coffee様のブログ・正しい歴史認識・国益重視の外交、核武装の実現 より。

「首里城祭」の冊封使行列
【沖縄】 中国皇帝使者の冊封使を歓迎する「首里城祭」開催→中国「琉球王国は中国の冊封国。沖縄は日本が武力で併合」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121029-00000047-scn-cn
沖縄で「首里城祭」開催、中国「沖縄は日本が武力で併合」と報道
サーチナ 10月29日(月)17時20分配信
伝統的な「琉球王国絵巻行列」の仮装パレートが28日、那覇市の国際通りで行われた。公募選出された男女が琉球王国の伝統的な装いをまとって、「琉球の国王」と「琉球の皇后」に扮し、1000人以上の宮廷の女官や宦官を率いて、かごで中国皇帝の使者の「冊封使」を歓迎した。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。
今回のイベントは沖縄県で26日から11月4日まで開かれている「首里城祭」の重要な一環である。
中国網は29日、同パレードについて報じた際、「琉球王国は昔、中国の冊封国で、明治維新の末期(中国の清時代の末期)に、日本の武力に併合された」と報じた。
>中国網は29日、同パレードについて報じた際、「琉球王国は昔、中国の冊封国で、明治維新の末期(中国の清時代の末期)に、日本の武力に併合された」と報じた。
これは真っ赤な嘘だ!
薩摩藩が琉球王国に軍事行動(琉球征伐)をしたのは、1609年だ。
それ以後、琉球王国は、薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣するようになった。
明治維新の末期に、日本が琉球王国に武力行使した事実はない。
明治維新の末期に日本が琉球王国に行ったのは、1871年の廃藩置県だ。
「中国網」の報道は、悪意を持った虚偽報道だ。
それと、「中国網」は「琉球王国は昔、中国の冊封国で、…」と述べているが、支那の冊封国は飽くまで冊封国であって、支那領ではない。
冊封国が支那領になるなら、朝鮮やベトナムなど、支那の周辺諸国は全て支那領になってしまう。
しかも、琉球王国は、支那に対して、朝鮮王国などより高い地位にあり、支那に実効支配はされていなかった。
一方、朝鮮は、支那の属国の中でも琉球よりもかなり低い地位で、まさに実効支配された属藩だった。
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そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
黄文雄著『韓国は日本人が作った』
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このよに朝鮮は服装も制限され、籠にも乗れない、身分の最も低い属藩扱いだった。
冊封国は飽くまで冊封国であって、支那領ではない別の国だった。
また、支那の冊封国の中では、琉球王国は、朝鮮王国より地位が高く、実行支配も受けていない(朝鮮は支那に実効支配されていた)。
そして、琉球王国は、1609年には薩摩藩の付庸国となった。
以上のことから、日本国民は、かつて琉球王国が支那領だったことが一度たりともないことを改めて肝に銘じるべきだ。
最近、支那は、尖閣諸島だけではなく、沖縄を丸ごと乗っ取ろうとする嘘工作も展開しているので要注意!
■ニコニコ動画
沖縄県知事は、中国人の帰化人
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19072663
■動画
【日本人のみ必見!】沖縄独立宣言 そのシナリオとはBy惠隆之介氏
http://www.youtube.com/watch?v=xPgE1CfI9Es
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【拡散大歓迎!コピペ大歓迎!】
文字起こししました。(字幕部分のみ)
Q.中国の狙いは?
惠:「尖閣は日本固有の領土だ」 と議論している間に 今 中国は沖縄本島を狙っていますよ。
沖縄が独立宣言して 中国はその独立を支援するという形にしてしまえば 自然に尖閣列島は付録でついてくる
沖縄県に付属する海面を総合すると本州くらいの広さ
竹島と違って 沖縄県を失うということは 国益上 重大な危機を 日本は迎えるということ
シーレーンの確保も危ない
沖縄県に属した海面と海底の資源も失うことになる
かなりのパンチだと思う
しかも第一列島線が確保できなくなる
中国海軍が日本を取り巻く状態になってくる
アメリカも太平洋に中国の原子力潜水艦が進出してくるとなかなか追尾も難しくなるという状況で 非常に安全保障上および国益上重大な危機を迎える
沖縄を制するものが西太平洋を制する
Q.中国が沖縄を取るために何をしてきたか?
