頭が2つに目が3つの子豚とか、8本足のウシガエルとか。にわかには信じ難い話だが、人間の想像力を凌ぐ動物が生まれるほど、支那の環境汚染が進んでいるようだ。その昔、高度成長期のわが国でも、環境汚染による公害 病が社会問題化した。しかし支那の公害は、われわれ日本人が経験したソレとレベルが全然違う。
理由は2つある。ひとつ目は社会体制の違いだ。社会主義国家は中央計画経済による目標達成を最優先する。一握りの党幹部を除けば、あとは全員、煮て喰おうが焼いて喰おうが構わない奴隷状態だ。庶民に人権はないし、文句を云うチャンスもない。市場経済によるインセンティブがないから、誰も汚染を解決しようとすら思わない。政府にすれば、人民よ、勝手に汚れた空気を吸い腐った水を飲め、ってなものだ。
人に優しい社会主義なんて噓であり、幻想なのだ。冷戦が終結し、旧ソ連と東欧が民主化を進めた際、西欧の人々が鉄のカーテンの向こう側を初めて見て仰天したのは、環境汚染の酷さだった。工場から硫黄酸化物や窒素酸化物、農地から過剰で劣悪な化学肥料を垂れ流すので、河川や地下水の汚染は殺人的だった。東欧諸国と国境を接する西欧側で大騒ぎとなり、旧社会主義圏に改善を求めたのは云うまでもない。
さて、2つ目の理由だ。タフさだ。図太く動じない神経の持つ主である支那人は、繊細で優しい日本人と物事に対する反応が違う。仮にわが国で8本足のウシガエルが生まれたら、発見者はびっくりして腰をヌカす可能性が高い。女性なら泣いたり気を失ったりする。勇気ある人が捕まえたら、必ず保健所に持つ込む筈で、ウシガエルは大学病院で解剖され、研究者が奇形の原因を探るだろう。
支那人は違う。農村部では珍獣の誕生を喜び、動物園に売ったり、見世物にして一儲けすると云う。それに彼らは四つ足なら椅子以外何でも喰う。ともすれば2本足すら躊躇いがないそうだから、喰わない訳がない。足の本数が異様に多いニワトリでも生まれれば、美味いモモが沢山アルヨ、とお得感まで感じるのではないか。
日本に比べればとてつもなく後進的な支那だが、ある部分では、彼らのタフさに絶対かなわない。そんな気がする。