【書評】
『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』
門田隆将著
原子炉との壮絶な闘い
平成23年3月11日、マグニチュード9・0の大地震によって引き起こされた大津波が福島第1原発を襲った。地震によって原子炉は自動的に停止したが、10メートルを超える津波が原子炉をのみ込み、あらゆる電源が喪失してしまった。
この結果、冷却機能が失われ、原子炉は暴走を始める。炉心を冷やし続けなければ、やがて炉心溶融を起こして大爆発、放射能が飛散し、東京をふくむ半径250キロ圏は人が住めなくなり、5千万人を超す人々が避難せざるを得なくなる。日本は分断され、日本としての存在を失う恐れがあった。それを食い止めるためには、なんとしてでも炉心に水を注入して冷やし続けなければならない。
本書は、命の危険を顧みず、暴走する原子炉と闘った男たちのドラマである。サブタイトルの吉田昌郎(まさお)は東電福島第1原発の当時の所長。
電源が失われたため、自前の消防車で津波の痕跡である「池」の海水を吸い上げて放水を続ける。完全装備を着け、限られた時間で任務をこなさなくてはならない。所長は決断する。放射能を浴びる以上、若い者を退避させ、年配の者で任務を遂行しようと。
だが、いったんは退避した者たちが再びもどってきて注水を続ける。さらには、協力会社のメンバー、自衛隊、消防隊も駆けつける。足を引っ張る官邸、現場を理解しない東電本社。彼らは放射能を浴びながらも、これでもかこれでもかと注水を行い、炉心の冷却化を続け、危機一髪のところで、炉心の冷却化に成功する。
だが、と著者は言う。「現場で奮闘した多くの人々の闘いに敬意を表するとともに」「これを防ぎ得なかった日本の政治家、官庁、東京電力…等々の原子力エネルギーを管理・推進する人々の『慢心』に思いを致さざるを得ない」と。
原発の事故は災害だけではない。テロも大きな脅威だ。
しかし、この国はいまだにテロに対する備えをしていない。アメリカでは9・11以降、原発の全電源喪失時のマニュアルが作成され、日本にも伝えられた。にもかかわらず、顧みられることはなかった。政治の恐ろしいまでの危機管理のなさが、大きな事故と大量の被災者を生むのである。(PHP研究所・1785円)
評・大野敏明(編集委員)