に対して、武器なき予備士官学校は、学校にあった火薬のみを持って「磨刀石の戦い」を敢行。猪俣大隊850名は爆薬を抱え肉弾となって敵戦車に突撃して750名が壮絶な戦死。ソ連軍は、「陸の特攻」と言って恐れ震え上がった。
荒木正則さんは、生き残った。そしてシベリヤに連行され鉄道建設に従事させられた。その強制労働のなかで、三度事故に巻き込まれて重傷を負った。
同二十三年十月、舞鶴に帰還。
新日鉄に三十年間勤務して定年後、
シベリヤ慰霊訪問。
そして、七十九歳から九十二歳まで
「戦友よ、内地へ帰ろう」
「凍土に野ざらしにさせぬ」と叫ぶ思いで、
厚労省の遺骨収集団に十三回参加した。
その間、ロシア側は、
「磨刀石生き残りの英雄」が来たと
荒木さんの写真入りで報道したことがあった。
このシベリヤでの遺骨収集と共に、
荒木さんは、語り部として、ソ連による六十万人以上の日本人強制連行、強制労働の死に勝る苦しみを各地で伝える活動を続けてきた。
磨刀石の生き残り!
磨刀石の英雄!
荒木正則さん、
必ず、百歳を元気で超えて下さいよ‼️
写真
荒木さんがシベリヤでも大切に守り抜いた
日の丸。
荒木さんの御子息とお孫さん、
そして、私と息子。
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🦷🦷受けてません
