石垣島の軍神といわれた伊舍堂中佐
沖縄戦の特攻(特別攻撃)第1号として故郷の石垣島から出撃し、米空母に体当たりした伊舍堂用久(いしゃどう・ようきゅう、当時24歳、写真)中佐と隊員の顕彰碑を建立する準備が、終戦記念日の8月15日を目指して同島で進められている。中国が強奪を狙う尖閣諸島を抱え、安全保障の意識が高まっているという。
「軍神」とうたわれた伊舍堂中佐は小学校まで石垣島で過ごし、陸軍士官学校を卒業後、航空隊で中国戦線を転戦し、1945年に「誠第17飛行隊」の隊長として石垣島の基地に配属された。「自分の故郷は自分で守る」と語っていたとされ、45年3月26日に部下とともに散華した。
同中佐については、石垣島を拠点にする地方紙「八重山日報」の仲新城誠(なかあらしろ・まこと)編集長が夕刊フジで連載した「守れ! 国境の島」で取り上げ、大きな反響を呼んだ。
遺功を後世に伝える顕彰碑建立の募金活動が続いている。寄付金は、ゆうちょ銀行(店名708)普通0298662。「伊舍堂用久中佐と隊員の顕彰碑建立期成会 会長 三木巌」まで。同会住所は、沖縄県石垣市字登野城1。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130527/plt1305271213002-n1.htm