三重県四日市市で、女子中学生のご遺体が発見されました。
被害者の女性、そしてご遺族の皆様に心からのお悔やみを申し上げますとともに、警察にはなんとしても、この卑劣な犯罪者を検挙していただきたいと思います。
日本人なら誰もが知っていることですが、本来日本は、若い女性が深夜の大都会の夜の町をひとりで歩いても、なんら被害のない、安心して歩ける、世界で唯一の国です。
それは、民度が高く治安が良いからです。
このことは、いまに始まったことではなく、昔からずっと日本はそういう国です。
松平健扮する連続テレビドラマ「暴れん坊将軍」は、みなさまご存知だと思います。
八代将軍徳川吉宗が、悪人たちをバッサバッサと斬り倒す人気ドラマでした。
この八代将軍吉宗の治政は、江戸時代の「享保(きょうほう)年間」です。
享保年間20年続いた時代でした。
その20年間に、江戸の小伝馬町の牢屋に収監された犯罪者の数は、いったい何人だったかというと「0人」です。
お奉行所が仕事をしないでサボっていたからではありません。
牢屋に入れられるような犯罪を犯す者がいなかったのです。
江戸時代というのは、慶長8(1603)年から、慶応4(1868)年まで、265年続きました。
その265年間に発生した犯罪件数は、いまの日本の一年間の犯罪発生数よりも、少ないです。
昨今ヨーロッパの、いわゆる先進国と呼ばれる国にご旅行される方は多いです。
ローマ、ロンドン、パリ、素晴らしい街並です。
けれど、女性の方などが、ちょっとハンドバックを置いて、景色を写真に撮ろうとカメラを構え、写真を撮り終えて、後ろを振り返ってハンドバックを持とうとすると、もう、ハンドバックがない。
そんなことが日常茶飯事です。
ところが日本では、江戸時代でさえ、路上に現金が置いてあっても、誰も盗もうなどとしませんでした。
いまでは現金を送金するときは、銀行のATMを使います。
江戸時代にも現金の送金は頻繁に行われていました。
金飛脚(かねびきゃく)と呼ばれる人たちが、街道をエッホエッホと走って全国にお金の配送をしていました。
その金飛脚に、どうやって現金輸送を依頼していたのかというと、たとえば江戸から地方にある実家に現金を送金するときには、江戸の日本橋(いま日本橋三越が建っているあたり)に、みんなが送金するお金を持参しました。
日本橋は、東海道、日光街道、甲州街道、奥州街道、中山道の五街道の出発点です。
江戸の町の中でも最も人の往来の多い、華やかなところです。
その激しく人が往来する日本橋のたもとに、竹で編んだ平たいザルがいくつも置いてありました。
現金送金する人は、そのザルに、宛先の住所を書いた紙を貼った包みを置いたのです。
ただ置くだけです。
ザルには、全国の各藩の名前を書いた紙が貼ってありました。
見張りも、立会人もいません。
送金手数料は、いくらいくらと書いた小さな紙が貼ってあり、そこにそれぞれ送金を依頼する人が、手数料を入れるだけです。
いまでも、地方の農道などで、小さな小屋に野菜を並べ、欲しい人はお金を箱に入れて勝手に野菜を持って行くといった商売がされていのを見かけますが、あれと同じです。
江戸から全国への毎日の送金なのですから、各藩ごとの名前の書かれたたくさんのザルに置かれた現金は、毎日、何百両、何千両といった大金となっていたかもしれません。
けれど、江戸265年間を通じて、日本橋のその見張りさえいない、現金送金のためのザルから、現金が泥棒されたという事件が、ただの1件も起きていないのです。
それが日本です。
なぜでしょう。
なぜ日本は、それほどまでに治安が良かったのでしょうか。
ひとつには、日本人は起こった犯罪を厳しい法で処罰する、あるいは見せしめのために残酷な方法で公開処刑するといった選択ではなく、高い道徳心と教育によって、犯罪そのものが起きない国つくりをしてきたということがあげられます。
でも、実はそれだけではないのです。
怪談といえば、もう9月に入りましたので、ちょっと時期を外れてしまうかもしれないけれど、有名な怪談のひとつに、「怪談・牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」があります。
牡丹灯籠の物語のはじまりは、若い女性が月の出ていない深夜の夜道を、提灯の灯りひとつで歩いて来るというシーンです。
江戸時代のことです。
道路に街灯なんてありません。
夜になり、月がなければ、あたりは漆黒の闇です。
その闇夜の、ひと気のない深夜の道を、若い女性ひとりが、提灯のあかりひとつで歩いているのです。
