十一月六日早朝、
中央環状線というまことに無粋な道路に架かる歩道橋に上がり東を望む。
左の森は永山古墳(仁徳天皇陪塚)で無粋道路の右の森は手前丸保山古墳(同陪塚)から
仁徳天皇御陵後円部。
そして、一時間後、
第十六代仁徳天皇御陵西側の子供の頃一本橋と呼んでいた御陵の堀の水の流れ口から南に向かって堀に沿って歩く。晩秋の日差しが、ススキと紅くなりかけた漆の葉を照らしていた。
昼、初代神武天皇御上陸地の近く、
熊野市飛鳥に初代特殊作戦群群長、武人、荒谷卓大佐がオヤジとして主催する
「熊野飛鳥むすびの里」
開設三周年を祝う式典に参加する為、
熊野の飛鳥に向かう。
むすびの里は、日本民族の血、
日本民族の原始無限流動の力を実感する地だ。
即ち、昭和二十一年にGHQが書いた「日本国憲法」など、カケラもない。
村人は、
天照大神の御名を唱えながら、
太鼓を打ち続けた。
我らは、オヤジの荒谷卓の号令に合わせ、
「天皇陛下、弥栄❗️」
「天皇陛下、弥栄❗️」
「天皇陛下、弥栄❗️」
と三唱して、盃を挙げた。
一升の半分以上を呑んで、
息子の日加留が運転して帰路についた。
走行距離408キロ。
去年食べたのは何鍋が多かった?
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ちゃんこ鍋🍲もどきです