惠:沖縄には工作員もいっぱい入ってきている
中国の帰化人はけっこう沖縄本島にいる
これから非常に複雑な弾を撃たない諜報戦争 諜報戦略が どんどん沖縄本島に押し寄せてくる
既に水面下のバトルが始まっている
香港返還のときから 「沖縄も本来は中国の領土だ」と言っていた
(中国で反日暴動が起こった時も)
沖縄出身の留学生にだけは特別待遇で「君らとは兄弟なんだよなあ」
恐ろしいほどに 沖縄県民の歴史感覚がずれてきている
琉球王国というのは独立国で 中国も独立国で 中国政府は 琉球と日本を同等に扱ってくれた
そういうノスタルジアが醸成されている
Q.沖縄県民の日本人としての意識は?
惠:仲井真知事も中国の帰化人の出身 選挙の時には 帰化人のファミリーネーム 「蔡」
蔡家の子孫であるということはステータスであり 自慢していた
稲嶺前知事も 毛家の出身
中国の狙いは 沖縄をできるだけ引きつける
中国が職種を伸ばすというよりも 沖縄を北京に近づける
そして米軍を追っ払う
第一列島線を確実に 基地として確保して 太平洋に進出してアメリカを威圧する これが中国の戦略
「何月何日 正午の時報をもとに行動しろ」
沖縄独立宣言をさせる
沖縄にいる親日勢力の県民の口を封じてしまう
武器弾薬を使うと国際非難を浴びるので
観光客という名目で 大量の観光客を沖縄に送り込む
中身は工作員 女性スパイ
沖縄県知事 沖縄県の首長クラスを一挙に確保する
反論させないように そして 沖縄独立宣言
Q.米軍の対応は?
惠:住民運動が起きて 沖縄独立運動が起きたときには 内政干渉になるから 米軍は手出しできなくなる
日本は国家財政も厳しくなってきている
中国は経済成長がどんどん拡大してきている
「中国と一緒になろうか」「昔の琉球はそうだった」
左翼勢力は 尖閣の海底油田を中国と共同開発することによって 経済的にも自立できる
とんでもない妄想を持ち始めている
「基地なき平和」を言ってくる
Q.県民の安全保障への意識は?
惠:尖閣事件が起きてから 県民の意識は変わってきている
特に 石垣島 宮古島は 非常に警戒心と不安を持ち始めている
沖縄本島はまだ甘い
ずっと奇跡的な65年の平和のなかを過ごしてきた国民から見たら
安全保障はあんまり考えていない
Q.日本は今後どうするべきか?
惠:普通の国家に戻るべき
戦後65年間 アメリカにぶら下がって 広島 長崎の市長のように綺麗ごとばかり言っている
憲法で交戦権を明記 軍法も制定
海上保安庁は今 限界まで来てますから
海上自衛隊が出動して 我が国の自衛権を発動するという強い意気込みを見せる
ごく普通の国に戻らないと
平和原理主義国家はもう持たない

沖縄出身の元海上自衛官の作家・ジャーナリスト。
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さて、今問題となっているオスプライだが、オスプレイの配備は尖閣諸島などの島嶼の防衛に非常に有効だ。

オスプレイが配備されると、支那は非常に困る。
必死にオスプレイの日本配備に反対しているのは、支那帰化人で沖縄県知事になった仲井眞弘多、支那の犬となっているマスコミと情報弱者たちだ。
現沖縄知事の仲井眞弘多の姓は「蔡」で、前沖縄知事の稲嶺惠一の姓は「毛」だった。
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「正論」平成20年3月号
日本軍は沖縄県民を敵として戦ったのか
ジャーナリスト惠隆之介
(一部抜粋)
県民によるスパイ活動
昭和三十七年まで多嘉良朝朋という県人が本島中部に在住していた。彼は終戦直後、「琉球王」とあだ名され、戦後も在沖米軍に絶大な発言力をもっていた男である。
彼は昭和十九年十月上旬より米軍からコールサインを貰い、天津から密命を受けて帰省し、沖縄本島内を徘徊して日本軍の兵力配備状況や重要施設の存在を米軍に通報していたのである。
