産経ウェスト
弁明せず、戦争責任の罪から逃げず、
死ぬまで「三畳小屋」で過ごした陸軍大将「魂の伝言」
マッカーサーと直談判した男(上)
今村均が晩年暮らした三畳間の小屋=山梨県韮崎市(朝野富三さん提供)
第二次世界大戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)統制下の“隠された日米交渉”を赤裸々に描いた映画「終戦のエンペラー」が8月、スターチャンネルで放送される。米俳優、トミー・リー・ジョーンズがマッカーサー最高司令官を熱演。巧みな交渉術が明かされるが、この“タフネゴシエーター(手強い交渉相手)”と直談判し、自ら戦争責任の罪を背負った日本軍人がいたことをどれだけの現代人が知るだろうか。ノンフィクション「『三畳小屋』の伝言」(新風書房、朝野富三著)は、歴史の陰に自らの将来を葬ろうとした元陸軍大将、今村均(1886~1968)の半生に光を当て、彼の魂を現代に甦らせる。
マッカーサーに「真の武士道に触れた」と言わせた
「兵の行為の責任は上官にあり。私を戦犯にしろ」
昭和20(1945)年8月15日の終戦時、南太平洋のラバウルに司令部を置く陸軍第八方面軍の司令官だった今村は、21年、ラバウル戦犯収容所に入るが、24年、オランダ軍の軍事裁判で無罪判決を受ける。
そこで今村は「巣鴨プリズン」と呼ばれた東京の巣鴨拘置所に身柄を移されるが、多くの部下が収監されていたパプアニューギニアのマヌス島での服役をGHQに要求する。
「南方の劣悪な環境の刑務所で、多くの部下が苦しんでいるのに、自分だけ東京にいることはできない」と彼はマッカーサーに直談判したのだ。
「日本に来て以来、初めて真の武士道に触れた思いがした」とマッカーサーは語ったという。
優しい人柄「死ぬまで独房」…今も残る「独房の小屋」と50冊のメッセージ
今村はマヌス島の刑務所が閉鎖される28年まで服役し、巣鴨に移送後、29年に出所するが、その後、東京都内の自宅の庭に三畳小屋を作り、43年、82歳で亡くなるまで、食事と入浴などをするとき以外、ほぼこの小屋の中で過ごしたという。
巣鴨プリズンの独房を模した三畳間で生涯
この三畳小屋は巣鴨拘置所の独房を模したものだった。今村は戦後も自らに罪を課すため、表舞台へは出ず派手な生活を慎み、三畳小屋で過ごす人生を選んだのだ。今村の長男、和男さんは近年、こう語っている。「父は死ぬまで巣鴨の独房にいるつもりだったのでしょう」
この小屋が現在も山梨県韮崎市に遺(のこ)されている。今村の東京の自宅が取り壊される際、ラバウルの基地にいた頃、今村の部下として、その優しい人柄に魅了された元陸軍軍人、中込藤雄さんが、「この小屋を引き取りたい」と今村の遺族に申し出て、自分が所有する同市内の土地に移築、大切に保存してきたのだ。
「伝言」を引き継ぐ
長年、今村の生き方に興味を抱いてきたという宝塚大学教授の朝野さんは、5年前、この小屋が保存されていることを知り、現地を訪ねる。そこで、今村が遺した新聞記事を貼り付けた50冊のスクラップブックを見つけた。そして、中込さんから「このスクラップブックを預かっていただけないでしょうか」と頼まれるのだ。
朝野さんはこの50冊を大学に持ち帰り、研究室で分類・整理しているうちに、「今村と対話しているような気になってきたんです」と言う。そして、今村が次世代の若者たちに何を伝えたかったのかを探り、本にまとめる決意を固めた。
それが「『三畳小屋』の伝言」だ。
今村の魂が宿った三畳小屋をずっと守り続けてきた中込さんは今年5月27日、死去した。96歳だった。
「中込さんからスクラップブックを託されたとき、正直、どこから手を付けたらいいのか途方にくれた思いでした…」と朝野さんは打ち明けるが、「とても貴重な記録に触れることができました。中込さんが亡くなる前に本の出版が間に合って本当によかった」とほっとした表情で語った。
マッカーサーが、その毅然(きぜん)とした姿に「武士」の魂を重ねた男、今村均の伝言を3回シリーズで紹介したい。
晩年の今村均・元陸軍大将(朝野富三さん提供)
「『三畳小屋』の伝言」の著者、朝野富三さん