先に、カスピ海西岸のコブスタンの岩石画にある
東に向かう芦船のことを書き、
次に、アーネスト・シートンの
インディアンの言葉(魂の教え)を集めた
「レッドマンのこころ」
を紹介した。
そして、今、
スクァミッシュ族の卓越した酋長シアトルによる、
居留地への移動を命じたワシントン総督
アイザック・スチーブンス宛て抗議文(1855年1月)、
を紹介する。
この抗議文は、
「レッドマンのこころ」の翻訳者近藤千雄さんが、
シアトル市に滞在していたときに骨董店で見つけ、
「レッドマンのこころ」の「訳者あとがき」に収録したものだ。
なお、シアトル市の名は、この酋長シアトルからとられた。
では、何故、私は、三度にわたり、
ユーラシアの遺跡やインディアンのことを伝えるのか。
それは、この頃、しきりに
「日本のこころ」の起源を考えているからだ。
近年、日本全国における縄文遺跡の発掘の成果は目覚ましく、
この一万五千年に渡る縄文時代に、
全国に渡る交流、交易網の発達した
平和で平穏で豊かな社会が形成されていたことが
分かってきている。
従って、この縄文期に
「天皇を戴く日本の原形」
が生まれてきたと漠然と思っていた。
しかし、
普遍的であり基本的であり根源的な
インディアンの信仰を知るにおよび、
日本の原形は、
日本列島内の縄文期に限定されるものではなく、
遙かそれ以前のユーラシアの何処かにいた
我らとインディアンと共通の先祖から受け伝わってきて
日本列島内で醸造されたのではないか,
としきりに思うようになった。
次の酋長シアトルの抗議文を読んでいただければ、
シアトルの信仰が、
如何に普遍的で根源的かがお分かりいただけると思う。
・・・ ・・・ ・・・
遙か遠きあの空は、数えもつかぬ昔から、
私の民族に憐れみの涙を流して下さってきた。
一見すると永遠に不変であるかに思える空も、
いつかは変わるときが来るものだ。
今日は天気でも、明日は雨雲におおわれるかも知れぬ。
が、私の言葉は夜空の星の如く変わることはない。
冬のあとには必ず春が訪れるように、
総統閣下、
どうか私の述べるところを言葉通りに受け止めていただきたい。
この土地は、かつては我が民族が自由に使用した時代があった。
が、その時代も遠い過去のものとなった。
民族の偉大さも、悲しい思い出となってしまった。・・・
この度のあなたの命令は、
言う通りにすれば我々を保護してやる、
・・・かくしてレッドマンも
同じ総督のもとでホワイトマンと兄弟になるとおっしゃる。
果たしてそうであろうか。
それは有り得べからざることではなかろうか。
何となれば、
そもそもあなた方の神ゴッドと、
われわれの神グレイト・スピリット(大霊)とは
全く相容れないものだ。
ゴッドは、自分の民は愛しても異民族は嫌う。
白い肌の我が子をやさしくかばい、
あたかも父親が我が子を可愛がるように手引きするが、
赤い肌の者のことは一向に構わない。
我々の崇める大霊はそんなえこひいきはなさらない!
このようなことで、
どうしてホワイトマンとレッドマンが兄弟となり得ましょうぞ。
もしもゴッドが宇宙の神だというのであれば、
それはよほど好き嫌いをなさる神に相違ない。
ホワイトマンに都合のよいことばかりを教えて、
われわれレッドマンのことは何も述べていらっしゃらない。
が、かつてこの土地で無数のレッドマンが生きていたのだ。
あなた方の宗教は
活字によって書き記されている。
レッドマンはそれが読めないし、したがて理解できない。
それとは違い、我々の宗教は
先祖からの伝統なのだ。
厳粛なる儀式のもとに、
夜の静寂の中で、大霊より授かったものだ。
それが偉大なる先祖のビジョンとなって、
我々の胸に刻み込まれている。
あなた方の先祖は、
墓の入り口を通り抜けると、
それっきりあなた方のことを忘れる。
あなた方も彼らのことを忘れる。
が、我々の先祖霊は地上のことを決して忘れない。
うるわしき谷、のどかなせせらぎ、
壮大なる山々、木々にかこまれた湖、
彼らはしばしばその美しさが忘れられず
舞い戻ってきては、
我々のもとを訪ね、導きを与え、慰めてくれる。
かつてレッドマンが
ホワイトマンの侵入に敗走したことはなかった。
が、我々の命運も尽きかけている
・・・何ゆえにその運命を悲しむことがあろうか。
一つの部族が滅びれば、また新しい一部族が生まれる。
一つの国が滅びれば、また新しく国が生まれる。
海の波と同じだ。
それが大自然の摂理なのだ。
・・・あなた方ホワイトマンの命運も、
いつかは尽きるのだ。同じ運命(さだめ)から逃れられない。
その意味においてお互いは同胞なのだ!
この地球上のどこにも孤独な場所、
誰もいない場所は一つもない。
いずこも先祖の霊でにぎわっているのだ。
ホワイトマンも決して孤独ではない。
人間として正しく、
そして優しい心さえわすれなければ、
先祖の霊たちが力を貸してくれる。
私は「死」という文字は一度も用いていない。
「死」は存在しないからだ。
ただ生活の場が変わるだけなのだ!