西村眞悟の時事通信 より。
本年は、七月三十日、
明治天皇が明治四十五年(西暦一九一二年)七月三十日に崩御されてから百年を迎え、
本日、嘉永五年(西暦一八五二年)十一月三日にお生まれになった明治天皇のお誕生日である明治節をお迎えしている。
また、昨年三月十一日、東日本を千年に一度の巨大地震と巨大津波が襲い、この「国難」のなかで、天皇陛下は、我が国の最大の危機管理者としてのお立場を顕された。
まさに、このお立場は、戦後の枠組みとなった昭和二十二年五月三日に施行された日本国憲法に基づくものではなく、
我が国悠久の太古から引き継がれた天皇の本来の権威に基づくものであった。
即ち、国難のなかで戦後封印されていた我が国の伝統的権威が顕れたのだ。
つまり、あの巨大津波は、東日本の海岸線にある堤防を粉砕したばかりではなく、我が国全体をおおう戦後体制の枠組みをも粉砕していた。
そして我が国は、この千年に一度の国難襲来の翌年に、明治から百年を迎えている。つまり、戦後の枠組みが瓦礫となったなかでの明治百年祭である。
従って、本日の明治節、明治天皇のお誕生日に当たり、この巡り合わせのなかにある「天意」を述べておきたい。
それは、戦後という時代に歴史と伝統を見失って漂流していた我が国が回帰すべきところが指し示されたということである。
即ち、我が国を取り巻く内外のまことに厳しい状況を克服する為に、我が国は明治天皇とともにあった時代に回帰しなければならない。
明治は、国家存立のために富国強兵を掲げ、天皇を戴く国民国家として幾多の国難を乗り越えた偉大な時代である。
徳富蘇峯翁が喝破したように、
明治は、国民は、「理想をもって生活とした時代」であり「生活をもって理想とした時代」ではなかった。その精神、心意気こそ危機克服の起点である。
今再び我が国が、国難の折り重なる時代に突入するに当たり、まさに、明治に回帰してそれを克服すべきなのだ。
このことを我々の前に啓示したものこそ、昨年の東日本巨大災害と本年の明治百年の巡り合わせである。
以上を本通信で語らせていただき、
本朝はこれから、子どもの時からの懐かしい場所、
白鷺を見上げフナをとった堀に囲まれた
第十六代天皇である、仁徳天皇の御陵に参拝してくる。
そこは、
「御皇室の弥栄と日本国の安泰」を祈るところである。