三島由紀夫自決の迫る日々に
啓示のように浮かんだ回天の確信
本年の十一月二十五日は、
例年の十一月二十五日と違った。
何か、現実に、
三島由紀夫の決行が迫ってくるように感じたのだ。
彼の、たばさむ太刀の、「鞘鳴り」が、
日々に高まってくる思いがしたのだ。
三島由紀夫大人命 辞世
益荒男が たばさむ 太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐えて 今日の初霜
五十年前のあの日の十一月二十五日、
西の吉田山の坂を下りて大文字山を眺めながら東に向かい、
住み家の学生寮に入ろうと門を曲がりかけた時、
中から寮生が走り出てきて、
「三島さんが防衛庁に討ち入った!」
と言った。
彼は面白いことが起こった、と笑顔だったが、
僕は、彼の顔を見ながら、
三島さんは死ぬなあ、と思った。
彼の顔に当たる晩秋の日差しと、
木の葉の黒い影の形が、今も目に焼き付いている。
それ以来、
三島由紀夫の「豊饒の海」第二巻「奔馬」の最後の、
「正に刀を腹に突き立てた瞬間、
日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。」
という一文が忘れ得ず、
時々、それを呟くようになった。
令和元年五月十一日の未だ漆黒の闇の朝、
沼山光洋君が、
靖國神社前中通りで、
靖國神社拝殿に向かって割腹自決したときも、
沼山君、日輪を見たな、と彼に話しかけた。
そこで、前日の二十四日、
「奔馬」の最初にでてくる
堺から東の二上山を越えて同じ距離を東に行った處にある
三島由紀夫ゆかりの三輪山をご神体とする
官幣大社大神神社、三輪明神に参った。
祭神は大物主大神。
このような日々の中で、
啓示のように照らし出された救国の一手、
ゴルディアスの結び目を斬る一手、
それが、
現在の尊皇攘夷!
即ち、
占領下に押しつけられた日本国憲法無効宣言!
そこで、東京の西村塾では、
年末の勉強会・放談会を如何にするかを話し合った處、
本年初頭、シナウイルスのお陰で
マスコミが連日取り上げて散々な目に遭った
最も江戸らしいドンチャン会合場である屋形船に乗り
品川沖からお台場の海に漕ぎだそうと決まった。
田母神俊雄閣下も乗り込んでくれた。
ようするに、
びくびくするな、
己の免疫力を信じろ、
と、いうことだ!
よって、
不肖西村は、坂本龍馬の船中八策よりも根源的な、
船中救国の最後の一手、
現在の尊皇攘夷、
を語ることにし
船中の同志に次のメモを配った。
話し終わって、「民社党党歌」を歌った。
次に西村塾は、
三十八度線が下りてきた
「朝鮮半島南の海」を望む「対馬」に行くことになった。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
尊皇攘夷
令和二年十一月二十九日、
品川沖船中 西 村 眞 悟
拉致被害者(国民)そして尖閣(領土)の
救出・防衛の緊急課題に直面する長い迷蒙のなかで
啓示のように照らし出された救国の最後の一手!
それは、戦後体制・日本国憲法体制のなかで、
万策尽きた後の最後の一手!
To Cut The Gordian Knot!
即ち、日本国憲法無効宣言
並びに、
日本は帝国(みかどの国)であり、
不文の憲法の国であることの宣言。
その不文の憲法の法源は、
我が国の神話と勅語と歴史と伝統のなかにある。
これが、現在の尊皇攘夷、現在の維新である。
「現在の攘夷」とは
連合軍の占領下で我が邦土に植られた日本国憲法の
根を断ち幹を抜くことだ。
日本国憲法廃棄の方式は、
昭和二十三年六月十九日の衆参議院で行われた
「教育勅語無効決議」に倣う。
即ち、総議員の三分の一以上の出席と出席議員の過半数による決議。
つまり
GHQが仕組んだ同じ手を使ってGHQの狡智を排除する。
この夷狄が植えた毒の樹(日本国憲法)を抜くのは、
毒の樹の枝に群がり生息する者(目に浮かぶ某々)ではなく、
我ら、草莽しかない。
よって、我らこそ、この船中から、
現在の救国、
現在の尊皇攘夷、
日本国民各人一人一人が、
日本国憲法無効を確認し宣言する国民運動を
起こす決意を固めよう!!