彼に指令を出していたのが県出身で同じく天津在住の沖縄支那党の子孫林興徳である。支那党とは、琉球王府時代、沖縄に君臨した中国の帰化人を主に指す。沖縄は廃藩置県まで約四〇〇年にわたって中国の間接統治下にあった。このとき実権を握っていたのが支那党であった。
今でも県内で、家門がこの中国帰化人であることはステイタスシンポルである。なんと現知事、その前任の稲嶺恵一元知事は選挙の際、それぞれ中国帰化人の子孫であることを誇り、選挙リーフレットにそれぞれ中国人先祖の姓を誇示しているのである(仲井真氏は蔡、稲嶺氏は毛姓である)。
この支那党は廃藩置県に反対して中国に支援を要請した。とりわけ日清戦争中、清国勝利の析願をするため徒党を組んで神社仏閣に参拝し、「黄色い軍艦がやがて沖縄に救援に来る」と喧伝して日本軍に志願した県出身者の家族を脅迫していた。
当時、沖縄に赴任していた内務省の官吏は、万一に備えて自警団を組織し、家族を疎闘させたぐらいであった。
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仲井眞弘多「オスプレイ強行なら全基地閉鎖」

支那帰化人の子孫であることを誇りとする仲井眞弘多知事(蔡工作員)は、米軍垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場(同県宜野湾市)配備計画に関し中止、見直しを要請。

2010年9月に、沖縄県の尖閣諸島沖で支那漁船が日本の海上保安庁巡視船に衝突した事件が発生し、日本が9月19日に支那人船長を公務執行妨害容疑で逮捕した時も、支那は「琉球王国住民の大部分は支那出身者で『沖縄は日本が不法占領』」と主張していた!
2010年9月19日付の支那紙「環球時報」は「琉球(沖縄県)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいる」との趣旨の元在日支那大使館職員の署名入り論文を掲載したことがある。
その論文では、「かつての琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も支那大陸と同じだった」と断言していた。
確かに、前任の稲嶺恵一元知事や現知事の仲井眞弘多は、支那人が日本人に帰化した連中だが、それは琉球王国(沖縄県民)の中ではごく一部の例外に過ぎず、大半の琉球王国住民(沖縄県民)は、日本人(内地人)と同じく縄文人のDNAを引き継ぎ、言葉も日本語=大和古語(平安時代の言葉)と同じだった。
「琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も支那大陸と同じだった」という支那人の論文は出鱈目だ!
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100919/chn1009192131008-n1.htm
中国紙、「沖縄は日本が不法占領」との論文掲載
2010.9.19 21:29、産経新聞
19日付の中国紙、環球時報は琉球(沖縄県)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいるとの趣旨の署名入り論文を掲載した。
中国大陸に近い尖閣諸島(中国名・釣魚島)については中国領であることは明白で「日本には中国と話し合う資格もない」と結論付けている。
筆者は在日中国大使館勤務経験がある商務省の研究者、唐淳風氏。
論文ではかつての琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も中国大陸と同じだったと断言。
(共同)
これは、尖閣諸島だけを支那領土とする歴史的根拠が全く見つからず、むしろ沖縄県の一部である証拠が数多く存在するため、支那が沖縄を丸ごと日本から切り離そうとする作戦の一環だ。
それにしても、「論文ではかつての琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も中国大陸と同じだったと断言」とは爆笑ものだ!