そんなことをしても、女性たちは誰からも襲われたり、犯されたり、ましてや殺害されるなんてことは、まったくなかったのです。
いまの日本は、都会の明るい街灯の下を、若い女性が夜中にひとり歩きしても、まず安全です。
ところが昨今目立つのは、人通りの少ない田舎道です。
しかも泥棒やひったくりどころか、殺されてしまう。
いったいどういうことでしょうか。
社会は誰もが、進歩し進化するものだと思っています。
けれど、いまの日本はどうでしょう。
江戸時代の265年間に発生したすべての犯罪件数と同じ数の犯罪が、たった1年で発生し、若い女性がひと気のない静かな農道を歩いていると殺される。
これでは進化どころか、退化です。
物騒で貧しいスラムのあるようなところなら、世界中、どこでも、若い女性の深夜の一人歩きは危険なものです。
けれども、住民の共同体が営まれているような地方の郊外の路上で、深夜若い女性が狙われるなど、よほど民度の低い国でもなければ、まず「ありえない」話です。
なぜこのような事件が起こるのでしょうか。
日本人の誰も、誰ひとり、そのような社会になることなど望んでいないと思います。
誰もが安心して暮らせる社会をこそ望みこそすれ、危険な、それも何の罪もない普通の人が、さらにいえば、若い女性、それもいたいけな中学生の女の子が、殺害されるような社会など、いったい誰が望んでいるのでしょうか。
そもそも、こうした事件を起こしている人たちというのは、いったいどのような人たちなのでしょうか。
府中刑務所といえば、約3千名の収監者を抱える、我が国最大の刑務所です。
そこに収監されている受刑者は、主に重大犯の犯人たちです。
そしていま、その刑務所に服役中の凶悪犯たちの中に、生粋の日本人はほぼ皆無です。
つまり、収監されている凶悪犯たちは、ほぼ全員が外国人です。
けれどその中に、白人はいません。
黒人もいません。
有色人種の、見た目、日本人と変わらない人たちばかりです。
支那人、韓国人、そして、日本に帰化した支那系日本人、韓国系日本人ばかりです。
そして、不思議なことに、粗暴犯、凶悪殺人犯は、支那人または支那系日本人です。
強姦がらみの犯人は、ことごとく韓国人もしくは韓国系日本人です。
私は、人種差別するとか、民族ぐるみで悪と決めつけることには反対です。
それぞれの国には、良い人もいれば、悪人もいるからです。
支那人にも韓国人にも、立派な人はたくさんいます。
日本に帰化した支那系日本人や韓国系日本人も、そのほとんどは、まっとうな人間です。
けれど、日本人が、外国に行って卑劣卑怯な犯罪や、殺人などの凶悪犯罪を犯せば、どこの国でも、「日本人は」と言われてしまいます。
このことは反対の意味でも同じで、外国で日本人が良い振る舞いをすれば、「さすがは日本人は素晴らしい」と言われます。
たとえ、たったひとりでも、それぞれの人が、その国、その民族を代表しているからです。
そういう自覚が、果たしていま、日本に来ている特定の外国人や、その国から日本に帰化した人たちに、ちゃんとあるのでしょうか。
そもそも、人目につかないところ、人に見られないところ、暗がりのようなところ、そういうところで平気で暴力をふるい、かよわい女性に暴行を加えるなどということは、世界中、どこの国でも、卑劣卑怯で最低最悪の犯罪です。
人の行動として、これほど卑劣なものはありません。
いや、人の行動とさえいえない。
まさに野蛮なケモノたちの所業です。
人の道を外れた行為を、外道(げどう)といいます。
外道は、もはや人ですらありません。
ケモノが人の皮をかぶって闊歩しているということです。
私たち人間は、牛や豚を食べます。
なぜ食べれるかといえば、それは人ではないからです。
外道など食べたいとも思いません。
しかし、たとえ人の皮をかぶっていても、ケモノはケモノです。人ではない。
そのことをはっきりと、私たち日本人は認識し直すべきだと思います。
これは国籍の問題ではありません。
人道の問題、道徳の問題です。
死刑反対論者などもいますが、人の皮をかぶったケモノは、殺して当然です。
私刑には反対ですが、ただやみくもに綺麗ごとを並べるのではなく、悪は赦さないという、凛とした岐別を、やはり私たち日本人は、しっかりと持つべきです。
要するに、いくら民度の低い支那人や韓国人を攻めたところで、彼らの中にケモノがいるということは変わらないのです。
それよりも大切なことは、私たち日本人が変わるということ。
凛として、毅然とした日本を取り戻すこと。
それしかないのだと、私は思うのです。
『H24年中の来日外国人犯罪検挙状況①』坂東忠信