2・11、神武建国の精神思う日に。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









国学院大学教授・大原康男





間もなく建国記念の日である。『日本書紀』では、今から2672年前の辛酉(かのととり)の年の正月元日、初代の天皇である神武天皇が筑紫の日向(ひむか)の国(現在の宮崎県)から始まった国内統一の業を成し遂げられ、大和の国(現在の奈良県)は畝傍山(うねびやま)の東南、橿原(かしはら)の宮にて皇位に即(つ)かれたと伝えられている。

 ≪建国記念の日、原点は明治維新≫

 この日を太陽暦に換算したのが2月11日で、明治6年に、日本建国の日として「紀元節」という祝日に定められた。だが、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策の一環である祝祭日の大幅改変により、祝日から外されてしまう。

 敗戦3年後の昭和23年7月制定の「国民の祝日に関する法律」に先立つ政府の世論調査で、「紀元節」は、第1位の「新年」、第2位の「天皇誕生日」に続いて、国民各層から81・3%という圧倒的な支持を得て第3位に入り、衆参両院の法案審議でも議員多数が賛同した。にもかかわらず、この日を「超国家主義イデオロギー」のシンボルと見なしたGHQの強硬な圧力で廃止されたのである。

 しかし、「紀元節」への国民の愛着の念は強く、昭和27年の対日講和条約発効で主権が回復した直後から、復活へ向けた国民運動が澎湃(ほうはい)として起こり、瞬く間に全国に広がって政界を動かし、反対派の激しい抵抗で6回も廃案になりながら、昭和41年にようやく祝日法が改正され、「建国記念の日」が祝日に加えられるに至る。廃止から18年の歳月が流れていた。

改正祝日法では、「建国記念の日」を「建国を偲(しの)び、国を愛する心を養う」日と規定している。趣旨は、遠く神武建国の古(いにしえ)に思いを馳(は)せながら、悠久の時を経て父祖たちが伝えてきた日本の国柄を確認し、時代に適(かな)った国づくりに向けて互いに尽力することにある。その原点は明治維新にあった。

 ≪「神武創業」で守旧派抑える≫

 周知のように、慶応3(1867)年に発せられた「王政復古の大号令」には、「諸事神武創業之始(はじめ)ニ原(もとづ)キ」と高らかに宣されている。明治維新の理念を「建武の中興」でも「大化の改新」でもなく「神武創業」に求めたこと、さらに、その発案者が岩倉具視の師、国学者の玉松操であることは今日ではほとんど知られていない。

 現代人の感覚では、いかにも復古主義色濃厚な黴臭(かびくさ)いイメージを抱かれるかもしれないが、以前も何度か指摘したように、実は「神武創業」への回帰という旗幟(きし)は、明治新政府が、律令制の上に幕藩制が乗った旧来の政治体制を一新し、あらゆる分野で大胆な国家改造政策を打ち出していくうえで重要な役割を果たしたのである。

 例えば、封建制(地方分権)のままでいくのか、郡県制(中央集権)に改めるのかという新しい政体をめぐる論議では、「我が王朝の盛時は郡県の制」であったとする伊藤博文ら開明派の主張が、依然として大きな力を有していた封建制維持派を圧し、「廃藩置県」という革命的変化をもたらし近代的中央集権国家を誕生させた。

同様に、新たに創設される国軍の構成原理として、兵農が分離され軍事を武士の常識とした従来の封建的壮兵主義を維持するか、それとも、国防の任を全国民が連帯して担う国民皆兵主義を採用するかの対立も、「我朝(わがちょう)上古ノ制海内(かいだい)挙(あげ)テ兵ナラサルハナシ」と断じ、徴兵制の導入を柱に据えた山県有朋らの構想が論を制している。

 このほか、近代的な服制への改正や女性の社会進出の是非が論じられるに際しても、守旧派の反対論を抑える論理として、「神武創業」-直接的にそう表現してはいなくとも、「復古」を基調として近代化の正当性を唱えるという手法-は実に有効に活用された。

 ≪政府主催の式典実現に期待≫

 もとより、玉松や、初期の岩倉(ほどなく開明派に転じ、玉松とは袂(たもと)を分かった)に、そうした現実主義的な配慮があったとは到底思えないが、結果的にみれば、「神武創業」は実にうまく機能したといえよう。それも、神武天皇の再来としての明治新帝が担った伝統的権威へのコンセンサスがあってのことである(当時の錦絵などに描かれた神武天皇のお顔は明治天皇を模したものが多い)。

今日の「建国記念の日」の問題に戻ろう。この日、2月11日の奉祝式典は祝日化される前から、一貫して民間団体が主催して執り行い、昭和50年代に入ってからは、政府がこれを後援するという形式が採られ、さらに昭和50年代になって、首相の式典参列にまで話が進んだものの、首相の祝辞の内容や式次第について意見が対立、頓挫したまま今日に至っている。

 それが、昨年末の衆院選で政府主催による「建国記念の日」式典の挙行を公約の一つに掲げた自民党が政権を奪回したことで、大きな転機を迎えることになった。

 安倍晋三首相に切に望む。今年は政府主催の式典の開催は難しいとしても、野党時代の自民党総裁も出席したこの民間団体主催の式典にはぜひとも出席し、明治維新の理念となった神武建国の精神を体して今日の国家的危機を打開する決意を新たにされんことを。

                              (おおはら やすお)