【昭和正論座】
上智大教授・渡部昇一 昭和57年11月9日掲載
日教組よ「日の丸」を掲げよ
教職員には上の指導がある
もう五、六年も前になると思うが、日教組委員長の槙枝元文さんとテレビや新聞の座談会で一緒になる機会があった。本番の前か後か忘れたが、お茶なんか飲みながら話したところによると、日教組は国旗の「日の丸」には反対していない。国歌の「君が代」は賛成できないということであった。
ところがその後の実情をみると、「日教組」vs「日の丸」という図式が普通のようである。今年の日教組の大会は右翼の妨害のため、分散して行われなければならなかったと報道された。これも日教組が日の丸に攻撃されているという印象であった。それで前に聞いた話は記憶違いかなとも思わざるをえなかった。
ところが最近、「諸君!」十二月号のために、槙枝さんと二時間半にわたる対談をする機会があった。その際に私は再び槙枝さんに「日教組は日の丸に反対ではないのですね」ということを確かめた。槙枝さんははっきりと「日の丸には反対でない」と答えられた。このことを私の友人や知人に言うとみんなびっくりする。誰も日教組は日の丸に反対だと思っているからである。
ではなぜ日教組は日の丸に反対しているという印象を与えるのであろうか。槙枝さんの話によると「日の丸自体には反対ではないが、上から押しつけられるのに反対している」とのことなのである。ところで小・中学校の大部分は公立、つまり税立である。私塾とは違い、そこの教員は地方公務員である。地方公務員に「上がない」という状態はありえない。職制では校長があるし、監督官庁としては文部省がある。また教育委員会もある。そこからの指示を受けるのが嫌だというのではすでに公務員ではない。正当なルートを通じての指示に従わないのはアナキーにすぎない。
槙枝氏は組合員を説得せよ
したがって槙枝さんの任務は、日教組のメンバーに対し、国旗に反対してはいけないことを説得することである。国旗自体には反対でないとのことであるから、それは難しいことではないと思う。正当な上からの指示を受け入れることは公務員の義務であるどころか、私的企業の社員だって同じことである。日教組が親近感を持っているように見える社会主義諸国では上からの命令は、戦前戦中の日本の如く、あるいはそれ以上に厳しいように見える。自由主義・民主主義の政府の命令だから嫌だとは、まさか言えないと思う。
国旗に教員が敬意を示すことは、社会的にも教育的にも、日教組にとってよいことずくめになるはずである。まず日教組大会の会場の正面に大きな日の丸を垂らしてみたまえ。右翼にはいろいろあるだろうが、日の丸の下に集会している教師を攻撃はしにくいのではないか。それに社会一般人にとっても、自分の子供の教育を託している(託させられている)教師たちが、国旗と対立しているようでは困ると思っているのだから、日教組大会で槙枝さんが挨拶(あいさつ)する壇上の後ろに、大きな日の丸があるのをみれば安心すると思う。
これは子供の教育にとっても少なからざる影響力がある。学校内暴力については、さまざまの背景があり、その理由を一つにしぼることはできないが、教員組合が、日の丸に反対だという一般的印象が、子供の側に深い教員蔑視の念を生んでいることを指摘しておかねばならない。
普通の子供はノーマルな愛国心や愛郷心を持っている。オリンピックで日の丸が上がるのに歓喜するのもそのためだ。バレーでも、卓球でも、ユニホームに日の丸の印のついた選手が得点すれば無邪気に喜ぶ。日の丸は自分たちの旗なのだ。それなのに日教組は日の丸に反対だ、ということを知れば、子供は裏切られたと思う。先生を敵とは思わないまでも、軽蔑、侮蔑するのである。「地方公務員のくせしあがって」と言っている中学生もいると聞く。
“税立”学校の教員は公務員
こうした中学生の生意気な言葉も考えてみると本質をついているのである。税立の学校の教員は公務員であり、公務員としての権威も給料も、それは究極的に国家から出てくる。その国家とは、遠い将来の革命が成功した後の国家ではなく、現憲法下に合法的に成立している政府を行政の頂点とする国家である。どこの国にもその国の旗があり、統合の象徴として敬意を払うことになっている。その国旗に反対することはおかしいと子供でも感じている。
伊藤仁斎や中江藤樹のように、あるいは吉田松陰のように私塾を開いている先生ならば、日の丸が嫌なら無視してよいし、教場に赤旗を掲げていても誰も文句を言わない。しかし現行の公立学校は父兄の税金で成り立ち、おまけに義務なのだ。日教組の先生の個人個人が、吉田松陰みたいな反体制教育の自由があると思ってもらっては困る。
幸いに槙枝さんは日の丸に反対でない。それどころか「日の丸はデザイン的にすっきりしている」とむしろ好意的ですらある。日教組のメンバーは数も多く、考え方も槙枝さんと同じ人ばかりではないだろう。しかし、この点については槙枝さんの考え方に賛成すべきだ。学校の運動場にはもっと日の丸が上がってよいであろう。式の時には壇上に必ず日の丸があるようにした方がよい。日の丸と先生たちが敵対関係にないことを知れば、右翼も日の丸かかげて押しかけなくなるであろう。国歌については次の機会にのべたい。
(わたなべ しょういち)
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【視点】日教組は君が代には歌詞を理由に強く反対しているが、日の丸には絶対反対ではない。昭和50年に示した見解で、日の丸が国家の「標識」として扱われてきた事実を認めつつ、これを強制することに反対した。渡部氏はこの方針を当時の日教組委員長、槙枝元文氏に確かめた上で、まず日の丸を日教組大会で掲げることを求めた。
私塾ならともかく、税金で賄われている公立学校の先生が国旗に反対することのおかしさを指摘し、学校の式典では必ず国旗を掲揚すべきだとした。この当たり前のことが、日教組の影響が強い学校現場では通用しなかった。平成11年の国旗国歌法成立後、反対運動は下火になりつつあるが、日教組はまだ50年の見解を変えていない。