【風を読む】論説委員長・中静敬一郎
今さらの感は拭えないが、やはり苦言を呈したい。総選挙の争点になっている「原発ゼロ」の根拠があまりにいいかげんなことだ。
政府は9月のエネルギー・環境会議で「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」目標を決定した。その根拠とされたのは「国民の多くが『原発に依存しない社会をつくりたい』と望んでいることは、これまでの国民的議論の検証結果からも明らかである」との文言だった。
問題は、「国民の多くが原発ゼロを望んでいる」と結論付けた国民的議論の中身である。確かに、政府が実施した意見聴取会やパブリックコメント(意見公募)などは原発ゼロが多かった。意見聴取会では意見表明を申し込んだ68%は、2030年時点の原発比率について「0%」を求め、9万近いパブリックコメントの87%は「0%」を選んだ。
しかし、これで「国民の多くが原発ゼロを望んでいる」と、どうして言えるのだろうか。政府は、12社によるメディアの世論調査を提示しているが、「15%」が3割から5割を占め、5社は「0%」を上回っていた。「20~25%」を加えれば、「15%」以上が過半数になるのは4分の3の9社にのぼる。ちなみに本紙とFNN(フジニュースネットワーク)による6月の世論調査では(1)「15%」は54%(2)「0%」は30%(3)「20~25%」は14%-だった。
国民の多くは原発ゼロより、原発の活用を求めていたといえる。だが、先月中旬に実施した本紙とFNNの合同世論調査では原発廃止47%、維持・再稼働容認25%、(投票で)考慮しない31%-になっていた。政府が醸し出した「原発ゼロ」ムードによる影響だろう。
野田佳彦首相は原発ゼロを「国民の覚悟」と語った。だが、内実は政府首脳が「あれだけのデモがある以上、原発ゼロといわざるを得ない」と語ったように、「原発ゼロ」という結論ありきを恣意(しい)的に押し通したことを忘れてはなるまい。