沖縄県民は人種的にも本土日本人とほぼ同じであり、言葉も日本語、特に大和古語(平安時代の言葉)との共通点が多い。
まず、人種的な話だが、血液型Gm遺伝子を見ても、本土日本人と沖縄県民やアイヌは同じ人種で、支那人や朝鮮人は違う人種であることが分かる。
現在の殆どの日本人(沖縄県人やアイヌ人も含む)に最も濃く残っている遺伝子は、土着系(シベリアから来た縄文人)と同じだ。
下の【血液型Gm遺伝子の分布図】の円グラフの黄色部分と緑色部分を比較すると、日本人(沖縄県人やアイヌ人も含む)やブリヤート人は緑色より黄色が多いが、支那人や朝鮮人は緑色より黄色が少ない。

【血液型Gm遺伝子の分布図】
日本人(沖縄県人やアイヌ人も含む)やブリアート人は緑色より黄色が多いが、支那人や朝鮮人は緑色より黄色が少ない。
また、日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名だ。
世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。
さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や支那人が南方系O系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。
D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42~56%(参考までチベット33%)で、韓国や支那はほぼ0%だ。
アイヌには南方系O系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人には南方系のOが混ざっている。
それでも本土日本人のD系統は半数以上である。
結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人~本土日本人~沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、日本人3集団が持つD系統を持たない支那人や朝鮮人は赤の他人となる。

日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ
東アジアでも孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立つ
次に、言葉に関する反論は、次の資料で十分だろう。
現代沖縄の言葉は大和古語(平安時代の言葉)
http://mabui.blog.shinobi.jp/Entry/90/
(一部抜粋)
以下の記事は、現代沖縄語と古代大和語との関連を示す、簡潔にまとめられたよいものではないかと思われる(一部賛成できない点もあるにはあるが)。鹿児島県出身の川崎氏が琉球新報紙上に投稿されたものであるが、ここに紹介しておきたい。
沖縄の言葉
私が三年前に赴任したときに、沖縄アクセントが出身地鹿児島のカライモ弁に似て、妙に懐かしかったことを覚えている。
そんなことで何かしら沖縄の言葉(以下、うちなーぐち)には親しみを感じ、色々と調べてみるとますます面白くなってきた。まずは、うちなーぐちは大和古語の特徴を多く残し、独特の味わいをもつことに驚く。
大和古語を色濃く残している言葉としては、おおきい→うふし(おほしの変化)、美しい→ちゅらし(清らしの変化)、美人→ちゅらかーぎー(かーぎーは影=容貌)、頭→ちぶる(つぶりの変化)、女房→とぅじ(刀自)、娘→みやらび(女童)、かわいい→かなさん(かなし+あり)、答える→いれーゆん(いらふの変化)、早朝→ひてぃみてぃ(つとめて・・・枕草子の「冬はつとめて」)等枚挙に困らず、平安朝に戻ったようで嬉しくなる。
さて、うちなーぐちを理解するには沖縄方言則の要所「①あいうの原則え段→い段、お段→う段に変化、②き→ち変化」を覚えればいくらか楽になる。
先の語群もそうだが、身近な例をあげれば、「肝 きも→ちむ、心 こころ→くくる、衣 ころも→くるむ、黄金 こがね→くがに、風→かじ、水→みじ」などがある。他に地域的な型として「か行→は行、は行→ぱかふぁ行、ぎ→じ」などの変化がある。面白いことに大和古語では、は行はすべてふぁ行で発音していたから、本当北部のぱ行変化は由緒正しい訛りである。
特に重要なのは「き→ち変化」であり、肝ことばに重要語が多い。また、有名な「イチャリバチョーデー」は行き会えば兄弟の変化であることなどすぐにわかる。さらに、ちゅらはきよらの変化であり、大和古語では清らしは内面の美しさも加味した最高の褒め言葉である。よって、巷の表記も美らさから清らさにすべきであり、「羊が大きいよりも水が青いほうがちゅらさん」。
なお、有名なうちなーぐちにユイマール(相互扶助)があるが、「結マール」という当て字は解せない。伊波普猷の「古琉球」を読むと、その語源は、「大和古語の雇人(ゆひ)+回る」であり、ユイマールとは農繁期に互いに雇いまわったことから来ている。自由市場経済化の現在、この原義のほうがよっぽど美しい。
上記の方言則に慣れた上で、うちなーぐちの会話には感嘆し、前置き、冗談言葉などが多いため、これら本題に関係ない部分を区別できれば、会話体の理解も近いと思う。
東西南北の「アガリ、イリ、フェ―、ニシ」も面白い。アガリ、イリは日の出入りを示し、フェ―は大和古語の南風(はえ)を語源とするまでは皆さんご存知であるが、ニシだけは知られていない。風土工学調査によると「ニシは古(イニシ)であり先祖の方角(沖縄では北、本土では西)を示す」と「ニシは冬季に吹く風の方向であり、東北~西の風を奄美でマニシ、沖縄でミーニシという様に、九州から南下するにつれて西から北へニシ風の方向が変わる」の二説が有力である。古(イニシ)説は本土のニシと沖縄のニシの相似性を考えると感動的である。
大正期の古い話だが、「沖縄地名考」で有名な宮城真治が当時クンチャンと呼ばれていた国頭村に対して、「クンチャンは明治以降の訛りでありもともとの読みであるクニカミに正すべきだ」と意見して誇り高い今の読みに戻ったというのは乱れた言葉を正した良い実例である。国頭の有名な民謡クンジャンさばくいは旧称の名残である。
民謡で話は飛ぶが、先日民謡教室の練習風景に立ち会い、主婦層大半の生徒の皆さんが本当に気持ちよく三線を弾いて歌っていて素朴な民謡の心地よさに聴きしれた。やはり沖縄民謡はカラオケではなく三線で歌うべきであり、うちなーぐちの心の理解はそこから始まるのだと思う。昔から若い女性を褒めることは地域を褒めることであり、若い女性も民謡教室へ行き地域文化を高めるべきである。ついでによくある方言笑い話で、若い女性職員が本土から来た上司に終業時に「帰りましょうね(帰りますの意)」というものだから一緒に帰ってくれるのかと誤解するのは止めましょうね。
以上、うちなーぐちについて述べたが、我々ものつくりに勤しむものにとって言葉を含む風土資産は重要であり、「地域の財産としての公共事業」につまがるものである。
最後に、私がうちなーぐち最高の言葉と思う「チムウラーキユン(肝が潤う)」を用いての駄琉歌、「風土の誇りに ちむうらーきゆん 沖縄言葉の面白さよ」。
最後に、10月28日に沖縄で行われた「普天間飛行場の迅速な辺野古移設を求める市民行進」について紹介しよう!
