靖國参拝は政治問題ではない。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





夕刻の備忘録 様のブログより。




マスコミは己の思想を植え付けようとする。国民を洗脳することが「我が使命だ」と信じている。中立などほど遠く、公平など考えたこともない。千に一つ、万に一つ、「正論」を混ぜておき、それを「公平無私のマスコミ」のアリバイとして利用する。

 民主もダメだが、自民もダメだ。
 今さら自民党には戻せない。

こうした文言を平然と繰り返してきたマスコミの、何処に報道機関としての規律がある。ジャーナリストとしての誇りがある。明らかな誘導であり、公職選挙法違反ではないか。酔っぱらいが選挙ポスターに鬚を描いただけでも逮捕されるのに、こちらは「報道」の名の下に、何を書いても逮捕どころか警告すらされない。

法の下の平等すら犯されている異常事態である。警察は一体何をしているのか。あなたがたのやっていることは、僅か1キロの速度超過を得意気に逮捕しながら、その横を100キロオーバーで笑いながら擦り抜けるマスコミ人に対して、「お気をつけて!」と手を振っているようなものである。

マスコミは、各種政党をごちゃ混ぜにし、有権者が「判断不能」になるように誘導しておいたその後で、「有権者は政治不信で、選ぶ政党も候補も見当たらないと悩んでいます」と報じてきた。ならば、我々はこうも言えるはずだ。

 朝日もダメなら、産経もダメだ。
 今さら産経には戻せない。

以下は頭も悪いが、根性も悪い、「最悪の立ち位置」にいる人間の、生ゴミのような悪臭を放つコラム、産経新聞のコラムである。

「靖国」で明言避けた安倍総裁 笹幸恵
 自民圧勝の報を聞きつつコラムを書いている。いつか見た光景だ。3年前の民主党の圧勝と一体何が違うのか、私にはさっぱりわからない。
 いずれにせよ再び、自民党政権が誕生する。
 選挙の開票結果を受けて安倍晋三自民党総裁の記者会見があった。今後の対中関係を問われた安倍総裁は、尖閣諸島問題への対処について明言を避けた。賢明だ。これを弱腰だと批判すべきではないだろう。尖閣諸島は名実ともに日本の実効支配下にある。8月に上陸した香港の活動家を現行犯逮捕したのが、何よりの証拠だ。公務員を常駐させよとか船だまりを作れとか、威勢のいいことを言って中国の感情を逆なでするのが得策ではないことぐらい、政権を取れば当たり前にわかることだ。
 そもそも隣国同士の関係なんて、古今東西、お互いに文句を言いながらにらみ合いを続けていく程度の距離感がちょうど良いのである。力の均衡が取れている状態を「平和」という。この状態を維持しながら、どのような落としどころを見つけていくかが、政治家の役割だろう。
 一方、靖国参拝についても明言を避けた。安倍総裁はかつて、首相在任中に参拝すべきだったと反省の弁を述べている。しかし記者会見では、首相として参拝するかどうかには触れず、「外交問題にすべきではない」と言うにとどまった。これはケシカラン。本当に外交問題にすべきではないと思うならば、参拝しなさい。隣国の顔色ではなく、英霊の嘆きに耳を傾けなさい。明らかな内政干渉に対しては、落としどころを探るのではなく、毅然とした態度で臨むのが政治家の役割だろう。
 ちなみに私の尊敬するある経営者は、社長就任を打診された際、まず自分がいつまで健康を維持できるかを考えたと言っていた。健康でなければ社長業に専念できず、判断を誤り、部下たちに迷惑がかかるからだ。至極まっとうである。社長業は大変だ。一国の首相はもっと大変だ。“腹痛”で政権を投げ出した安倍総裁、今度は大丈夫だろうか。(ジャーナリスト)

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121220/plc12122008030004-n1.htm

同じ産経新聞の記者が、「異民族に支配されていた三年」と呼ぶ民主党の支配と、それから脱出するための自民党の勝利の、「一体何が違うのか、私にはさっぱりわからない」という程のバカなのだから、それ以降を読むには相当の覚悟がいる。

