日本を貶めた民主党政権 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 
【河村直哉の国論】
産経ウェスト


「左傾病」は死に至る病となる…。
戦後日本を覆う「脱国家」「反国家」思潮、反EU躍進に現実を知れ



鳴り物入りで国家戦略室と行政刷新会議を設立した(左から)仙谷由人行政刷新相、鳩山由紀夫首相、菅直人副総理・国家戦略担当相だったが…=平成21(2009)年9月18日、内閣府


 国家を超える、とか、世界市民、地球市民などといった物言いがよくなされる。特に日本では左傾した人士が口にする。しかし欧州連合(EU)議会選でEUに反対する勢力が躍進したことは、この脱国家的な発想が現実的ではないこと語っている。ことに、安全保障への現実的な志向があるヨーロッパと違い、空想的平和に毒された戦後日本でこのような非現実的な理念がもてはやされることは、大変に危うい。

日本を貶めた民主党政権

 たとえばである。「東アジア共同体」を唱えた鳩山由紀夫元首相は、EUびいきだった。平成21(2009)年、シンガポールで行った演説でEUが「私の構想の原型」と述べている。そもそも、鳩山氏が連呼した「友愛」は、汎ヨーロッパ主義を唱えEUの父の1人とされるクーデンホフ・カレルギーの概念であり、鳩山氏はカレルギーへの共感を、総理就任直前に発表した「私の政治哲学」(「Voice」平成21年9月号)という論文でとうとうと述べている。世界市民とはいっていないが、脱国家思考の1つといってよい。

 だが鳩山氏の宇宙人的な政治哲学とやらが、わが国の国益をどれほど損ねたか。私たちは痛いほど知っている。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で「最低でも県外」などとあおって迷走させ、日米関係を毀損(きそん)させた。首相の座を去ってからも、昨年はいわゆる「南京大虐殺記念館」を訪問し、「日本は鳩山氏のような態度を取れ」と中国メディアを喜ばせた。また「(日本が尖閣を)盗んだと思われても仕方がない」などとも発言した。中国を利するようなことばかりやっているのだ。

 ちなみに、続く菅直人政権下で自衛隊を「暴力装置」と呼んだ仙谷由人元官房長官の政治理念は、まさしく「地球市民」だった。尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に衝突してきた中国漁船船長を釈放するなど、悪夢のような国家主権の軽視が菅-仙谷ラインでなされたのだった。

戦後をむしばむ「左傾病」

 ここでいまさら、かつての民主党政権を批判しようというのではない。だがあの政権下でなされたあまたの失政が、脱国家、ないしむしろ反国家的な姿勢に由来するものであることには注意しておきたい。これこそ、戦後日本をむしばんできた「左傾病」なのだ。

 日本の敗戦とともに、終戦までの日本を卑下する自虐的思潮が知識人のあいだで主流になる。いわゆる戦後進歩的知識人たちの言説を、少し見ておこう。ややこしい言葉が多いがご海容いただきたい。

 「(日本社会の)家族的生活原理こそ、われわれの社会生活の民主化を今なお強力にはばんでいるものであり、これの『否定』なくしては、われわれは民主化をなしとげ得ない」(川島武宜=たけよし=「日本社会の家族的構成」、昭和21(1946)年)

 「(日本の民衆は)とうてい近代的な人間類型を示しているとはなしがたく、一般に近代『以前』的であり、(略)古くかつ低いものを残している」(大塚久雄『近代化の人間的基礎』、昭和23年)

 「(日本のナショナリズムの)醗酵地である強靱(きょうじん)な同族団的な社会構成とそのイデオロギーの破壊を通じてのみ、日本社会の根底からの民主化が可能になる」(丸山真男「日本におけるナショナリズム」、昭和26年)

 彼らがいっていることは簡単にいえばこういうことだ。日本人は遅れている、前近代的である、民主的ではない。日本社会を「否定」し「破壊」しなければ、日本の民主化は不可能である--。

 さらに、たとえば丸山においては、「日本は明治以後の近代国家の形成過程に於て嘗(かつ)てこのような(ヨーロッパのような)国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった」(「超国家主義の論理と心理」、昭和21年)と、日本という国家そのものが否定的にとらえられるのである。

 これが、戦後日本の左傾の源流なのだ。知識人がこぞってこうした言説を繰り返し、左傾メディアが喜々として拡散し、教師が学校で教えた。戦後日本は自ら、日本を飽くことなく否定し、破壊し続けてきたのだった。

朝日新聞の反国家傾向

 世界市民を志向する現在の言説の底流にも、こうした脱国家ないし反国家的な考えの傾向がある。この脱ないし反国家言説は、現在もなくなっていない。一例を挙げよう。欧州議会選挙で反EU勢力が票を伸ばしたのを受けて、朝日新聞社説「垣根なくす永遠の試み」(5月28日付)はこう書いた。「国境という垣根はますます意味を持たなくなる」「(EUの)事態を悪化させているのは、真の問題のありかを率直に説かず、ナショナリズムに訴える政治手法だ」「日本もひとごとではない」

 フランスの国民戦線など今回躍進した反EU勢力は、EUの移民策による自国の失業率の高まりから移民に反対し、往々にして右派、ときには極右勢力と呼ばれる。朝日社説はそれをナショナリズムと結びつけ、ご大層にも「日本もひとごとではない」と牽制(けんせい)球を投げているわけだ。

 経済を統合しようというEUの試みは1つの実験であって、崇高な理念のごとく持ち上げるのは行き過ぎである。そもそも理念はいわば永遠の彼岸なのであって、私たちが国家のなかで生きているという現実を、理念によって否定することは観念的にすぎる。今回の反EU勢力の躍進はそのことを示している。

 ついでに朝日の別の社説を見ておこう。平成25年1月1日付、「『日本を考える』を考える」。元旦の社説だから、新年にのぞむ朝日の態度表明といってよい。「私たちが抱える、うんざりするような問題の数々は、『日本は』と国を主語にして考えて、答えが見つかるようなものなのか」。こう問題を提起し、ギリシャ財務危機で動揺したEUに触れて述べる。「主語を『ギリシャ』ではなく『欧州』としたからなんとかなった、ということだろう」。そして日本について、国家を相対化することの意義を説くのである。「国家以外にプレーヤーが必要な時代に、国にこだわるナショナリズムを盛り上げても答えは出せまい。国家としての『日本』を相対化する視点を欠いたままでは、『日本』という社会の未来は見えてこない」

 直前の前年12月、第2次安倍晋三政権がスタートしていることをだれしも思い起こすだろう。この月の衆院選の前後から、保守志向を前面に出した安倍自民を朝日などはしきりと「右傾化」といっていた。衆院選で自民は圧勝した。民主党政権への失望があったばかりではない。中国による尖閣諸島への横暴、北朝鮮による弾道ミサイルの発射など、東アジア情勢の激変があった。日本人が日本人として踏ん張り、国家を守らねばならないと、多くの人が思っていたはずである。それが自民への票になって表れた。

 そのようなときでも国家意識を危険なものであるかのように牽制し、国境のない世界市民的理念を掲げるのが、戦後日本の左傾なのである。それを左傾という病、左傾病といわずしてなんといおうか。

 特定秘密保護法や集団的自衛権行使の議論などで見られる過激な拒絶反応は、追い詰められた左傾病の最後のあがきと思っておきたい。そうでなければ、左傾病はこの国を死に至らしめる病となる。

(大阪正論室長)

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