http://www.worldtimes.co.jp/today/kokunai/121029-3.html
沖縄・宜野湾市、普天間飛行場の辺野古移設を-県内では初のデモ行進
平成24年10月29日、世界日報
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沖縄・宜野湾市の安全で活力ある街づくりを求め「普天間飛行場の迅速な辺野古移設を求める市民行進」(主催・同実行委員会、発起人仲村俊子氏)が28日、同市で行われた。参加者は同市民の有志ら約50人だったが辺野古移設を求めるデモ行進が行われたのは、「県外移設」に方針転換された以後、県内ではこれが初めて。
デモ参加者は、「もう待てない。出来もしない県外移設は固定化への道」と訴え、普天間飛行場の現実的な早期移設を求めた。
デモ行進は同日午前11時過ぎ、北谷町北前にある沖縄リージョンクラブから約1㌔の宜野湾市役所まで行われた。全員が国旗を掲げ、「一日も早い辺野古移設で安全な空を宜野湾に取り戻そう」「周辺住民を不安と危険に陥れる(オスプレイ)反対行動は、即刻中止せよ」「抑止力強化のために日米同盟を強化せよ」などと市民に呼びかけた。
参加者の一人で元宜野湾市議の平安座唯雄さんは、「かつて、宜野湾市議会は辺野古移設を歓迎した経緯がある。私たちの求めているのは、宜野湾市民の安全と安心を守るためには基地の早期移設だ。オスプレイの撤去ではない」と話した。
また、参加した同市在住の20代の女性は「若者たちは、オスプレイ反対なんて言っていない。それより、尖閣領海に侵入している中国に脅威を感じている人が多い」と、デモ参加の動機を語った。
発起人の仲村さんはデモ行進終了後「人数の問題ではなく、行動できたことに意義がある。これまで、市民は心では思っていても行動に移せなかったから」と、今後の辺野古移設推進運動に意欲を燃やしていた。
>沖縄・宜野湾市の安全で活力ある街づくりを求め「普天間飛行場の迅速な辺野古移設を求める市民行進」(主催・同実行委員会、発起人仲村俊子氏)が28日、同市で行われた。
発起人の仲村俊子さんは、90歳。

(画像 )
■動画
発起人挨拶:仲村俊子氏(初代沖縄防衛協会婦人部長)
http://www.youtube.com/watch?v=DoCiN9tS27E
>全員が国旗を掲げ、「一日も早い辺野古移設で安全な空を宜野湾に取り戻そう」「周辺住民を不安と危険に陥れる(オスプレイ)反対行動は、即刻中止せよ」「抑止力強化のために日米同盟を強化せよ」などと市民に呼びかけた。
……
>また、参加した同市在住の20代の女性は「若者たちは、オスプレイ反対なんて言っていない。それより、尖閣領海に侵入している中国に脅威を感じている人が多い」と、デモ参加の動機を語った。
日本のマスメディアは、このような正常な沖縄県民の言動も報道しろ!
「世界日報」は統一教会系のメディアだが、日本の新聞やテレビは報道の公平公正さでは「世界日報」にも劣っている。
「盗人支那人は嘘を吐くな!」