何しろ自分で何を書いているのか、全く理解していない人間なのだ。こんな短文の中に、全く矛盾した段落を並べる度胸は大したものだ。尖閣への対応については、「威勢のいいことを言って中国の感情を逆なでするのが得策ではないことぐらい、政権を取れば当たり前にわかることだ」と書きながら、靖國については、それを認めない。この両者の『一体何が違うのか、私にはさっぱりわからない』のである。共に隣国が「重要課題」として掲げている「反日工作のネタ」ではないか。

それを殊更に分けて採り上げ、「これはケシカラン」「参拝しなさい」「英霊の嘆きに耳を傾けなさい」とまで書く。主張こそ逆ではあるが、その口調は特亜そのもの、傲慢さに溢れている。どうしてここまで愚かなのか。この愚かの極みのような雑文を、コラムと称して読者に提供する産経新聞は何を考えているのか。テリー某と同様に「腹痛」云々で締め括るこの悪質な記事を堂々と掲げて、朝日と並んで「葬儀屋」にでもなる気なのか。安倍内閣は「まだ生まれてもいない」のである。

こういう記事を書く人間が、他で何をやっているのか。他で何を書いているのか。その詳細を調べる気にも、知る気にもなれないが、それがたとえ護国活動であっても、いやそうであればなおさら、国家のためにならない人間である。全体としてマイナスの結果しかもたらさない「最悪の立ち位置」にいる。

第一次安倍内閣の本当の敵は、「教条保守」「踏絵保守」であった。これをしなければ「保守ではない」、あれをしなければ「保守ではない」。「保守ならこうするはずだ」「保守ならこうすべきだ」と連呼して、「明日では遅い今日やれ」「今日では遅い今やれ」と叫んで、安倍の「政治的オプション」を削り取っていった。それがそのまま「隣国の利益」となった。「自称愛国者」が吠える度に、国益が損なわれたのである。

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何度も何度も書いてきた。靖國参拝は「政治問題」ではない。国民の心の問題である。従って、政治家の参拝するしないは、全く考えるに値しないものである。一国民として参拝するもよし、それを政治利用しようとする輩に「その無効性を知らしめるため」ならば、参拝せずともよしである。

政治家の参拝の有無とは無関係に、靖國を一億国民で充たせばいいのだ。それで「参拝問題」は直ちに解決する。にも関わらず、日本側からこれを何が何でも「政治問題」に引き上げようとする、こうした愚者が後を絶たない。利敵行為を繰り返す者は、即ち敵である。朝日も敵なら、産経も敵である。

記者はしばしば、「新聞の記事全体に責任は負えない」「各欄各欄で担当者が違えば論調も異なる」等と幼稚な言い訳をする。ならば自民党各議員で主義主張が違っても、それを「古い自民党の体質」なる稚拙な表現で一括りにすることは間違っているのではないか。他人は誹謗する、その一方で自分達に投げ掛けられた同種の批判は認めない。それがマスコミ人である。三年前は「自民党消滅か?」と書いた。今は「民主党消滅か?」と書いている。三年前も今も、我々の望みは唯一つ「マスコミ消滅!」である。

隣国の横暴を封じる最強の第一手は

 初詣は靖國神社へ!

これをツイッター等で拡散することである。
そして、自ら足を運ぶことである。
靖國参拝は国民の心の問題である。

政治家の参拝云々を声高に主張する者は敵である。敵の思う壺に嵌ってなお得意気な、こうした自己陶酔者にかまうことなく、我々は我々の心の声に従って靖國へ行く。そこに期待する政治家が居れば、「やあやあ」と声を掛け、居なければ「宜しくお伝え下さい」と伝言を頼むだけの話である。

「参拝と不買」で敵は倒せる。これは国家が敵対国との外交の基軸とする「圧力と対話」を、個人レベルで実現させる方法である。我々はこの事を、一人でも多くの人に知らしめるだけでいいのだ。そのための費用は、「新聞購読を止めるだけ」でおつりがくるのである。