戦後憲法に正当性はない。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思




 5月3日は何の日かとたずねても、すぐに返事が返ってくる学生はきわめて少ない。彼らにとっては連休の真っただ中の楽しい1日に過ぎないようだ。

 それは彼らに限ったことではない。「日本人」にとって現憲法はずっと「そこにある」もので、誰も制定に参加したわけではない。だからまた今日、改正論議がでてきても、どこかひとごとのようにも見える。

 このようにいうと、「いや、あれは押しつけではない。日本政府も参加したし国民が歓迎した。だから日米合作だ」という意見がでてくるが、私には意味ある見解とは思われない。決定的な点は次のことなのである。

 昭和27(1952)年の4月28日、サンフランシスコ条約の発効とともに日本は主権を回復した。ということは同20(1945)年8月15日(正確には9月2日の降伏調印の日)から7年間日本は事実上、主権をもたなかった。そして主権をもたない国がどうして憲法を制定できるのであろうか。

 これは法的な問題ではない。憲法なるものの根幹にかかわることだ。憲法制定とは主権の最高度の発動である。ところが憲法を制定すべき主権がなかった。逆に憲法によって初めて国民主権が定義されるのである。

 通常は、主権者であることを標榜(ひょうぼう)する国民(市民)が憲法を制定し、自らの支配を改めて正当化する。それが必要なのは、歴史的には、革命などによって旧体制が打倒され、新しい支配体制ができるからである。フランス革命のように市民革命が起きれば、それを正当化するために市民による憲法制定がなされる。だから「革命」のような歴史の断絶がなければ近代憲法を理解するのは難しい。

 戦後の日本では、つじつまを合わせるために、20年8月15日に「革命」が生じて国民が主権者になったと「みなそう」とした。「8月15日革命説」である。もちろんいくら「みなす」といっても、黒いものを白いというわけにはいかない。事実は、20年8月15日から占領、つまり主権の喪失が始まった。したがって現憲法は、押しつけであるか否かというより以前に、近代憲法としての正当性をもたないのである。

 実際には、現憲法は明治憲法の改正手続きをとることになった。だがそれはそれでまた矛盾がでてくる。いわゆる護憲派の憲法学者はしばしば、憲法なるものの性格上、憲法の根本的な部分は改正できない。だから現憲法の3原則は改正できない、という。しかし、だとすれば、明治憲法の根幹的な改正は、憲法の精神からすれば正当性をもたないことになるだろう。

 いずれにせよ、まずは現憲法の正当性の基盤がきわめて脆弱(ぜいじゃく)であることを知っておく必要がある。今年の4月28日に政府は主権回復の式典を執り行った。ということは実は、政府が現憲法の正当性について、暗黙のうちに大きな疑念を表明したことになると了解すべきなのである。もし改正をいうなら、このような前提のもとでの改正でなければならない。

                                (さえき けいし)