新嘗祭未明の我が直観
東の空が明けてきて、地上の木々はまだ黒い
新嘗祭の本日未明、
おそらく仁徳天皇御陵や履中天皇御陵そしてにさんざい古墳などの
百舌鳥古墳群の広大な堀から飛び立った多くの雁たちが
三々五々編隊を組んで西の空に飛んで行った。
なかには、編隊から離れ単独で西の空に向かっている雁もいる。
あいつは、俺に似ているなあ、と思い、
行って来いよ~!と見送った。
それから3時間がたつ午前9時を過ぎた今も、
雁が一羽、また一羽と西に向かっている。
一昨日の11月21日、
墓前で父西村榮一(明治37年生まれ)
民社党第二代委員長の五十回忌を行った。
私は、父の45歳の時に生まれた末っ子で
兄弟5人のなかで、唯一、生きている。
墓前には、東京・埼玉・神奈川・千葉から
父とともに民社党を結成し、民社党の終焉を見届け、
終生、民社党の目指した「愛国の政治」を忘れず生きてきた
愛国の同志の方々が集まってくれた。
お坊さんのお経の後、
我らは、声を上げて、
昭和35年、古関裕而作曲の「民社党歌」を歌った。
新しき世の 新しき風
我が党の うちより興る
・・・今ぞ結ぶ 勤労の同志
・・・今ぞなさん 愛国の政治!
この党歌を歌ってから、
墓前を後にして皆で昼食をとり、名残惜しいが散会した。
そして、
一日置いて本日未明、
西に向かう雁たちを眺めた。
雁たちは、相談することもなく、季節の移り変わりのなかで、
「この朝だ」
と直感して飛び上がり、編隊を組んで西に向かっていった。
そこで、
父の五十回忌を終えた不肖西村眞悟も、
黙々と西に向かう雁と同様に、
日本という帝国(みかどのくに)と日本民族の、
転機を直感した。
日本民族は、
「もはや、『日本国憲法』という『堀』の中に
浮かんでいるわけにはいかない」
「そこから飛び上がらねばならない」と。
「不肖眞悟に与えられた人生は、この為にある」
と。
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